甲子園がつらいという話

今年は新型コロナウイルスの影響で全国高校野球選手権大会、いわゆる夏の甲子園大会が中止になりました。

この大会のファンがたくさんいるのは知っていますし、私の友だちにも、実家の家族にも、高校野球好きな人が多いです。親戚には球児もいて、その子のことは私も応援しています。

こうした人たちが大会中止を残念がる気持ちはよくわかります。その気持ちを否定するつもりは、一切ありません。本題に入る前に、まずそれを書いておきたいと思います。

甲子園がつらい理由

そのうえで、私は夏の風物詩となっているこの大会を見るのが苦痛です。毎年この時期になるのが嫌で仕方ない。高校野球がテレビで放映されていると、とても苦しくなります。

「嫌なら見なければいい」と言う人もいるでしょう。でも、高校野球は、どんなに避けようとしても、完全には避けられないほどの大イベントです。地方大会もあり、町を歩いていれば、ユニフォームを着ている選手たちに出くわします。当然、その選手たちに罪はありません。

けれど、多くの人が大好きなイベントを一緒に楽しめない人、むしろそのイベントの季節になると特別に苦しくなる人がいることを知ってほしくて、この文章を書きます。

なぜ私がこういう気持ちになるか、お話しします。

甲子園で起きた性被害の経緯

私は昨年退職するまで、夏の甲子園大会を主催する朝日新聞社に勤めていました。入社したての若手記者は、地方に配属されます。そこで野球取材を経験することになっています。

私の初任地は静岡でした。ほかの同期の記者と同様に、静岡で高校野球の取材を命じられました。夏の大会では、学校や試合の取材だけでなく、主催者として大会のプログラム作り、高野連との連絡役も務めます。

この仕事は、野球の好き嫌いに関係なく担当します。全く関心がない人は、野球のルールを学ぶところから始めなければなりません。私の場合、父は体育の教師、家族もほとんどスポーツ好きで、夏になればテレビでは必ず高校野球中継がかかっているという家庭でしたから、野球についてはそこそこ知っていました。自分も遊びでソフトボールなどをやっていましたし、高校時代は母校の野球部の県大会を応援に行ったこともあります。

学生時代までは、野球に嫌な印象はなかったのです。

そうした状態で、静岡で野球を担当するようになりました。スポーツ取材をやりたくて入社した訳ではないし、「そうしたもんだ」と淡々と仕事をこなしていました。

まずは、春の選抜大会がありました。私は静岡から出場したある高校の野球部を担当しました。甲子園に出張してこのチームの取材をしていたら、チームは勝ち進み、最終的に優勝してしまいました。私は担当記者ということで、優勝校の監督について朝日新聞2ページ目にある「ひと」という欄を書きました。

新聞社内では目玉記事とされ、先輩たちには「若いうちに『ひと』を書けるのは光栄なことだ」などと言われました。私はそれほど嬉しくはなく、たまたま強いチームを担当して大変だったな、くらいの感想しか持っていませんでした。

そして夏の大会の時期になりました。夏ももちろん、静岡県内では春に全国優勝したこの高校が注目を集め、案の定、夏の静岡大会も優勝しました。注目されていたからといって、私はそこまでこの高校に入れ込んでいませんでした。監督とも選手ともそれほど仲良くならずに、大会に出場する各学校をなるべく均等に回っていました。

全国大会が始まり、私はその学校の帯同記者として、甲子園に行きました。地方大会と同じく、監督へのインタビューや選手取材など、私は淡々とやっていました。「淡々と」というのが私のスタンスでした。その点は強調したいと思います。

夏の大会では、主催者である朝日新聞の担当記者は大会期間中、担当チームと同じ宿舎に宿泊します。このへん、今はどうなってるか知りませんが、当時はそういう運用がされていました。そのチームは大阪府内のシティホテルを使っていました。大きくてきれいなホテルです。(小さな旅館に泊まる県もあると聞きます。そういう学校は、セキュリティ面でさらに危険だな、とも思います。)

