【新自由主義政党の躍進を受けて~田村あずみ『不安の時代の抵抗論 災厄後の社会を生きる想像力』を手がかりに】 (日本”文学”研究者・加島正浩さんの寄稿)

福島

 「文学研究者」でありながら、文学の枠を超えて日本社会について考えている加島正浩さん(愛知淑徳大学ほか非常勤講師)が、ウネリウネラに寄稿してくれました。

 今回は昨年6月刊行の田村あずみさん『『不安の時代の抵抗論 災厄後の社会を生きる想像力』(花伝社)の書評です。

 これまでの加島さんの寄稿はこちら

https://uneriunera.com/2021/04/06/moyaiten/

https://uneriunera.com/2021/04/07/moyaiten2/ 

https://uneriunera.com/2021/06/22/muzukasiiheibon/


新自由主義政党の躍進を受けて―田村あずみ『不安の時代の抵抗論―災厄後の社会を生きる想像力』(花伝社、2020年6月)を手がかりに

 10月31日に執行された衆議院議員選挙の結果は、コロナ禍で苦しむ人々への救済と、減税をはじめとする格差是正を打ち出した野党が敗北し、「新自由主義」的な政策に基づく維新の党が躍進する結果となった。

 「新自由主義」とは、競争社会の原理に基づき「有能な」者を取りたて、そうでない者を能力や努力が足りなかった「自己責任」であると切り捨て、富裕層とそうでない者の二極化を加速化させる思想である。そのような社会においては、富裕層や営利企業が優遇される政策が採用され、労働する側は切り捨てられないための苛烈な競争(成果主義)へと身を投じる必要がある。成果をあげるために睡眠時間を削り、労働時間を延ばす必要もあることだろう。しかし、それに見合った給与が支払われるかといえば、企業が優遇される制度がつくられているため、そうとも言えない……。

 もちろん「新自由主義」に基づく社会構造を変えていく必要はある。しかし強固に作り上げられた制度を一朝一夕で変革することはできない。そうなると私たちは(遺憾なことではあるが)「新自由主義」社会の中をなんとか生き延びながら、「新自由主義」を解体するという困難な課題に挑まざるを得なくなる。「新自由主義」を解体することを考えるだけではだめなのだ。解体までの長い時間、その期間をどうやって生き延びるかということも同時に考えなければならない

 その点にも目配せのある本が、田村あずみ『不安の時代の抵抗論―災厄後の社会を生きる想像力』(花伝社、2020年6月)であると考える。発刊から1年、様々なところで高い評価を得ている書籍ではあるが、本書を手がかりに「新自由主義」を変えることを志向しながら、そこで生き延びる方法を考察してみたい。

 本書は、これまで知識人が示してきた「希望」のほころびを丁寧に指摘したうえで、東日本大震災以後の路上での活動の実践に目を向け、そこから本当に「手にすることのできる」希望を見出そうと試みている。当然、東日本大震災以後の路上の活動ということは、そこで着目されるのは「反原発運動」であるが、本書の独自性は以下のような問題設定にある。(なお引用部の下線、太字強調は引用者によるものである)。

3・11後の反原発運動をめぐって頻繁に出された問いが、「反原発運動は日本社会を変えたのか」でした。(中略)ですが一方、3・11後の反原発運動が政策レベルで達成した成果は少なく、原発の再稼働は進められています。無力感や政治的無関心はいまも日本社会に染みわたっています。/果たしてこの運動は、日本社会を変えたのか。/私には、この問い自体が有意義なものとは想えません。なぜなら私は、原発事故が暴いた非対称な構造を、少しずつでも変えてゆきたいと願う反原発運動の参加者のひとりだからです。「デモは社会を変えたのか」と運動の外側で客観的に問うのではなく、運動の内側で「私たちはどのように社会を変えてゆくことができるか」と問うてきたのです。(pp.163-164)

