横浜市青葉区の横浜市民ギャラリーあざみ野にて開催されている「もやい.next」を3日間(12日~14日)見学してきた。展覧会自体は10日からはじまり、21日まで行われた。
「もやい展」がどのような展示会であるかは、昨年東京船堀で開催された際のレビューを『ウネリウネラ』さんに載せていただいているので、詳細はそちらを確認いただければと思う。
ここでは、忘却の波に抗い、東京電力福島第一原発「事故」を継承し、観客とともに考えようとする芸術展であるとだけ述べておきたい。
「もやい展」のコンセプトは、一貫しているように思える。そのため昨年書いたレビューと重複する感想も多く抱いた。しかしそれは、事件が生起すると同時に即座に忘れられる社会においては、貴重なことだと考える。
「事故」を忘れてはいけない、忘れさせてはいけないと考える芸術家の人々が集う重要な展覧会である。私の主要な感想は、上記のリンクから確認していただきたい。そして、今後の「もやい展」や出展作家のみなさまの活動に関心を寄せていただければと思う。
◆「next」と銘打たれた意味
今回の展覧会の特徴のひとつは「next」と銘打たれていることである。「事故」当時は幼かった作家も多数参加しているため、「next」(next generation)と銘打たれているというのが、運営の意図であるそうだ。現に主に1階では20代から30代前半までの作家の作品が、2階で常連となった作家の作品が展示されていた。
世代で展示のスペースが分かれていたことが大きく、1階と2階で作品の傾向は異なっていたように思う。1階が抽象的に「事故」を捉え、観客の思考を促すのに対し、2階は直接「事故」の影響が最も強かった、福島県相双地区の具体的な様相を捉え、観客の想像力を働かせようとしていたと、ざっくりとはまとめられるかもしれない。1階と2階の展示の傾向の差異から、展覧会を考えていくという方向も、もちろんあると考える。
しかし、私は1階と2階の作品の傾向の差異よりも、共通して描かれるモチーフに関心を惹かれた。それが何より、作家同士が問題意識を共有することで、「事故」後の記憶を「継承」しているように(していく可能性を拓いているように)感じたからである。
今回は「牛」というモチーフから、その点を詳述することからはじめたい。
◆牛を孤立させたのは、誰なんだ-阿部尊美・田野勝晴
上記の写真は、阿部尊美の作品である。阿部は1957年東京生まれ。大震災後、岩手県で活動したことをきっかけに、社会や原発「事故」に言及した作品を作成するようになったとのことである。今回の出展作品には、フレコンバックや牛を撮影したものが多々あった。そのなかでも、私が最も惹かれたものは、下記の作品である。
おそらく「希望の牧場」(浪江町)で撮影された牛と思われるが、この牛がどこを見ているのかに注目したい。私が取った下手な写真では伝わらないかもしれないが、この写真の前に立ったとき、私は、牛が私の方を見ているように感じたのである。写真を観る者と被写体である牛の視線が交錯するようにシャッターが押されているように私は感じた。写真を観る者は、そこから何を感じるのか。牛は何を訴えているのか。
話を脱線させてしまい恐縮なのだが、近年、原発「事故」以後の文学研究において、「動物」に着眼する発表が増えた。発表者は、当然なぜ原発「事故」以後の「動物」に着眼するのかその理由を説明する必要がある。私が見知っている限りでは、その理由を「原発事故以後は、人間が立ちいることができなかったり、その地域に動物だけが残されている場合が多々あり、その地域を描くうえで、動物が使用されている場合があるからだ」と説明される場合が多いように思う。
なるほどそれは、その通りなのかもしれない。ただその説明からは、絶対に抜けてはならないものが私は抜けていると思う。その人間が立ち入れない状況を創り出したのは、いったい誰なのだ、という問題意識である。その問題意識がない限り、単なる文学テクストを読み解いて終わるだけである。もちろん、全ての文学研究者が、研究室から一歩も出ないでできるような研究に終始しているわけではないが、そのような研究が目につくのも現状である。
話を阿部の写真に戻す。そのような問題意識を持っている人間が、阿部の写真の前に立ったときに、牛が訴えかけているように感じたのは、「人間であることの責任」である。「私たち=牛たち」をここに追い込んだ「人間」としての責任である。