少なくとも私が宿泊したホテルは立派で、私にはカギつきの個室が用意されていました。ほかのチームの熱心な担当記者の中には、宿舎に帰ってからも取材し、食事も監督や選手たちと共にしていたなどということも聞きましたが、私はそういうことは一切しませんでした。

チームが何回か試合に勝ち、そのホテルに滞在していたある夜、私の部屋のベルが鳴りました。ドアを細めに開けると、選手の一人が立っていました。「話がしたい」と言います。少し不安そうな声に聞こえました。何度も「話したいことがあるんです」と言うので、私がもう少しドアを開くと、その選手はドアの隙間に手を差し込んで、スーっと私の部屋に入ってきました。私が反射的に後ずさりすると、選手はその隙に後ろ手にドアを閉め、閉めたドアの前に立ちました。

部屋から逃げ出すためにはドアを開けなければならず、そのためには選手に近づかなければなりません。体格も私より大きい選手ですし、触られる心配もあり、怖くてドアに近づけませんでした。

ドアの前に立ちはだかった選手は、ひわいな言葉を並べ立て、ズボンの中に手を入れ、マスターベーションを始めました。「胸、大きいですよね」などと、気持ちの悪い表情で言っていました。

前述の通り、相手は体が大きい男性で、私は逃げたくてもドアに近づけない状態でした。選手を説得して行為をやめるように促すしか、私には方法がありませんでした。

「やめてほしい。やめないと大変なことになるよ」

「試合に出られなくなる。監督に電話するから、すぐに部屋を出なさい」

選手ははあはあと息をして、ニヤニヤした顔つきで、とてもまともな状況ではありませんでした。

「試合に出られなくなる。帰りなさい」と、私はくり返しました。しばらく経ち、ようやく選手は自分から部屋を出て行きました。

その後、部屋の電話が何度も鳴らされました。その選手からです。「言わないでくださいね」と言ってガチャンと電話を切ったり、はあはあという吐息の音だけをさせたり、気持ちの悪い電話が続きました。

事件の翌朝、甲子園球場で、高校野球期間中の担当の上司(デスク)にありのままを伝えました。2人のデスクは血相を変え、表情としては「大変なことだ」という受け止め方だったと思います。

しばらくして伝えられたのは、「とりあえず宿舎を移れ」ということでした。チームと同宿のホテルを出て、兵庫県内の別のホテルに荷物を移しました。なぜ被害を受けた私がこっそりホテルを出て行かねばならないのか、納得がいかない気持ちでした。被害を受けてからしばらく、食事がのどを通らなくなりました。

被害を受け、別のホテルに移動してからも、私は加害者のいるチームの取材を続けさせられました。担当のデスクは「取材はできる範囲でいいから」と配慮めいたことを言いましたが、私には続行を命じられること自体が驚きでした。

次の試合は準決勝でした。私の直属の上司である静岡総局長は、事件直後からすべて報告を受けているはずですが、甲子園に来て私と顔を合わせたのは、この準決勝の日。事件の2、3日後でした。私が担当しているチーム、加害者の選手が何食わぬ顔でプレーするチームを応援に来たのです。総局長は私の顔を見て「君、やつれたな」と言いました。

私はこの準決勝の取材も、淡々とこなしました。ベンチ裏では選手たちを取材する輪に加わったり加わらなかったり。取材のほか、主催者として報道各社に事務連絡を行ったりする仕事もありました。チームが準決勝で負けたときは、正直、「これで終われるんだ」とほっとしました。

静岡に帰ってからも、地方版に甲子園大会の「ふりかえり記事」を書く必要がありました。大会中に書いた記事をなぞるような形で、なんとか最低限の記事を出し、野球取材を終えました。

