10月22日、仙台高裁で「子ども脱被ばく裁判」の控訴審、第一回口頭弁論がありました。筆者(ウネリ=牧内昇平)が法廷で最も印象深かったのは、原告団長・今野寿美雄氏の意見陳述でした。その内容を紹介します。
どうかお読みください。
【今野原告団長の意見陳述】
福島地裁判決は、私たちが訴え続けた放射能の危険や不安、子どもの未来を、国や県の言い分をなぞって否定するだけで、読んでいて、悔しさと、虚しさがこみ上げました。事務的な言葉が延々と続き、とても血が通っているとは思えませんでした。提訴から7年以上が経過し、多くの子ども原告は、安全な場所で教育を受ける機会や補償を得られないまま中学を卒業していきました。残った子ども原告も再来年の3月には卒業を迎えます。この間、さまざまな事情から、訴えを取り下げざるを得ない原告も出てきてしまいました。しびれを切らし、経済的な負担を顧みず、子どもとともに、より安全な場所に避難し、そこで教育を受けさせる母親原告もおられました。残酷な時間だったと思います。とても、この時間を無駄にはできません。
仙台高裁では、山形地裁や福島地裁及び郡山支部、いわき支部で争われてきた各裁判も控訴審として審議されているとのことです。放射能と子どもの安全教育の問題についても、裁判所の血の通った判断を出してください。福島地裁が徹底的に逃げた問題についてきちんと判断してください。
不溶性の放射性微粒子の存在とその物による内部被ばくの危険性、不都合な情報の隠蔽、被害の矮小化(とくに、鈴木教授の証言で明らかになった公表されていない小児甲状腺がん手術患者数の問題)、虚偽情報の発信。山下教授の100μ㏜/h安全論。発言後に福島県はホームページで山下発言は間違いだという訂正をしたそうですが、彼は、その後の福島県内各地の講演会でも100μ㏜/hまで大丈夫だと発言していました。それを信じた親たちは内部外部の被ばくの危険性をわからぬまま、子どもたちを給水車の水くみに並ばせてしまったことを今でも悔やんでいますし、健康に不安をもっています。ほかにもニコニコ安全論等の県民を小ばかにしたような無責任な発言を放置したことも同じです。この発言で危険に晒されたこと、放射能の危険に真剣に悩む親たちが周りから白い眼で見られるようになったことに、多くの親は激しい怒りを持っています。
ヨウ素剤問題では、甲状腺被ばく対策として医大の職員等には服用させたが、県民および子どもたちには配布せず、服用させなかったという対応について、福島県は何も説明していない。せめて子どもたちだけにでも服用させるべきだったと思っている人たちが大多数です。
SPEEDI問題については、事故当時5歳の私の息子は3月12日の早朝から全町避難の出された3月15日の早朝まで、浪江町津島地区の浪江高校津島分校の体育館に避難していました。放射性プルームが流れ高濃度の汚染地帯となり現在も帰還困難区域に指定され、立ち入りの制限をされている区域です。ここに避難中に息子は雪を丸めてアイス代わりに食べたそうです。その話を聞いた時愕然としてしまいました。それから半年後くらいから、息子は万年風邪のような状態が2年くらい続きました。月に2回病院に通いました。医師からは免疫低下ですと言われました。あの時、SPEEDIの情報が浪江町に知らされていれば、津島地区より遠くに避難していたはずです。息子を被ばくさせてしまったことは悔しさと共に福島県に対して激しい怒りを持っています。現在でも福島県民のみが「年20m㏜」の放射線被ばくを強要されています。「年20m㏜」基準では、他の公害物質の環境基準による健康リスクのなんと7000倍です。他の公害物質の環境基準まで放射性物質、放射線の基準を下げなければ、子どもたちはもちろん、みんなの健康を護ることはできません。放射線被ばくによる健康被害を真剣に考えなければいけません。
これらは、現在進行中のことであり、このままでは、近い将来、同じことが繰り返されることとなります。そしてこの状況を許してしまうことは、福島だけでなく全国各地のどこかの原発で事故が起きたら、周辺の住民や子どもたちが同じ状況を受け入れることになります。
福島県は今でも、「原子力緊急事態宣言」発令中です。今年3月1日の福島地裁判決では、多くの人が「福島の司法が福島の子どもたちを護らなくてどうするんだ!?」と怒りの声を上げたのが頭から離れません。上級審の仙台高裁は子どもたちを護る判決を出してくれると信じています。昨年9月30日、仙台高裁前に生業裁判で勝訴の旗が上がり、原告の皆さんが歓喜したことがつい先日のことに感じられます。この裁判でも、同じく歓喜の声を挙げたいと思います。
子どもたちは自分を護り切れません! 子どもたちを護るのは私たち大人です! 大人の責任です。それは大人としての最低の義務です!
【傍聴した感想】
気持ちのこもった、迫力ある意見陳述だと感じました。特に最後のところ、 「子どもたちを護るのは私たち大人です!」という部分、今野さんの大きな声は、仙台高裁の101号法廷に響きました。傍聴席からは、自然発生的に大きな拍手がわき起こりました。
今野さんは浪江町在住の原発エンジニアでした。東日本大震災のときは女川原発(宮城)にいて、それから避難生活が始まりました。今は福島市内の復興公営住宅に住んでいます。事故直後、放射性プルームの流れた方向が知らされなかったため、浪江町に住む人たちは、プルームの通り道となった同町津島地区に避難してしまいました。今野さんの息子さんもその時、津島地区に避難していたそうです。
今野さんは現在多岐にわたって活動中です。今年4月の『もやい展2021』に関わったり、この夏は、白崎映美さんらによる劇&ライブ『まつろわぬ民』の東北公演のサポートをしたり。さまざまな所でお目にかかりますが、「子どもたちを守る」という思いを、ご家族の体験からここまで具体的に語ってくれたのを聞いたのは初めてでした。心打たれました。
今野さんについては、以下の文章もご参照ください↓
【次回の裁判は来年2月14日】
原告(福島の親子)側の弁護団は、一審・福島地裁判決で検討が不十分だった論点(※1)があることを裁判所にアピールしました。また、新しい証人尋問も予定しているそうです。
※1 放射性物質の環境基準、内部被ばくのリスク、「山下発言」問題など。
次回の裁判(口頭弁論)は来年2月14日です。
さまざまな論点を打ち出している裁判だと思います。ウネリウネラもできる限り内容を理解して、自分たちなりに紹介していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
子ども脱被ばく裁判ホームページ (kodomodatsuhibaku.blogspot.com)
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