【ご意見ご感想】「『故郷を元に戻せ!』浪江町津島地区の人びとの裁判」に寄せて

 先日、放射性物質に汚染されたふるさとを「元に戻せ!」と訴える福島県浪江町津島地区の人びとの裁判のことをレポートしました。

その記事に寄せてくれた感想を紹介します。書いてくれたのは、福島県内の高校教員、渡部純さんです。


【渡部純さんからのメッセージ】

題名: 津島の思い出

メッセージ本文:
いつもわかりやすい現場報告に助けられています。
ありがとうございます。レポートに触発されて思い出したことを書かせてください。

僕にとって津島は思い出深い地域です。
相双地区を訪問するときは必ず津島を通ってきます。
その昔(といっても15年まえくらいかな)、某高校軟式野球部の監督・顧問を押しつけられた僕は、その部活動指導に苦しんでいました。
野球は興味ないどころか、あの軍隊主義的集団主義が大嫌いな上に、指導できないことに対する生徒からのクレームと侮蔑と闘う日々でした。
教職を本気で辞めようとも思っていました。
そんな時期、数少ない練習試合の相手であった浪江高校津島分校にはよくお邪魔していました。
片道2時間半をかけて何度も通いました。
「生徒のため」という理由だけで、なぜ自分の生活がこんなに犠牲にさせられるのか。
早朝、憂鬱な気分で出発するのが毎度辛い時間でした。
けれど、そんな気分で行ったはずの津島は、とても美しい山村でした。
高台にある津島校から見渡せる村に天高く広がる青空と、緑の山々がどこまでも続く稜線がわけるそのコントラストは憂鬱さを一気に飛ばしてくれました。
心が荒んでいたからかもしれませんが、こんなに美しい風景は今まで見たことがなかったなぁと、いつも一人で感動してました。
その津島が深刻な放射能汚染に晒されたとき、あの風景との落差に言葉を失ったものです。
その村には、尊敬する先輩教員家族が住んでいました。
震災から1年後、「人がいなくなった村ってどうなるか見せてあげるよ」と、先輩の家族を装って閉鎖されていたゲートを住民として通過しました。
あの美しい村の荒廃と空間放射線量が常時15~18μSvを計測しているのに、唖然としました。
ちょうど今のような時期の暑い日でした。
そこに一人の老人が草刈り機で道路の草を刈っていました。
小学校の校長先生でした。
「こうしないと道が荒れるからねぇ」と誰もいない汚染地域を独り黙々と草を刈っていました。
なんだか悲しくなりました。
懐かしい津島分校はどうなっているのだろう。
恐る恐る近づいた分校の校舎のなかには、避難所から慌ただしく飛び出した人々の布団や避難具が散乱していました。
あの美しい天空と山々の風景を見渡せたグラウンドは雑草に覆われていました。
想像どおりとはいえ、悲しくなりました。
先輩の自宅へ行きました。
三春藩から門構えを許されたという由緒正しいその農家は朽ち、二階の書庫は雨漏れで水浸し。
「マルクス全集、高かったんだよなぁ~」
悲しくなりました。
先輩は高線量にもかかわらず、車の窓を全開にして津島の思い出をたくさん語ってくれました。
(心のなかでは「窓閉めてくれ~(T_T)」と叫んでました。)
原発事故直後、津島は避難者の車で渋滞と行列ができたそうですが、ふだんは滅多に来ない数多の車に興味深々になった一番下の子が、道路でずっと見物していたそうです。
そして、そのときに被ばくさせてしまったことがわかったとき、立ち直れない罪悪感に打ちひしがれたそうです。
帰路、「仮設でパチンコできるのも東電さんのおかげです。仮設で涙流すのも東電さんのおかげです。東電さん、ありがとう」などと書かれた無数の張り紙をしてある家屋を見ました。
この主は、今回の原告団のお一人に名を連ねておられるのでしょうか。
この言葉を忘れるわけにはいきません。
津島。
あんなに荒んだ時期に出会えた美しい村に、もう出会えないのかな。
いや、元に戻せ。
その要求は住民の皆さんの切実さには及ばなくとも、いつも津島をとおるたびに心で念じています。
長くなりましたが、津島の美しさに魅了されたものの思い出とともにレポートに感謝を込めて。


【ウネリウネラから一言】

 渡部さんは原発事故前の美しい山村としての津島、そして放射性物質に汚染されてしまった後の誰もいなくなった津島について、思い出を書いてくれました。小学校の校長先生が「こうしないと道が荒れる」と言って道路の草を刈っていた、という記述が胸を打ちました。

 地震の直後、山間部にある津島地区は、津波に襲われ、かつ原発にも近い太平洋沿いの地区から来る避難者を受け入れる立場でした。避難所を整備し、炊き出しを用意したりして、避難する人々を迎えるのに忙しかったそうです。しかし、実際には原発から出た放射性物質は北西の方向に飛んでいったため、ちょうど津島地区の上を通過していました。そのことを、津島地区の人びとはリアルタイムには知らされていませんでした。「小さな子を被ばくさせてしまった」と悩む”先輩”の気持ちは、察するに余りあります。

  渡部さんは津島地区や浪江町の住民ではありません。そんな渡部さんが「住民の皆さんの切実さには及ばなくとも」と書きつつ、津島についての思い出を送ってくれたことに感謝します。みんながそれぞれの思いを言葉にすることが、「ふるさとを返せ!」と訴える津島の人びとを後押しすることになるはずだと、ウネリウネラは考えています。


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