被害者の未来~私は被害後を生きてます~

それらの仕事もすべて終わった8月の終わり、事件の処理について静岡総局長から説明を受けました。

「学校側は全部認めた。学校から当該の選手らに聞き取りを行い、本人もすべて認めたそうだ。で、学校側は僕の前で謝った。相手は未成年だし、未来がある。この件の処理はこれで終わりだ。」

と、総局長は私に告げました。私の返答を待たず、総局長は9月以降の人事の話を始めました。秋からは県警キャップ(事件担当の責任記者)をやってくれ、とのことでした。

私は、この高校野球での性被害の前に、警察官からも性被害を受けていました。その際は、私自身が県警の取り調べを受けた上で、当該警官は事実関係を認め、依願退職しています。

総局長はそうした経緯を知っていたにもかかわらず、私に県警キャップを命じました。傷口に塩を塗るような話です。

もう、ほとんど目の前で話されていることが信じられないレベルでした。ちなみに、上司が私を県警キャップにする理由は「引き受けられる人が君しかいない」「君のキャリアのため」ということでした。

私はそんな「キャリア」を求めた覚えは、一度もありません。

結局2カ月あまり踏ん張ったものの、10月には精神科、心療内科に通うようになり、仕事を続けることはできませんでした。

医師からは被害を想起させるような事柄、たとえばニュースなどはできるだけ見ないようにと言われました。記者の仕事をする前提の情報収集ができない状態では仕事になりません。休職せざるを得なかったのです。

それでも、何カ月かで復職しました。自分も立ち直りたいという気持ちがあったのです。さすがに県警キャップは外れ、行政担当になりました。

なんとか行政の記事を書いていた被害翌年の5月、週刊誌に甲子園での性被害についての記事が出ました。私と同時期に選抜大会を担当していた他紙の記者が、同じ学校の野球部の、監督からセクハラを受けていたのです。

記事はその件が中心でしたが、あわせる形で私のことも書かれていました。細部を除けば、ほぼ正確な内容でした。

週刊誌のコピーが静岡総局に来て、当時の総局長(※大会当時の総局長とは別の人。当時の総局長は別の部署に異動していました)から「しばらく休んで。取材はもちろん会社にも来なくていいよ」と言われました。

私は指示通り自宅で休んでいたので知りませんでしたが、週刊誌報道を受けて騒動になり、学校が謝罪会見を開いたようです。学校側が認めたことで、新聞やテレビも取り上げました。朝日新聞もこの時はじめて、私の事案について報じました。ここでは細かく書きませんが、そのときの朝日新聞の報じ方には大変違和感をもちました。主催社であり、被害者の私が在籍する朝日新聞社として、記事上で何ら説明を果たしませんでした。

その記事を見て、私は傷つきました。そうした記事が出ることについて、当事者の私には誰からもなにひとつ報告がなかったことも、言っておきたいと思います。

さらに長い期間休み、静岡を離れて別の土地に異動し、復職しました。なんとか働こうとしましたが、どうしても無理なシチュエーションがありました。男性と一対一になる時は、がんばる気持ちがあっても、相手がたとえいい人だと分かっていても、事件がフラッシュバックし、仕事にならない状態になってしまいます。そんな自分が嫌になることもありました。自分を傷つける行為を、何度もしました。

そして私は、何度か休職と復職をくり返した後、退職を決心しました。退職前には覚悟を決め、被害当時の対応の是非について会社と話すことにしました。2019年2月、朝日新聞社に話し合いを申し入れ、約半年間交渉を重ねてきましたが「性被害の事実はあったものの、社としての対応に問題はなかった」との回答でした。

誰かを傷つけたいわけではない~その後の日常をどう生きればいいのか~

夏になって野球の話題が世の中で盛り上がってくると、「ここに居るのがつらい」という感じになります。しかも、高校野球にはどこか「爽やか」「ひたむき」といったプラスのイメージがくっついていますので、それが嫌だと正面切って言いづらい雰囲気があります。 

