【汚したものは元通りに!】津島原発訴訟、控訴審つづく

報道

 福島県浪江町津島地区に住んでいた人びとが国と東京電力を訴えた「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」の控訴審の第4回口頭弁論が、4月26日仙台高裁で開かれました。国会で原発延長法案が可決されようとするなか、原告たちは「汚したものを元通りにしろ!」と怒りの声を上げました。(写真・文/ウネリウネラ牧内昇平)


原発事故は過去のものなのか? 

 4月26日午後1時半、仙台市内の裁判所の前には、午後2時半からの開廷を待つ原告や支援者たちが70人ほど集まっていました。灰色の空から落ちてくる雨粒が少しずつ大きくなっていきます。そんな天候とは裏腹に、集会で初めにマイクを握った佐々木茂さん(原告団副団長)は、怒りの炎を燃え上がらせていました。

 いつになったら、私たちはふるさとに帰れるんでしょうか? 
 私たちは子どもの頃から、「汚したら掃除をしなさい。壊したら元通りにしなさい」と言われてきました。私は69歳になりますが、この言葉を今も信じて、毎日の生活に活かしています。
 東京電力や国が村を汚し、壊してしまったのですから、東京電力や国が元通りにするのが当然の義務です。

佐々木茂さん
佐々木茂さん

 浪江町津島地区福島第一原発から30キロほどのところに位置しています。自然豊かな山間の地域に約1500人が住んでいました。原発事故後、家々や土地は放射能に汚染され、人びとはふるさとを奪われてしまいました。今年の3月31日、津島地区の一部のエリアが「帰還困難区域」の指定を解除され、人が住めるようになりました。しかし、解除されたエリアというのは、実は津島地区の1.6%にすぎません。大半の人がふるさとに帰れない状態は今も続いています。そういう状態がいつまで続くかも分かりません。

 そんな津島地区の住民約650人が原告団をつくって司法の場に訴えたのが、この「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」です。事故を起こした国と東電の法的責任を追及するだけでなく、ふるさとを元に戻せ!という「原状回復」を強く求めているのがポイントの一つです。佐々木さんの「汚したものは片づけろ」という言葉が、原告たちの思いを表しているように感じました。

 佐々木さんの怒りをさらに燃え上がらせているのは、原発をめぐる世の中の動向です。奇しくも裁判が行われたこの日、60年を超えても原発を運転できるようにする「原発運転延長法案」が、衆議院の経済産業委員会で可決されました。次世代型の原発をつくる、という話もあります。佐々木さんにとっては言語道断です。

 ふるさとに帰れず、避難先で年をとり、ふるさとのことを思いながら亡くなる。そういう人も多くなってきてしまいました。こうした福島の問題が解決されないのに、国は原発を再稼働し、新しい原発を作ろうとしています。政治の世界は「いまや原発事故は過去の問題だ」と考えているようです。こうした考えは改めるべきだ。私は「汚した者は汚した者としての責任を取りなさい」と言いたい。原状回復は当然の権利です。

佐々木茂さん

 佐々木さんと交代してマイクを握った原告団長の今野秀則さんはこう語りました。

 我々地域住民が、日本全国至る所で自らの人生を生きることによって、日本という国は成り立っているはずです。私たちの暮らしていた地域は確かにちっぽけな辺境かもしれませんが、そこに暮らしているのは日本国民です。 

 津島地区はようやく今年の春、1.6%の地域が帰ってもいいことになりました。しかし、残りの98%以上は今も「帰れない地域」です。原発事故当時のまま、冷凍保存された状況です。元に戻るのは、これから先、いつになるか分かりません。こんなことが許されていいのでしょうか? 責任をとって当然なのに、国と東電は裁判で、「責任はない」と言い続けています。

 さらには、原発回帰がまたぞろはじまろうとしています。原発事故は過去のものか? そんなことはありません。いつとは言えませんが、今の政府や東電のやり方では必ずまた事故が起こるでしょう。そういう危機感をもって、対処しなければいけません。 

今野秀則さん
今野秀則さん(中央)

奪われた故郷の暮らし

 法廷では、津島の赤宇木という地域の農家に生まれた男性の意見陳述がありました。

 原発事故の起こる日まで45年間ずっと津島で生活してきました。祖父の代から山間部のところどころに少しずつ開拓された田畑を引き継いで、兼業農家として野菜などを作っていました。

原告意見陳述

 意見陳述を聞いていると、法廷にいながらにして、津島の人びとのかつての暮らしが目に浮かぶような気持ちがしました。

 男性は語りました。大根、きゅうり、白菜、なす、じゃがいも、トマト。畑では季節ごとの野菜や果物、リンドウなどの花を育てていた。山にも食べものが豊富にあった。春はフキノトウ、ワラビ、タラの芽。秋はキノコがたくさん。娘が幼稚園の頃、「コウタケが食べたい」と言ったので一緒に山に入ったのが今となってはいい思い出として残っている――。

 しかし原発事故はそれらすべてを奪ったと、男性は言います。

 家だけではない。日々の仕事道具も、今まで食べていたものも、家族と歩いてきた道の景色、山の陽ざし、風の匂い、草を踏む音、それらすべてが一日にして奪われ、別の何かにすり替えられたのです。

同上
裁判所の前で入廷行進をする原告団=4月26日、仙台市内

 津島の人びとが置かれている現状について、男性は以下のように語りました。少し長いですが、大事だと思ったので紹介させてください。

 同じ事故被害者である同級生の中には、「俺は今は福島で立派に家を立てて暮らしているんだ」と言う人もいます。気丈ですが、しかし彼も、ふるさとを奪われたために前を向かざるを得なかった者に過ぎません。今回の事故がなければ、津島の地域で、津島の住民と、普通に暮らしていたはずの人です。都市型の生活を「普通の生活」として政府に強いられ、受け入れざるを得なかった人です。私たちの間では、最初に申し上げた生活こそが、普通の生活でした。

 裁判をはじめた時から何も変わりありません。私たち夫婦は、津島に戻りたいです。子どもたちには今の生活があります。なので、子どもたちにまで、津島に戻ろうと言えるわけもありません。しかし、だからといって、時間の経過や世代の交代が、原状回復として国や東電がすべき除染を、しなくていいという理由にはならないはずです。そうではない。そもそも、私たちにおいては帰還を悩み、選ぶ権利すら実現されていないのです。私たちの世代も、子どもたちも、今の生活は、決して自分の意思で選び取ったものではない。だから、津島に戻って生活するという選択肢の回復を求めています。

同上

来月には裁判官が現地へ

 津島訴訟の第一審判決(2021年7月)は原発事故を起こした国・東電の法的責任を認めたものの、住民たちの原状回復の訴えは認めませんでした。そこで原告たちは判決を不服として控訴しました。その後、同様の原発事故訴訟は、昨年6月には最高裁で、それ以降は地裁・高裁で国の法的責任を認めない判決が相次いでいます。津島訴訟の控訴審でどのような判断が示されるかは、ほかの訴訟にも影響を与える重要なポイントとなるでしょう。

 津島訴訟の控訴審は来月5月25日に大きな展開があります。裁判官が現地に足を運んで状況を目に焼き付ける「現地進行協議」が行われる予定です。その後7月21日に次回の法廷(口頭弁論)が予定されています。

(おわり)

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