転機
前回までのお話はコチラ
なんやかやとあって、自信喪失、呆然自失の状態から、少し光が見えてきたか…と思った矢先、コロナの問題が立ちはだかってきました。
そのさなかの3月、福島へと越してくることになりました。
出会いと変化
越してきた当初は家にこもり切り、持病の治療に必要な受診すらためらっているようなありさまでしたが、ようやく病院を受診できた6月ごろから次第に心身が外に向かって開き始めました。
そうこうしているうちに、ウネリが6月末日に会社を辞めました。
同時にウネリには、日々さまざまな出会いがあり、新旧のすてきな友人たちとの刺激的な交流がはじまっていました。私もその話をときどき聞いて楽しんでいましたが、「元気があるときはウネラさんも一緒に来てみない?」と言われ、私も共同取材をするようになりました。
そのなかで…
そのうち、なんとかまとまったかたちにしたいと思う企画、構想が、複数立ち上がってました。
ブログや雑誌、Web媒体などで記事化していくこともできますが、単回の記事には収まりきれない深いテーマについては、ある程度まとまったかたちにして残したい。本にできないか。
私たちは自分たちで「出版」を手がけることを、具体的に意識し始めました。
考えていたことのまとめ
そのころの思考をざっと以下にまとめます。
- 6月末ごろからふたりでいろいろと取材を始める→
- これはどうにかして本にしたいという企画・構想がいくつか立ち上がる→
- 「納得いくかたちで」出版社に企画を通すのは時間がかかる。そもそも通らないこともままある(ウネリの出版経験からこれは知っていた)→
- 出したい時期もあるし、「企画を通す」部分にあまり時間を割きたくない→
- 現在はふたりとも定職についていないため、自由な時間はけっこうある→
- ならば自分たちで作れないだろうか?
ざっくりいうとこんな感じです。粗いですね…
ただ、取材している企画については、書籍化するからには、中途半端な本をつくるわけにはいきません。私たちは一応ふたりとも新聞記者だったので、取材して文章を書いて校正する、というところまではなんとかなると思ったのですが、組版だったり、デザインだったり、本の「作り方」の部分については、ずぶの素人なわけです。
その部分を、どこまで自分たちでできるのかは、未知数でした(←いまも……)。
そのためにまず、実験的に自分たちで、自分たちの著作をつくって市販するところまでやってみようと考えたのです。
どうにもならないようであれば、取材企画についてはなんとか出版社を探すか、「制作」の部分は外注するかたちをとるか…などと思いながら、ともかく始めてみました。
ひまがあるということは、豊かなことです。
今日はここまで。次回は、いつごろどんなことをやってきたのか、ということについて、具体的にご紹介します。
(続く)
【近況】
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