自分に被害を受けた過去があるからといって、高校野球ファンや選手たちに野球を嫌いになれとは言えません。家族や仲の良い人が野球を見ているときにテレビを消せとは言えません。

ある夏、息子と二人ラーメン屋に言ったときのことです。やさしいおじいさんとおばあさんがやっている小さな店で、家族はみんなその店が大好きでした。

息子と二人での来店は初めてで、しかも、カウンター席で食べることになりました。

「いっちょ前に、カウンターでラーメンを食べられるような年齢になったんだ」などと嬉しい気持ちに浸っている時に、後ろから実況中継の声が聞こえてきました。店の奥にあるテレビで地方大会の試合が中継されていたのです。

ラーメン屋で野球中継が流れているなどということは、当たり前の光景です。

でも私はそれにパニックを起こしてしまいました。事情を知らないスポーツ大好きの息子は、野球のルールをどんどん聞いてきます。私は動悸が激しくなり、冷や汗が流れてきます。ラーメンの味など分からなくなり、「早く出たい」とだけ思っていました。麺をすすっている息子を見て「早く食べ終わって」とばかり念じていました。

「嫌なら見なければいい」というのは無理なのです。見たくなくても、できる限り避けていても、見たくないものは不意に襲ってきます。

子どもが野球をやりたいと言い出した時にどうするか。応援できるのか、やめてくれと言ってしまうのか。でも、そうはしたくない。

子どもが見ている野球のアニメも、内心は消してしまいたいのです。でも、子どもには子どもの権利があります。それをなんとか守りたい。

でも、そうすると、私のつらさはどこにも行き場がなくなります。

考えが分かれることだと思いますし、批判も受ける覚悟ですが、私は性犯罪者、加害者を完膚なきまでに断罪せよと思ったことはありません。私に害を加えた選手も、なんらかの治療、ケアが必要な人なのだと思っています。

ただ、事件の処理にあたって「相手には未来がある」と言った勤務先の上司、静岡総局長の言葉は忘れません。私にも未来はあったのです。実際、その約十年後の未来を、私はいまだ苦しみながら生きています。私はその後、記者として満足できる仕事がなにひとつできませんでした。

はじめに書いた通り、今年は夏の大会がありません。

それにより例年に比べて、私自身の精神的負担が少ないのは確かです。たとえば、テレビが置いてある食堂には入らないとか、球場近くはあまり通らないとか、毎夏のようにこまごま気をつかわずに生活できるかもしれないと思っています。

昨年は実家に帰省したとき、テレビで甲子園の中継がついていて、夫から親に頼んで消してもらうということがありました。その時の情けない気持ちは、忘れられません。肉親の楽しみを奪うようで、とてもつらい気持ちになりました。

今年の大会中止によって、そうした実際的な負担が減るとは言え、根本的な傷がすっかり癒えるわけではありません。どうしたらこうした苦しみから解放されるのかと悩みます。現状では、時間がたって記憶が薄らぐのを期待するしかありません。

被害を受けてから10年以上が経っています。同じ被害を受けても、10年も引きずらず、「克服」できる人もいるかもしれません。しかし、私のようにずっと引きずり、ずっと苦しいと思っている人もいます。

性被害はその時だけの被害ではなくて、その後も長い間続く深刻な被害です。

私の場合は夏の季節になると苦しい気持ちが強まりますが、日常的につらい気持ちをくり返し味わわされている人もいると思います。

たとえば電車内で痴漢被害を受けた人の多くは、その後も生活のため電車に乗らざるを得ないと思います。学校でいじめにあった人は、町を歩くだけでも、制服の人、ランドセルの子ども、校舎や校庭を見つけます。そのたびに嫌なことが想起されることでしょう。

自分が「いいもの、好きなもの」と思っていることでも、それを嫌な人がいるかもしれない。

被害後私は、なるべくそうした想像力を働かせたいと考えています。

こうしたことは、当事者が言わないとわからないことが多いです。しかし、当事者が言うのはつらい。声を上げられないまま、何も言えないまま、命を閉じてしまうこともあります。

