鎌倉発の3・11映画『発酵する民』平野隆章監督インタビュー

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発酵、発酵、ぐーるぐる♫ 

発酵、発酵、ぐーるぐる♫

3・11をきっかけに脱原発パレードをしていた神奈川・鎌倉の人びとが、一風変わった「盆踊り」を始めました。大豆がみそに、米が日本酒に変わるように、世の中が少しずつ、じんわりと、変わっていきますように――。「発酵」をキーワードに、踊ってアピールして世の中を変えようとする人たちの姿を撮ったのが、映画『発酵する民』(2020年、平野隆章監督)です。

3・11から10年。こうした作品を見て、自分たちの暮らしの足もとを見つめなおしてもいいかもしれません。監督の平野隆章氏にインタビューしました。


●作品紹介
海と山に囲まれた古都・鎌倉。2011年、このまちで「脱原発パレード」を行った女性たちが「イマジン盆踊り部」を結成した。彼女たちは、日々の生活の中で浮かび上がってくる思いを唄にして踊り始める。お酒や味噌、パンづくりの思想から生まれた「発酵盆唄」。海水を汲み、薪で火を炊いて塩をつくる「塩炊きまつり」。やがて、風変わりな唄と踊りが、人びとをつなげてゆく。この映画は、鎌倉や葉山のユーモア溢れる抵抗者たちと、盆踊りの渦、女性たちの笑い声を描きながら、太陽系を縮小した円形の暦「地球暦」のマクロな視点や、「発酵」のミクロな視点を交差させてゆく。混沌と優しさの中で、何が見つかるだろうか。

映画公式サイトから引用
©福々映像

ウネ 平野監督、はじめまして。よろしくお願いします。

平野 よろしくお願いします。

ウネ まず、おおざっぱに聞いてしまいますが、『発酵する民』はどんな作品ですか。

平野 東日本大震災と原発事故がありました。鎌倉の人たちのそこからの変化を描いたドキュメンタリーです。震災後、脱原発デモを行っていた人たちが、デモから盆踊りや唄作りに変わっていくんですけど、その変化を長い時間かけて見つめた映画です。

ウネ 原発事故の直後から、じっくり時間をかけて作ったんですね。

平野 というより、ぼく自身が初めて撮る映画だったので、製作に7~8年(2013~2020年)もかかってしまったんです。その結果として、その期間の変化を見つめることができた、という感じです。

ウネ どんなきっかけで撮影を始めたのですか。

平野 ぼくは今、フリーランスで映像制作の仕事をしているんですが、当時は市民メディアの「OurPlanet-TV」で働いていました。はじめは東京で市民の動きを撮っていたんですが、その年の4月ごろ「鎌倉でも脱原発パレードをやります」というプレスリリースが届きまして。はじめは1、2分のニュース映像を作ろうと、気軽な気持ちで鎌倉に行きました。

思い出してほしいのですが、当時は東京もすごく緊張感がありました。原発をどうするか、言葉の使い方にも気をつかって、「反原発」か「脱原発」か「エネルギーシフト」か、などと議論されていた頃でした。

それが、鎌倉に行くと、東京(東電前や国会前)で行われていたデモとは少し雰囲気が違ったんです。「原発反対!」「原発やめろ!」といったシュプレヒコールではなく、自分たち一人ひとりが感じていることを街中で叫んでいる、という印象でした。中には「原発さん、ありがとう!」などと言っている人もいました。

ぼくは「今こういう風には言えないな…」と違和感を抱きましたが、違和感と同時に、緊張状態の中でも思い思いの言葉を使っているところがいいなあ、とも思いました。なんとも言えない複雑な気持ちになり、魅かれるものがありました。

平野隆章監督(本人提供)

ウネ それをきっかけに、鎌倉に通いはじめたんですね。

平野 定期的にあった脱原発パレードを撮影していたら、ある時、パレードの中心メンバーの女性たちから「わたしたち、盆踊りを始めたよ」と言われました。ぼくは「脱原発で盆踊りってどういうことだろう?つながらないなあ」と違和感がありましたが、踊りの練習を見に行ってみたら、またそこで、よく分からないけど魅かれるものを感じたんです。メンバーの方たちは当然、盆踊りを始めてからも「脱原発」の思いを持っていました。また、踊りには「戦争反対」の思いも込めていると言います。

ウネ でも、それを直接的に打ち出すパレードはやめた。別の表現を考えた。

平野 そうです。中心メンバーの「ふえりこ」さんは、「原発にも戦争にも反対ですけど、そこを丸っと超えられるようなところを目指してやっています」みたいなことを言うんですよね。はじめはぼく、「うーん、分からないなあ」という感じだったですね。

ウネ 報道の現場にいた平野さんには、分かりづらい表現だったのかもしれませんね。

平野 ただ、よく分からないながらも、この人たちがどんなところを目指しているのか見てみたい、という気持ちになりました。彼女たちの活動が「すばらしい」という気持ちより、「分からない。なんだろう?」という気持ちで撮り始めた感じです。

