【ご意見ご感想】「核なき世界をめざして・田中煕巳さんのお話」に寄せて

報道

 先日、長く核兵器廃絶に取り組んできた田中煕巳さん(「日本原水爆被害者団体協議会」代表委員)の言葉を紹介しました。

[語る]核なき世界をめざして・田中煕巳さんのお話
広島と長崎に原子爆弾が落とされてから、76年目の八月が訪れようとしています。  2017年に国連で採択された核兵器禁止条約は、50か国以上の批准を得て、今年の1月に発効しました。しかし日本政府はいまだに、この条約を署名・批准していません。1...

 この文章に関連して、医師の本田宏さんがメッセ―ジをくれました。紹介します。


【本田宏さんからのメッセージ】

題名: 考えさせない教育が肝、同感です。

メッセージ本文:
考えさせない・議論させない教育が、日本を安心してくらせる社会に発展させない「根幹」だと思います。
最近の講演では、この問題について強調しています。

7/18(日)リレーカフェ・日本の医療、これでいいのか?~コロナ禍でわかったこと~
https://ura-sta.blog.jp/archives/44409118.html


【ウネリウネラから一言】

 本田宏さんは、長年(1976年から36年間)外科医として活動しておられました。現場を離れてからは、医師不足による「医療崩壊」を防ごうと全国で講演を行っています。平和運動などの市民活動にも幅広く参加している方です。

 本田さんは、いつも短文でずばっと、問題の本質を突くコメントをくれます。今回は、先日の文章で紹介した田中 煕巳さんの以下の言葉に反応してくれました。

教育は非常に大事だと思います。こどもたちを自由にさせなければいけません。いろんな判断をお母さんお父さんが決めてしまえば、その子は自分で考えることを放棄してしまいますから。そういう教育がいま、日本に広がってしまっているように思うんです。「軽いけがだったらしてもいいよ」くらいの、自由な遊び方をやらせていくといいのかなと思います。勉強も、そんなにいろんなことを覚えさせなくていいと思うんですよね。覚えさせると、自分で考える力がなくなります。自分で考える時間をどんどん増やしていくほうがいい。

 実は、この田中煕巳さんの言葉自体、本田さんが引き出したものです。先日の記事は、埼玉県平和委員会による「ピースカフェ」での講演内容を再構成したものですが、そのカフェの際に、本田さんが「教育をどうしたらいいか」と問いかけました。その際の田中煕巳さんの返事が、自由にさせなければ。考える時間をどんどん増やしていくほうがいい。」でした。

 本田さんの問いかけにより、田中さんの目が少し輝いたように見えました。対話すること、話し合うことって大事だなと改めて感じる場面でした。

 本田さんがメッセージの最後に紹介してくれた 「リレーカフェ・日本の医療、これでいいのか?」をインターネットで見ると、医師や看護師、医療にたずさわる人がいかに足りないかが分かります。それが新型コロナ問題で改めて明らかになった「医療崩壊」の背景にあると思うと、とてもがっかりします。「一人ひとりの命を大事にする」という営みが、できていないのではないでしょうか。

 「一人ひとりの命や暮らしを大事にする」という日々の営みなしに「戦争はしない」という誓いを肉付けすることはできないと、ウネリウネラは考えています。


こどもたちに伝える

 さて、 本田さんが言うように「教育をどうしたらいいか」です。 それに関連してですが、今年の夏、児童文学作家の那須正幹さんが亡くなりました。79歳でした。那須さんと言えば、私(ウネリ)にとっては「ズッコケ三人組」ですが、やはり今日はこの本を紹介したいと思います。

『絵で読む 広島の原爆』文=那須正幹 西村繁男=絵 (福音館書店)

 『絵で読む 広島の原爆』。那須さんは1942年、広島市庚午北町(現在の広島市西区)の生まれです。この本は、文が那須正幹さんで、絵は『がたごとがたごと』などの西村繁男さんです。

 この本、うちの三人のこどもたちがよく床にひろげて読んでいます。親の誘導ではありません。こどもたちが勝手に、「8月だから」とかでなく、一年中コンスタントに本棚から引っ張り出しています。ふしぎな魅力がある本なのだと思います。

またあの日がやってきました。広島の空は晴れ上がり、暑い一日が始まろうとしています。平和記念公園の木立からはアブラゼミの声がしきりに聞こえてきます。そういえば、あの日の朝もたくさんのセミが鳴いていました。

『絵で読む 広島の原爆』2~3ページ

 本のはじめ、西村さんの絵は「鳥の目」で、1994年現在の広島の町を見下ろします。「空に浮かんでいるのは誰なんだろう」。こどもたちがまずつぶやくのは、この言葉です。そのあとはじっと黙ります。自分なりにイメージをかたちづくっているのだろうと思います。自分も鳥や雲になって、原爆が投下される前、投下された後の町の姿を眺めているのかもしれません。

 私はなにも言わないことにしています。この場合、何も言わないことが、何かを伝えることになるのではないかと考えています。

 今年の夏、テレビはオリンピック一色です。新聞もほとんどオリンピックです。新型コロナももちろんそうですが、伝えなければいけないこと、忘れてはいけないことはたくさんあります。那須さんが亡くなったのは7月22日だそうです。開会式に先立って、福島でオリンピックの競技が始まった7月21日の翌日です。私は勝手に、「那須さんに申し訳ない!」という気持ちになりました。本来は平和のためなはずの五輪が、大事なことを忘れるために使われていないでしょうか。

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