 運動やデモは「社会を変える」こと(のみ)を目的としているように考えてしまう傾向にあるため、ついつい「デモは社会を変えたのか」と問うてしまいがちになるが、どれだけの人を動員したところで数年のデモ活動のみで、数十年かけて堅牢に出来上がってしまった社会システムを変えていくことは不可能である。社会を急激に()()()()()変えることのできる一点突破の解決策など存在しない。デモだけで社会を変えることができるわけではない。だからこそ田村は「少しずつでも変えてゆきたいと願う反原発運動の参加者のひとり」と自己規定したうえで、反原発運動がもたらしたものを考えるのである。

 そして本書の慧眼は、そのことを考えるために、反原発運動が「沈静化」した後の参加者を追っていることにある。

 原発「事故」直後の反原発運動参加者に2019年に改めてインタビューを行い、参加者にとってデモとはなんだったのか、2019年現在におけるデモとの関わり方や、デモ/社会に対する見方などを聞き取り整理した後、それを「スケッチ」として提示している。

 そこには現在も抗議運動を続けている人、デモを踏まえて社会を変える活動を模索している人、現在はデモから離れた人など多様な人の「スケッチ」が描かれている。そこで示されているのは、「脱原発杉並でつながった人々」が「その後も色々なアプローチで社会に働きかけて」いる姿である。それを踏まえて田村は以下のように述べている。

彼らの現時点での運動への関わり方は様々であり、いわゆる運動の場から離れた人もいます。しかし彼らに共通しているのは―そして当時から変わらないのは―自分の足元で、周囲に何らかの変化をもたらそうという努力を続けていることです。(中略)運動が継承するのは方法論というより、その中ではぐくまれた情動や知であり、それは不確実性の中で、私たちひとりひとりが、より良い関係性を実践してゆくエネルギーとなります。(pp.252-253)

 デモの役割は、直接「社会を変える」よう働きかけることだけにあるのではない。デモは参加者同士を結びつけ、長期間に亘る関係性を築き上げる。その関係性は、思考を磨く場であり、エネルギーを相互に受け取り、社会を少しずつでも変えていこうとする実践への意思を新たにする場でもあり、「不確実性の中で」生きていこうとするエネルギーも受け取れる場としても機能する。

 デモを外側からみるのみでは、「反原発デモは社会を変えなかった」「反原発デモは敗北した」という評価になるのかもしれない。しかしデモの内側にいた人々にとっては、デモが新たな関係性を生み出し、その関係性が社会をよくするように働き続けているのだから、「まだ何も終わっていない」のである。田村は以下のように述べている。

変化の途上にあるものを切り取り、結論や答えやモデルによって完結させないこと。この運動が何なのか、運動に参加する人々が何者なのかという意味を確定させないこと。なぜならこうした試みは、運動を閉ざすことであり、個々の実践をバラバラに分断すること、相互作用による変化の可能性を奪うことであり、結果的には運動の継承の弊害になるからです。(pp.221-222)

 路上に出て、政治的な主張を行う直接的な政治行動の盛り上がりは終わったかもしれないが、原発「事故」が暴いた社会構造は変わっていない以上、デモ参加者の活動は「途上」にある。田村のインタビューに答えたひとりは、「何かあったらデモやって騒げばいいし、デモじゃないって思ったら別のやり方をすればいい」(p.237)と述べている。一度のデモや一度の盛り上がりで何かが終わるわけではない。それは社会を変えていくためのひとつのやり方(関係の作り方)なのであり、そこから何かをはじめるためにもあるのである。

 田村は東京の反原発運動を追っているが、もちろんそれは東京以外の活動でも同じことである。たとえば、平野隆章のドキュメンタリー映画『発酵する民』(2020年)に登場する「鎌倉 イマジン盆踊り部」は脱原発パレードに浴衣で参加したことがきっかけで、2012年に結成されるが、現在は「脱原発」ということを公けに大きくは掲げていないという。(詳しくはぜひ映画を観ていただきたい)。

 そのことを「政治的」に「後退」とする見方もあるだろう。しかしそもそもの「イマジン盆踊り部」のきっかけを確認してみたい。平野は『発酵する民』のパンフレットに以下のように記している。