責任の内実は追って明らかにしていくが、同様の想いを抱いて観たのが、1997年生まれの田野勝晴の以下の絵である。
左上の牛の姿に注目したい。阿部の作品でもわかるが、牛は両目の間隔が広い。そのため田野の絵のように片目だけを描いても牛とはっきり認識できる。そして田野の描く牛も、涙を流しながら絵の前に立つ人間を見ていると思うのである。
牛は、人間が用いる言葉を使うわけではない。人間が用いる言葉によって、声高に何かを叫べるわけではない。しかし、存在しないわけではない。人間に届くように、声を出せない存在に対し、どのように応答するのか。人間が引き起こした「事故」によって、牛たちが追い込まれた現状を、田野は涙を流させることで表現したのだと、私は読み取る。では、その表現の前に立つ私(たち)は、何にどのように応答するのか。「声」なき存在に応答しようとすること、何が「応答」することになるのかと、思考すること。
それが、原発「事故」に「人間」であることの責任のひとつであると思うのである。
◆「当事者」のみに「責任」を負わせてきたのではないか? -井上美和子『ほんじもよぉ語り』から
12日金曜日には、福島県浪江町から京都へと家族4人で避難した井上美和子による『ほんじもよぉ語り』が開催された。
(『ほんじもよぉ語り』の詳細は、彼女のHPを参照してほしい)
https://honjimoyoogatari.jimdosite.com/
そこで語られていた話に、愛犬「ペペ」の話があった。
(加島の記憶で書き起こすため、細部が井上の語りと異なっている可能性があることを、先にお詫び申し上げる)
井上は、原発「事故」直後に、浪江の自宅から避難する際に、愛犬の「ペペ」を結果として置いていくことになってしまった。その後「ペペ」の様子が気になり、井上はパートナーと一緒に浪江の自宅に車で戻り「ペペ」が生きていることを確認する。そこで「ペペ」を車に載せて、京都の避難先へと連れて戻るか、パートナーと議論になる。パートナーは「ペペ」を連れて戻ると主張するが、井上は浪江の屋外にずっといた「ペペ」を幼い子どもも乗る車に載せることはできないと主張し、結果エサを大量に置いたうえで「ペペ」を置いて浪江を去ることを選択する。
アイコンタクトを取り、パートナーとともに急いで車に乗り込み、急発進させるものの、その後ろを「ペペ」が懸命に駆けてくる。「ペペ」がエサのある自宅に戻れない距離まで駆けてこないように、ふたりは泣きながら速度をあげる。
井上がその模様を語るあたりから、会場からはすすり泣く声が聞こえていた。
その後、「ペペ」は動物レスキューに保護され、井上の住む京都の避難先まで無事届けられ、「ペペ」の天命を家族で看取ったことが語られる。しかし井上は、「ペペ」を見捨てて、自分たちの娘(が被曝しないこと)を選んだことや、娘たちもとても可愛がっていた「ペペ」を見捨ててきたことへの罪の意識を感じており、それが消えることはないだろうと語っていた。
井上の語りを聞いた人間が、井上の選択を責めるということは、おそらくないのではないかと考える。「事故」直後の様子と心情の変化を細かく、丁寧に伝える井上の語りは、それを聞く者に「自分が同様の立場に置かれた際には、同じ選択をするかもしれない」という説得力のある想像を起こさせるからである。そのような想像をするということは、大変に重要なことなのは言うまでもない。ただそこで終わっていいのか、というところまで踏み込んで考えたい。
繰り返すが、井上の語りを聞いて、涙する。感情を揺さぶられる。避難者が置かれた当時の状況に想いを馳せる。それは大切なことであり、当たり前だが、その心の動きを批判したいのではない。聴き手がそのように心が動いたとしても、井上が感じている「ペペ」への罪悪感は消えることはないということである。
なぜ井上が罪の意識を抱かねばならなかったのか。原発「事故」が起きたからである。では、その「事故」は、誰が招いたのか。原発に関心を持つことなく過ごしてきた「私」たちに「事故」の責任(の一端)はあるのではないか。にもかかわらず、この11年間、強制避難区域を中心とした動物たちを置き去りにしてきたことへの罪の意識、ないし「責任」を感じてきた人々の大半は、そこから避難してきた「当事者」の人たちだったのではないか。動物への「責任」までをも、私たちは「当事者」の人々に押しつけていたのではないか。