自分が経験していないことについて想像するのは難しい。ですが、そうした努力はできるはずです。

私が経験したことは特異なことかもしれません。けれどもこういう気持ちで生きている人間もいるのだということを、知ってほしいと思い、書きました。

さいたまにいた頃よく行った与野公園の薔薇

16件のコメント

  1. 『>考えが分かれることだと思いますし、批判も受ける覚悟ですが、私は性犯罪者、加害者を完膚なきまでに断罪せよと思ったことはありません。私に害を加えた選手も、なんらかの治療、ケアが必要な人なのだと思っています。』

    共感いたします。
    被害者にしてみれば、加害者のアプローチは『泣き寝入りする』『法的に(コンプライアンス的に)訴える』の二択しか無いです。

    そうではなく、加害者を罰するとか、加害者の名前を公にするとか、そこまで大ごとにはしたくなくて、加害者が今後加害をやめてくれて、自分のような被害が他の人に出なくなれば良い、と考えてる人はかなり多いのでは無いでしょうか。

    法的手段に訴える前に何段階も加害者に加害を認識させる手段があれば良いと思います。

    例えば、加害をしないためのプログラムに参加してもらうとか、カウンセリングに通ってもらうとかです。

    1. 長文お読みいただき、ありがとうございました。
      コメントで言及していただいた部分は、逡巡して書いたところでしたので、ご意見をいただきうれしく思います。

      >加害者が今後加害をやめてくれて、自分のような被害が他の人に出なくなれば良い、と考えてる人はかなり多いのでは無いでしょうか。

      私自身はまさにそのように思っています。
      被害者の方々も一人ひとり感じ方、考え方が違うと思いますし、尊厳の回復への道筋、何をもって「回復」や「解決」とするかは、千差万別なのではないかと考えます。
      有形無形の誠実な謝罪は必要ですし、罰則による抑止効果というのもあると思います。ただ、やはりそれだけでは不十分で、加害者への人間的なアプローチも不可欠だという思いがあります。

  2. はじめまして。

    10年たっても記憶が鮮明で繰り返し同じ気持ちで苦しんでおられるなら、それはPTSDになっている可能性があります。
    適切な治療をされたほうがいいのでは、と心配になりコメントしました。

    私は幼少期の性被害から20年ほど苦しみました。時間が解決してくれることはなく、自分は駄目なんだと何度も自分を責めました。
    PTSDになった場合、世間でいう時間薬というものはまったく効果がありません。
    また、周囲にもなかなか理解されません。

    私は被害から20年ほどたってカウンセリングにやっと通えるようになり、そこでEMDRという治療に出会いました。
    あまり一般的でなく認知度も低く、保険がきかず治療費も高いです。
    この治療を受けたいからといって、すぐに受けさせてもらえるものでもありません。
    絶対に効果があるものでもないですが、私には効果がありました。

    変な勧誘みたいな内容で申し訳ないのですが、本当にお困りで日常生活に支障がでるのであれば、治療をご一考ください。
    迷ったのですが、同じ苦しみに囚われている人を見過ごせずコメントしました。
    長々と失礼いたしました。

    1. つらい体験をされながら、このような文章を読んでいただき、私自身の体調にまでお気遣いいただき、ありがとうございます。
      治療については、いまだ、さまざまな方法を試行錯誤している状態です。EMDRも一時経験があるのですが、事情で中断した経緯があります。
      わざわざお声がけくださったお気持ち、うれしく思います。ありがとうございました。

    2. 私もEDMRを行っています。(最中)
      私も記事を読みながら、10年、、、という歳月を考えてEMDRについてコメントを残しておこうと思ったら先に触れていた方がいたので、コメントつけさせていただきました。
      私はそういう治療や行為は受けない、効かないと思っていたのですがそれで失った10年20年、なくせない体などへの傷跡、で考えを改めています。無理矢理感や対処療法なのかもしれませんが、私も効果を感じています。
      高価あるし、そして一定の査定をしてしか受けられないのかもしれません。
      ですが、呼吸ができるような感覚、日常がうまく周るようになっているように思います。
      駄文失礼しました。