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©福々映像

ウネ 撮影を終え、その「目指すところ」は分かりましたか。

平野 抽象的ですが、ムードみたいなものは感じることができたかなと思います。盆踊りのシーンもそうですが、それよりも彼女たちの何気ない日常ですね。女性たちがお味噌づくりをしながら鼻歌をうたうシーンがありますが、ああいうところを見ていると、なにか“確かなもの”があるなあと感じました。こういうムードで生きられたらいいな、とじんわり思うようになってきましたね。

ある時、映画を見てくれた年配の男性が、「この女性たちみたいに仕事ができればいいなあ」とポロっと感想を言ってくれたことがありました。その感想を聞いて、「ああ、それ分かるなあ」と思いました。ぼくは彼女たちと全く同じ風には生きられないけれど、そういうムードを醸し出して生きていけたら、少し楽になれるかなと思いました。

©福々映像

ウネ 監督が気に入っているシーンはありますか。

平野 ストーリー展開の上では「ここはなくてもいいんじゃないか」というシーンをけっこう入れているつもりです。たとえば、男性たちが暗闇の中で将棋をさしているシーンがあります。盆踊りのストーリーからは外れるんですが、ぼくは見ていて「いいなあ」と思ったので、映画に入れてみました。上映した時もこういうシーンがご好評をいただきました。

ウネ 個人的には、「地球歴」という独自の暦が登場するんですけど、その考案者の杉山開知さんがおもしろかったです。考案したきっかけをこんな風に言いますね。

「ピザ屋さんで働いていたんですよ。ぼくの青春時代っていうのはそういうところにあって。とにかく時間を気にする仕事だったんですね。外資系の会社で働いていて、たくさんのマニュアルがあり、365日24時間、限られた時間の中でいかに結果を出すのか、みたいな。ぱっと自然の中に身を置いてみると、生態系の生物がもっている時間の感覚って、ぼくらが使っている暦や時計とは決定的にちがっていて。ぼくたちだけが独自なはかりをもって独自な世界を作り上げていて、たしかに部分的に見れば正しいかもしれないけれども、全体を俯瞰して見ると、どうもそれが、なんか不具合、不調和を生んでいるんじゃないか、ということを客観的に思って」

ウネ よっぽどピザ屋で目の回るような働き方をさせられていたんだろうなと。

平野 ぼくもあのシーン、おもしろかったので残しました。ご好評いただいています。

ウネ パンで、宇宙とかすべてを表現してしまうパン職人も出てきますよね。すごいなあと。

©福々映像

平野 先ほども話した「盆踊り部」のふえりこさんが作品の冒頭に登場します。彼女が観客の手をとって映画に引き込む役割を担ってくれています。彼女を中心に一風変わった人がどんどん出てきますので、身をゆだねて楽しんでもらえればと思います。

ウネ 作品の冒頭に字幕が入ります。

発酵とは、微生物が有機物を分解し、人にとって有益な物質をつくりだすこと。人に害がある状態になると「腐敗」と言われる。発酵の「フェルメンテーション」という語源は「沸騰する」「政治的動乱」という意味を持つ

「発酵=フェルメンテーション」という言葉に目をつけたセンスがいいと感じました。このイメージは撮影前から平野さんの中にあったんですか。

平野 いいえ。ないです。自分にはよく分からなかったんですよ。盆踊り部の人たちを取材し、そこからメンバーそれぞれの普段の仕事、パン屋さんだったり造り酒屋さんだったりを撮影していく中で、「発酵」という言葉が何度も出てきました。それで「発酵」という言葉の意味を調べていくと、いろいろおもしろいなあと思ったんです。

ウネ こんなシーンもありました。夜の国会デモの様子を上空から撮っている映像。デモ参加者たちのカメラのフラッシュや持っている光(ペンライトでしょうか?)がきらきら光って、星空のように見えました。平野監督はその映像を、発酵菌の顕微鏡映像と連続させますよね。自分のできる場所で、自分ができることをやっていく。一つひとつが小さな動きでも、たくさん集まれば、じわじわと世の中が変わる。そんなイメージかと思います。私もいいなあと思いました。

平野 原発事故は、スケールが極端に大きいじゃないですか。時間軸が長い。たとえば福島第一原発は廃炉まで100年くらいかかると言われています。自分の人生の中には今まで存在しなかった時間軸です。それならいっそのこと、極端にものの見方を変えてみたらおもしろいんじゃないか。そんな感じで、微生物や季節感、惑星の動き。そういうものに視点を広げて考えてみた、という感じです。

©福々映像

ウネ 平野さんはOurPlanet-TVで活動していたんですよね。原発事故の時の東電の様子を写した『東電テレビ会議 49時間の記録』の編集に名を連ねています。

平野 原発事故の前は、野宿者の取材などが多かったです。“年末年始に支援者が公園で炊き出しをしているのに行政が予告なしに公園を閉鎖”とか、“行政が公園から野宿者たちを追い出そうとしている”とか、そういうニュース動画を配信していましたね。

