先日、双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」(伝承館)へ行ってきました。

「行ってきた」と言っても今回、館内に入って見学したのはウネリだけです。

 福島市内から伝承館のある双葉町までは、車で約1時間半。その間に、まだ放射線量のとても高い地域も通ります。伝承館も、建物と敷地周辺は除染されているというものの、周辺はそうではありません。町には歩いている人もほとんどいないのです。子どもたちをためらいなく外に出せるような環境ではありません。

 当初はウネリのみが出かけ、私と子どもたちは家で留守番する予定でした。より厳密に放射能の危険性を考えれば、そうすべきだったのかもしれません。

 直前までさまざま考え、私たちは家族5人車で出かけることにしました。当日子どもたちと私は、伝承館から離れた線量の低いとされている屋内施設で食事をする以外は、原則車中で過ごしました。ウネリの送迎を兼ねた、半日のドライブでした。


 常磐双葉インターを降り、双葉町に入りました。高速道路を走っている最中はつまらないことでケンカしたり、歌を歌って騒いだりしていた子どもたちが、しんと静かになっていきました。

 「誰もいないね」

 「ちょっとこわいね」

 すれ違うのは工事のトラックばかり。いたるところに警備員が立っています。

 県道256号を東に進んでいきました。伝承館の住所は、ナビにもGoogle Mapにも登録されていません。ぽつぽつ立っている案内の看板を目印に、車を走らせました。

 伝承館へと続くまっすぐな広い道に出たときです。子どもがぽつりといいました。

 「どうしてここには何もないの?なんで誰もいないの?」

 「原発事故があって、住めなくなっちゃったんだ」

 私は、子どもたちに「震災」の話は折にふれできる限りしてきたつもりでしたが、「原発事故」については説明できていませんでした。

 その理由のひとつには、まず自分の決定的な知識不足があります。でもそれは、子どもと一緒にこれから学んでいけることでもあります。もうひとつ正直に言えば、放射能汚染のことを子どもたちに説明するのが、不安でした。

 放射能の危険性に対する考え方が人によっていかに違っているか、そのことによって人々がいかに引き裂かれてきたのかを、外から福島に移り住んで間もない私たちですら、痛いほど感じてきたからです。

 とにかく、子どもにどこからどう伝えたらいいのか、それによって一体どういう影響があるのか――。自信がありませんでした。


 子どもたちは質問を続けました。

 「なんで住めなくなっちゃったの。けっこう前の事故なのに、まだ住めないの」

子どもの問いを、押し込めることはできません。

 「放射能って、まだわかんないよなあ…事故のときに体に悪いものがいっぱい出て…難しいんだけど…」

 「わかるよ」

 子どもがすかさず答えました。あまりにきっぱり言うので、私はこう聞き返しました。

 「誰かに教えてもらったの?」

 「ちがうよ。うちの船の絵本に書いてあるじゃん。あのなんだっけな…なんとかの『家だ』ってやつだよ」

 はっとしました。子どもが言っているのは、うちにある『ここが家だ―ベン・シャーンの第五福竜丸』(絵:ベン・シャーン 構成・文:アーサー・ビナード/集英社)という絵本のことだと、すぐわかりました。

『ここが家だ―ベン・シャーンの第五福竜丸』より

 同時に、驚きもしました。特別私が子どもたちにその本を読んで語ったおぼえがなかったからです。

 「自分で読んでたの?」

 「うん。ちょっとこわいところもあるよね」

 この本は、私が静岡で記者をしていたころ、自分自身が第五福竜丸のことについて何も知らなかったことから手にとった絵本でした。以来ずっと大切にしています。

 子どもが生まれてから「いつかは子どもにこの本を読んでみてほしい」と思いながらも、結局自分からはほとんど何もせず、今まできてしまったのです。

 それなのに、子どもは勝手にこの本を絵本棚から引っ張り出して読んでいました。あらためて扉を開くと、そこに書かれている漢字には、すべてふりがながふってあるのに気がつきました。

ひとは

家をたてて

その中にすむ。

『ここが家だ』は、この印象的な一文から始まります。そのあとしばらく焼津のまちのことが描かれ、ビキニ環礁の水爆実験のことが語られています。

そして26ページにはじめて「放射能」という言葉が出てきます。

空からふった あの灰には

生きものの からだを

しずかに こわしていく

放射能が たっぷりと

はいっていた。

『ここが家だ―ベン・シャーンの第五福竜丸』より

 昨日(2020年10月26日)、福島市の映画館「フォーラム福島」でイベントがありました。渡辺謙一監督の核を考えるドキュメンタリー2作品『核の大地〜プルトニウム物語』『わが友・原子力〜放射能の世紀』が上映され、渡辺監督と、小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)がお話されたのです。

 映画の内容やディスカッションの様子、そこから考えたことはまた改めて書きたいと思いますが、そのなかで小出さんがこのようなことをおっしゃっていました。(記憶によるので字句は不正確です)

「多くの人が『原子力』と『核』というものを別に考えている」

 けれど、その認識は決定的に間違っているということをわかりやすく説明してくださいました。この言葉を聞いたとき、その2日前、伝承館へ向かう途中での子どもとのやり取りが、鮮明に思い起こされたのです。

 そして思いました。子どもは、直観でわかっていると。広島、長崎の原爆も、第五福竜丸のことも、福島の原発事故のこともすべて「同じこと」として、自分の頭で理解しています。誰に教え諭されたわけでもないのです。

 それならばなぜ、「原子力」が「核兵器」から切り離され「安全利用」できるものだということを、当たり前のように思うようになってしまうのでしょうか。子どもはいつから、そう考えるようになってしまうのでしょうか。

 答えは明らかです。多くの大人たちが、子どもにそう教え続けてきたからでしょう。

 それは、言葉によって直接言って聞かせてきたというようなことではありません。原発がある社会を違和感なく受け入れる、その「背中を見せる」ことで「教えて」しまってきたのだと思うのです。


 伝承館からの帰り道、子どもはこう尋ねてもきました。

 「うちの近くにも線量計あるじゃん。あれ何(←数値)までだったら大丈夫なの?」

 私はこの質問にはっきりと答えることができませんでした。けれど、子どもから投げかけられた問いには、できるだけ誠実に答えていきたいと思っています。

 「ごめんね。まだお母さんもはっきりわかってないんだ。勉強してるんだよ」

 「へー。そうなんだ」

 子どもたちと一緒に学んでいきたいと思います。そうすることしかできない。みなさんにも多くのことを教えていただけたらうれしいです。

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