  3. わたしは高校3年の時、所属していた部活動の顧問の先生から好意を抱かれ、性被害にあいました。被害といっても抱擁やキス等ですので、もっと辛い思いをした被害者の方々がたくさんいる。わたしはまだ被害としては軽い…そう思っていても当時は人にあうのが怖く、学校に行けなくなったりもしました。事件から10年近くなりますが、今でも歳上の男性には少し恐怖を感じますし、歳が近い男性でもその日の体調やメンタルによっては”気持ち悪い””怖い”と思うことがあります。恋愛が出来るようになったのは、去年くらいからです。その高校の制服を見るとフラッシュバックしてパニックを起こしそうにもなります。わたしの地元は田舎なので、また先生とどこかで会うかもしれない…それを避けたくて県外へ出ました。
    事件は”処理”されたとしても、加害者が”罰”を受けたとしても、被害者に終わりはありません。わたしも今でもずっとその事件に苦しめられてます。

    1. 壮絶な体験をされ、本当に苦しい思いをされていることと思います。

      >事件は”処理”されたとしても、加害者が”罰”を受けたとしても、被害者に終わりはありません。わたしも今でもずっとその事件に苦しめられてます。

      これは紛れもない真実だと感じます。
      「終わりがない」という表現には、本当に共感いたします。
      私にも、答えや解決策といったものはまだ一向に見えてきません。

      ただ、今はその中を生きることだけでいいのではないか、それしかないのではないかというようなことを思っています。
      そんなことしか言えないことがもどかしく、大変心苦しいです。

      このような長文を読んでいただきましたこと、改めてお礼申し上げます。

  4. 私もEDMRを行っています。(最中)
    私も記事を読みながら、10年、、、という歳月を考えてEMDRについてコメントを残しておこうと思ったら先に触れていた方がいたので、コメントつけさせていただきました。
    私はそういう治療や行為は受けない、効かないと思っていたのですがそれで失った10年20年、なくせない体などへの傷跡、で考えを改めています。無理矢理感や対処療法なのかもしれませんが、私も効果を感じています。
    高価あるし、そして一定の査定をしてしか受けられないのかもしれません。
    ですが、呼吸ができるような感覚、日常がうまく周るようになっているように思います。
    駄文失礼しました。

  5. EMDRについては、それについて先述されていた名無しさんへ。
    これは、記事を書かれたuneriuneraさんへです。

    私はその"声もあげられない被害”をEDMRによって、解決できるかもしれないなぁと思っています。声もあげられない、というか、”言語化できない被害”です。被害というものは嫌なものですが、言われる通り他人にとっては好きなもの嫌いではないものもあるのです。だから色々考えて言うのをやめる、、言うのを考えるのをやめる、、考えるのをやめる、、現れる嫌な気持ちを感じないようにして考えるのをやめる、、感じないようにする、、忘れようとする、、、と蓋をしていきます。そして、言葉にできない、他人に伝えられなくなるのです。
    報道を道として選ばれたのだから、使命感があるとは思うのですが、他人の痛みまで想像しなくて大丈夫だと思います。
    言葉を伝えるのは大切です。
    声を発見して広める仕事はとても素晴らしいと思います。
    しかし傷を経た身ではより傷を深められるのではないかとハラハラします。これだけの文章を書かれたのもとても疲れたのではないのでしょうか。
    それが、被害を言語化するのと同じで、被害を文章にし文字化することで自身のの安らぎや癒しや、やりがいになるのならばと思います。
    プロフの写真の素晴らしい笑顔が今もあるなら私は救われます。
    文章を仕事にされてた方にこんな未熟でつたない文章申し訳ないのですが、でも共感いたました。