そのように「私たち」は問わなければならないように考える。涙を流すことが悪いわけではないが、涙を流すと「何かをした気になる」のも事実である。「私」(たち)は泣いていてよいのだろうか、泣いている場合なのだろうか。泣くことで終わらせてよいのだろうか、とは問い続けていきたいと思う。
◆ウクライナへと続く回路
「もやい.next」のもうひとつの目玉は、ウクライナ人のアーティストであるMariko Gelmanが来日して行ったワークショップと、彼女の新作の展示である。
彼女はチョルノービリ(チェルノブイリ)原発「事故」を経験し、甲状腺を摘出している。そのため生涯に亘り薬を飲み続けなければならない。彼女の新作は、彼女が飲む薬殻や日本で甲状腺を摘出した人たちが飲まなければならない薬殻、またチョルノービリ原発や福島原発「事故」を経験した人々に関する物をくもりガラスのなかに閉じ込め構成したものである。くもりガラスであるため、外からは見えにくくなっていると、彼女も作品を説明する際、説明していた。しかし、見えないわけではない。原発「事故」以後、何が起こっているか、その現実は、確かに見えにくくなっている。あるいは、ガラスを立てるようにして、「現実」を見えにくくするように働きかけている者たちがいる。
加えて、写真からは見えにくく恐縮だが、「生きていればつらい事もある…。でも、それと同じくらい幸せな事もある!!」と書いた紙が、くもりガラスの向こう側には存在している。原発「事故」以後の現実と同様に、希望も見えにくいのだと思う。ただ、それは存在するということを、マリコの作品は示しているように受け取った。
13日に行われた彼女のワークショップは、参加者がそれぞれ一枚の大きな紙に「楽しかった思い出を書いてみよう」というものであった。何人かの書かれた思い出を聞いた後、彼女は「私たち(ウクライナ人である自分たち)と、日本に住む人たちを引き離そうとする力よりも、それを結びつける力の方が強いと感じた」というようなコメントを行っていた。ウクライナの人々と日本に住む「私たち」が共有できるものに、彼女は賭けているのだと思う。
共通の基盤を見出すことで、自分とは「異なる」と感じる人々同士を結びつける回路を生み出すことは、可能なはずである。
世代やバックボーンの違う作家が「事故」を媒介につながること。描かれた作品を通じて、「動物」とつながろうとすること。そこから「動物」に負っている責任を自覚すること。
そしていま起こってしまっているウクライナへの戦争に考えを及ぼすこと。「私たち」の責任を考えること。
「もやい.next」で行われていることは、「事故」を起点/媒介としながら、広い地平へとつながっていく問題提起なのかもしれない。
【ウネリウネラから】
昨年の「もやい展2021」に続き、日本文学研究者の加島正浩さんに展示会の感想を書いていただきました。
私(ウネリ)を含めて多くの人が、深刻な事故が起こるまで原発が抱える諸問題を傍観してきたと思います。そのことについて加島さんは深く反省しておられるのだなあと感じました。私は加島さんより10歳ほど年をとってますので、もっと反省しなければならない立場です。加島さんの文章を読みながら、「自分は何かしてきたのか?」と改めて自問しました。
なお、この「もやい.next」は8月21日に終了しました。加島さんからは開催期間中に原稿をもらっていたのですが、私の不手際で掲載が終了後となってしまいました。申し訳ありません。でも、文章の意義は展示会終了後も色あせることはないと考えております。ご寄稿いただき、感謝申し上げます。
ほかの皆さまからの寄稿もお待ちしております!
加島さんのこれまでの寄稿:
「見えなくされる」流れに抗うーー「もやい展 2021」レビュー – ウネリウネラ (uneriunera.com)
「見えなくされる」流れに抗うーー「もやい展 2021」レビュー(後編) – ウネリウネラ (uneriunera.com)
【「見る」ことと「空間」の広がりーー中村晋『むずかしい平凡』書評】(日本”文学”研究者・加島正浩さんの寄稿) – ウネリウネラ (uneriunera.com)
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