ウネ あえてジャンル分けするなら、「ビデオジャーナリスト」でしょうか。それを知ると、少し不思議に思いました。3・11が起きて、多くのビデオジャーナリストたちが福島、あるいは南三陸の被災地に入り、作品を撮っています。平野さんはなぜ、鎌倉に向かったのでしょうか。

平野 福島でも取材を続けています。長く通っているのは、南相馬市小高区の学校です。14年から通い始め、節目ごとに15分くらいの動画をつくってきました。でも、福島のことをドキュメンタリー映画にしたいと思ったことはないです。福島の取材は緊急性が高いです。映像をすぐに流して、政策に影響を与えていくほうが重要だと思っています。映画という形にまとめて出すというのは、少し抵抗がありました。

ウネ ああ、そういう考え方なんですね。

平野 そうですね。ぼくは映画がすべてだとは全く思っていないので。本当は両方できればベストなのかもしれませんが……。それと、ぼくは、福島に比べて鎌倉は被害がたいしたことがないから、ここは撮る価値がないとは全く思っていないんです。

ウネ というのは?

平野 この原発事故の被害の範囲をどこまでと見るか、作り手がとても試されていると思います。広島ではいまだに「黒い雨」の問題があります。地元の人が「被害を認めてほしい」と言っているのに、国は「被害はどこまでだろう」ということをいまだに議論しています。東日本大震災も同じです。あの地震は、関東在住のぼくにとっても人生で一番大きな地震でした。計画停電もありました。放射性物質も飛んできました。静岡では茶葉が汚染されて大きな問題になりましたよね。

ウネ たしかに。原発事故を福島県という行政区域に限った問題だと考えるのは危険ですよね。

平野 鎌倉は「被害の中心」ではないけど、確実に「被災地」の一つではあります。ぼくは被害の「中心地」ではなく、その「ギリギリ」を撮っている。そういう認識は常にありました。

ウネ そうか……。平野さんのジャーナリストとしての視点、勉強になります。『発酵する民』はとてもきれいな映像が続きます。そういう意味で、きょうお話を聞くまでは平野さんはもっとアーティストの要素が強い方なのかと思っていました。正直言って、意外でした。これからどんな作品をつくっていきますか。

平野 将来のことはまだ分からないですね。自分としては、やっぱり日々のニュースが一番大切かなと感じていますが……。まずは初めて作った映画を皆さんに見てもらいたいと思っています。いろいろな映画館に自分から電話をかけて、「上映してくれませんか」と相談しています。

平野隆章監督と猫(本人提供)

ウネ 5日からは福島市内の映画館「フォーラム福島」で上映が始まりましたね。

平野 フォーラム福島の阿部さんにも電話をかけてサンプルのDVDを送りました。そうしたら「ぜひ上映したい」と電話をいただきました。阿部さんから電話をいただけたのは、本当にうれしかったです。

ウネ 福島は特別ですか。

平野 「よし、お披露目だ!」という気持ちよりも、「緊張」しています。福島で映画を見てくれた人から感想を聞いていければと思っています。

ウネ 福島の人もそうですが、やはりこの映画は「福島以外」、全国各地で見てほしい作品かなと思いました。

平野 そうですね。がんばって営業します。今年の夏には渋谷のユーロスペースで公開してもらう予定です。コロナで映画館はお客さんが少なくなっています。満員のときの熱気はありませんが、見に来てくれる方、一人ひとりに向き合うつもりです。上映後、ぜひ感想を聞きたいです。


【ウネリウネラから一言】

ウネリウネラはだいぶ、勘違いしていました。『発酵する民』はとても映像がきれいな作品です。登場する人たちも、みんな個性的で、おしゃれです。いわゆる「アート系」の監督が、おしゃれな人たちの生き方に共感し、カメラを向けたドキュメンタリーだろうなと勝手に思っていました。そうしたら、平野監督はむしろ「ジャーナリズム」に力を注いでいた方でした。むしろ、「発酵?よく分からないな」というところから取材が始まったそうです。今考えてみると、その「よく分からないけど撮ってみよう」という、撮影対象との一定の距離感が、この作品の魅力になっているのかもしれません。

3・11をテーマとしたドキュメンタリー映画は“重い”作品が多いです。事態が事態だけに、仕方ありません。でも、見る側の気分、心の状態によっては、その“重さ”をつらく感じると思います。スクリーンにあまりにも無残な状況が映し出されたり、怒号が飛び交ったりすると、ダメージが大きすぎる時があります。『発酵する民』は平野監督が言うように、“じんわりと”作品から何かを感じとることができる作品だと思います。

福島では3月5日から11日まで、映画館「フォーラム福島」で公開しています(各日11:30〜/ 18:30〜)。8日からは平野監督もいらっしゃるそうです!

©福々映像

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