    1. 思いやりのあるコメントをありがとうございます。

      >しかし傷を経た身ではより傷を深められるのではないかとハラハラします。これだけの文章を書かれたのもとても疲れたのではないのでしょうか。

      まったくその通りです。ずいぶん覚悟がいったことでした。疲れたことも確かですが、

      >被害を言語化するのと同じで、被害を文章にし文字化することで自身のの安らぎや癒しや、やりがいになるのならばと思います。

      この点も確かにそうです。
      取材相手から受けた性被害の事実を抱えたまま記者であり続けることは、私の根源的な悩みでした。被害を誰か別の人に起こったこととして見聞きしたら、記者としての自分はどうするか。これは何度も繰り返し考えてきたことなのですが、そのたびに頭の中で「少なくとも書くための努力をすべきだ」と思っていました。広く社会の理解を得るためにです。被害後も、私は記者の仕事を続け事件、事故の被害者など、ご自身の内面に葛藤を抱えている方々から話を伺いました。性犯罪にかかわる記事を書いたこともあります。そのたびに、心が痛みました。取材対象の方の沈痛な心中には踏み込んでいく一方で、私自身に起こった事件については、閉じ込めたままだったからです。そのうち、自分の中に抱えている大きな矛盾に、耐えられなくなりましたし、さまざまな症状の悪化により結果的には記者の仕事を辞めました。

      ただ、私自身には、やはり仰られる通り、「被害を文章にし文字化することで自身のの安らぎや癒し」につながるようなところがあるのだと思います。少なくとも、長い時間をかけて、現在はそのような心境にあると言えると思います。
      ただ、今後このことで精神的にまた揺り戻し(悪化)がある可能性もあると考えています。

      その時はやはり無理せずに、生き延びることを最優先に考えた行動をとりたいと思っています。

      長文となり失礼しました。
      y-umi様の症状の改善を願っております。お読みいただき、ありがとうございました。

  6. 息子が中1のとき、同級生男子から性的な被害を受けました。学校に言いましたが、それぞれを呼んで話を聞いた結果「どちらかが嘘をついている」というだけでした。もともと不登校気味だった息子はこれを機に、登校できなくなりました。その息子は20代後半になりましたが、社会に出ていきかねています。10数年経とうとしており、通常は意識に上がってこないと思いますが、人間不信・おとな不信など、いまだに尾を引いていると思います。その同級生・親等に、私も直接あたることは避けてしまいました。親として取るべき道があったのではないかと時々思い起こします。かように被害を受けたほうは深刻な問題であるのに、加害行為については「大した問題」ではないという文化・風潮が根深くあるのではないでしょうか。そこが「大問題」なのに、被害者は黙ってしまうことしかできないのが現実です。被害は増える一方、加害行為はいわば野放しです。みなさんのコメントも併せて拝見し、思い出し「おんなじだ!」と思うところあり、投稿しました。ありがとうございました。

    1. 息子様のご経験、肉親としてのtiktakさんのご心労、相当なものだったと想像いたします。

      >被害を受けたほうは深刻な問題であるのに、加害行為については「大した問題」ではないという文化・風潮が根深くあるのではないでしょうか

      この点については、今もどうすれば社会全体としての意識の変化が起こり得るかということについて、考えています。
      個人的には、早い段階での性教育が必要だと考えますが、教える側の理解が十分に深まらないまま、かたちだけそのようなことを進めても意味がないと思いますし、また、どのような環境下でそうした性教育がなされるべきなのかということは、検討が必要なところだと思います。