ある日、このパレードに参加した女性たちが「踊り始めた」という噂を聞いた。「イマジン盆踊り部」というらしい。鎌倉の小さな和室でやっている練習に行くと、数人の女性たちが、笑いながら踊っていた。映画にも出てくれたフエリコさんに話を聞くと、笑いながら、でも真剣に「原発にも戦争にも反対ですが、それをまるっとこえられるところを目指しています」と言った。

平野隆章「彼女たちが踊り始めたように、自分は映画をつくった。」

 ここで拙稿のそもそもの目的を確認したい。私は「新自由主義」を解体することを考えながら解体までの長い時間、その期間をどうやって生き延びるかを目的としていた。もちろん私のことをご存じの方はご承知の通り、私も原発なぞ絶対にない方がよいと考える人間のひとりである。ただし世界に存在するすべての原発が廃炉になれば、それでよいとも考えてはいない。

 原発が、都市に対して劣位に置かれた地域や人々に負担を押し付け、そこから利益を搾取する構造を内包し、それを苛烈に推し進めることで利益を享受しようとする新自由主義的な発想が根づいている以上、原発が廃炉になったところで、原発ではない別の場所で、差別と搾取の構図は繰り返されるだろう。

(現に放射線量の「高い」地域で起こっている「復興」が目的としているのは、線量の「高い」地域に企業を誘致することで、「経済」を活性化させようとする「経済復興」である。放射線量が「事故」以前の故郷に戻りたい人々の思いが(どのようなかたちであれ)顧みられているとは到底言えず、その人たちの思いを抑圧することで、経済を回そうとする「復興」の発想はまさに「新自由主義」的である。なお「復興」と新自由主義の結びつきについては、吉原直樹『震災復興の地域社会学―大熊町の一〇年』白水社、2021年2月に詳しい。)

 そうであるならば、私たちは「原発廃止」を主張すると同時に、原発を根底で支える「新自由主義」的構造を穿たねばならない。フエリコさんが言うように「原発にも戦争にも反対ですが、それをまるっとこえられるところ」を目指さなくてはならないのである。

 「原発反対」「差別を許すな」「憲法改悪に反対」など、個々の政治的問題に対し声を挙げていくことはとても重要である。また赤木さんやウィシュマさんの事件、現在進行形で進んでいる貧困問題など、より強く政府に早急に改善を求めて声をあげる必要がある問題もある。

 しかし同時に、それらの問題を生みだしている社会構造を変革する意思ももつ必要がある。ただし構造を変えるには非常に長い時間がかかり、その間私たちはその構造に苦しめられながらも生き延びなければならない。田村が提示したのは、「社会運動」がそれを両立させられる可能性である。

 1回の運動で、社会が変わるわけではない。しかしそこに参加し、誰かと関係しあうことで人々は変わっていく。そこからゆっくりと社会は変わっていく可能性を持ち始める。

 そのような緩慢なことと思われるかもしれない。しかし、あれだけ多くの人数を集めて大いに盛り上がった「事故」直後の反原発デモでも、原発は止まらなかったのである。数をいくら動員しようとも、それで社会が変わるわけではない。

 デモから始まった社会運動はまだ「途上」にある。様々な場所で、様々な運動を起こして、人とつながり、その関係性から生れ出るものによって少しずつ構造を変えていくこと。一度に全てが良い方に向かうような解決策を求めないこと。そのような解決策がなくとも「絶望」しないこと。

 それがいまとても重要なことのように思うのです。


【ウネリウネラから】

 加島さん、今回も考える手がかりを与えてくださり、ありがとうございました。先日の衆院選選挙結果を受け、読者の方々もさまざまな思いを抱いていると思います。

※映画『発酵する民』については、ウネリウネラも平野隆章監督へのインタビュー記事を発表していますので、よろしければお読みください。

鎌倉発の3・11映画『発酵する民』平野隆章監督インタビュー
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