      >通常は意識に上がってこないと思いますが、人間不信・おとな不信など、いまだに尾を引いている

      このことは、私も同様です。最近では、新型コロナで変化した生活の中で、大きな心の揺れがありました。それまで、個人的には快復傾向にあると意識していたところ症状が大きく悪化し、ショックでした。やはり、「乗り越える」などと簡単に言えることではないと思います。ただ毎日を確かに生き抜いていくことそのものの尊さを、何度も何度も確かめるようにして過ごしていくように、私はしています。
      このようなことしか言えず、不甲斐ないですが、お読みいただきつらい体験を寄せていただきましたこと、感謝いたします。
      今日が少しでも良い一日でありますように。

      tiktakさんは、どうか過剰にご自分を責められないでいただきたいと思います。十分、息子さんのことを思っておられることがわかりますし、そのことは息子さんご自身にも伝わっていると思います。

  7. 私も過去に同級生の野球部員に乱暴されたことがあり、毎年夏に辛い気持ちになっているのが自分だけでは無いと知って涙が出ました。
    多くの部活動がある中で高校野球だけは常に大々的に取り扱われ、春は選抜、夏は甲子園、冬になればドラフト。避けようにも避け切れないのが辛いです。
    スクールカウンセラー経由で野球部の顧問と話し合いの場が持たれましたが、大会の前に揉めごとを起こして大会に出場できなくなったら大勢に恨まれるぞ、自身に非は無かったのかなど更に心を挫くような言葉ばかりを浴びせられ、高校生の私にはそれ以上立ち向かうことはできませんでした。
    保護者を呼ばれることも本人から謝罪してもらうこともなく、丸ごと何も無かったことにされた15歳の私の悔しさがいくつになっても消えません。
    私も同じく男の子を育てています。いつか彼らが野球をやりたがったら応援してあげたい気持ちはありますが、できることならどうか興味を持たないでくれと祈っている自分もいます。

    1. Kaiさん、お読みいただきありがとうございました。
      つらいお気持ちを増幅させてしまったのではないかと、心配です。
      問題意識や構図、その後たどられている経過が私自身ととても似ていると感じ、私の方もコメントを読んで胸が詰まる思いです。

      >丸ごと何も無かったことにされた15歳の私の悔しさがいくつになっても消えません。
      私も同じく男の子を育てています。いつか彼らが野球をやりたがったら応援してあげたい気持ちはありますが、できることならどうか興味を持たないでくれと祈っている自分もいます。

      ほぼ、同感です。本当に苦しいことだと思います。
      どういう方向に自分の苦しい感情を昇華させていけばいいのか。それが可能なのか。
      現時点では私にはまだわかりません。
      ですが、このように同じく苦しんでおられる方の声を聞けたことは、私にとって大きな支えとなりました。

      おつらい中ご意見をお寄せいただき、本当にありがとうございました。

  8. 体の傷や傷害は表面上見た目で確認できますが、心の傷は他者には確認しづらいものです。
    上司の方は、時が経てば忘れるだろう、その内元に戻るだろう位に思われたのではないでしょうか。そうだとしたら無責任でひどい話ですね。
    私も性的暴行ではないですが、職場で陰湿な差別やハラスメントに遭っていました。被害者として、一生消えない心の傷を負わされてしまった苦しみは、痛いほど分かります。
    その後転職しましたが、今でも時々、当時の記憶がフラッシュバックして吐きそうになることがあります。そんな時は、「今はマトモな企業で、正常な人たちと仕事できていることに感謝!」と思う事にしています。お互い、がんばりましょう!
    ちなみに私も昔、九州の朝日新聞社で仕事してましたが、やはりタチの悪いパワハラおじさんが居ました…

    1. 読んでいただき、つらい経験を語っていただき、ありがとうございました。

      心の傷が癒えるというのは、なかなか難しいことですね。
      どんな拍子にその記憶が蘇ってくるか、予想もつかないタイミングでフラッシュバックに襲われることもあり、いつまでこういうことが続くのかと思うと、絶望的な気持ちになることもあります。
      ですが、こうしてBJさんからコメントをいただいたり、生きていれば喜びもありますね。

      励ましのお言葉、本当にありがとうございました。
      心身ともに大切になさってください。

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