廃炉作業中の福島第一原発で2017年10月に、1人の労働者が過労死しました。福島県いわき市在住の自動車整備士、猪狩忠昭さん(当時57)です。
福島第一原発、いわゆるイチエフ構内には、原発事故の収束作業に使われ、放射性物質に汚染された乗用車やトラック、消防車がたくさんありました。
いわき市内の車両整備会社の社員だった猪狩さんは、そうした車を整備するため、 イチエフに派遣されていました。防護服に身を包み、顔には放射性物質を吸いこまないための全面マスク。イチエフで働くときは、そんないでたちでした。
移動にかかる時間も含めると、1か月の残業時間は100時間を超え、労災が認められました。遺族はいま、猪狩さんの直接の勤務先や東電などに対して、裁判を起こして損害賠償を求めています。
3月30日、福島地裁いわき支部で判決が言い渡される予定です。
【多くの人に知ってほしい】
「30日に判決です。よろしくお願いします!」
3月13日、JRいわき駅前。
猪狩忠昭さんの妻、茜さん(54、仮名)が、通行人にチラシを配っていました。あいにくの激しい雨で人通りはまばらでしたが、それでも幾人かは足を止め、チラシを受け取っていきます。
裁判を支援する労働組合「全国一般労働組合全国協議会」(以下、全国一般)の組合員など、支援者たちが一緒です。彼らは横断幕をかかげています。
<福島第一原発 過労死を許さない!!
いわきオール・東京電力・宇徳は遺族に謝罪しろ!!
福島第一原発 過労死責任を追及する会>
茜さんはこう話します。
「少しでもこの裁判のことを知ってほしい。そして、原発の中で働く人がどんな状況になっているか、皆さんに考えてほしい。そうしなければ、もっとたくさんの犠牲者が出てしまうかもしれません。」
【イチエフ派遣、過酷な労働現場】
猪狩忠昭さんはどんな働き方だったのでしょうか。茜さんと、全国一般の牧野悠氏に取材した内容を書きます。
猪狩さんは2012年3月、いわき市内にある車両系建設機械の整備会社、「いわきオール」に入社しました。その後まもなく、イチエフ構内の車両整備工場で働くように指示されます。
この整備工場は「宇徳」という別の会社が管理していました。「いわきオール」の社員である猪狩さんは、「東電」のイチエフ内にある、「宇徳」の車両整備工場で、働いていたのです。
茜さんから見せてもらった写真には、チャコールフィルターつき全面マスクをかぶった猪狩さんが写っていました。イチエフ内ではこのマスクをつけて、車両整備に当たっていたそうです。
原発事故の収束作業にはたくさんの乗用車、トラック、消防車などが使われていました。その数、合わせて1千台以上です。これらの車は放射性物質で汚染されているため、イチエフの外に運び出すことができません。そのため、イチエフ構内の工場で点検・整備を行い、使える車はイチエフの中だけで使おう、ということになったのです。
全国一般の牧野氏が言います。
「イチエフの中は、汚染の状況に応じてグリーン、イエロー、レッドと三つのゾーンに分かれています。グリーンゾーンは、防護服やマスクなしで行き来することができます。猪狩さんが働く車両整備工場はイエローゾーンの装備を求められていました。工場内の放射線量が特に高いわけではありませんが、整備する車の中には汚染が激しい車両もあり、防護服と全面マスクの着用を指示されていたのです。整備士の方たちは、夏場も含めて完全装備で、車のエンジンルームをのぞきこんだり、バッテリーを交換したりしていました」
イチエフで働く日の猪狩さんのおおまかなスケジュールを紹介します。
4時半 | いわきオールに出勤。同僚とイチエフへ移動。 |
6時半ごろ | イチエフに到着。 |
7時 | イチエフ内「免震重要棟」でミーティング。 →防護服に着替え、車両整備工場へ移動。 |
11時ごろ | 午前の作業を終え、免震重要棟に戻る。 防護服を脱いで放射性物質のスクリーニング検査を受け、 昼食をとる。 |
12時半ごろ | もう一度防護服を着て全面マスクをつけ、免震重要棟を出る。 |
13時 | 車両整備工場で午後の作業を始める。 |
15時 | イチエフ内での作業を終了。 車でいわきオールに戻り、車の整備やレンタカーの 貸し出し業務を行う。 |
18時ごろ | いわきオールを出る。 |
イチエフ派遣の頻度は、入社直後は週2回ほどでしたが、亡くなる半年ほど前からは月曜から金曜までの週5回になります。(7月から9月の夏場は、イチエフでの作業は午前中のみでした。)また、土曜日にいわきオールで働くこともありました。
上のタイムスケジュールを見る時のポイントは「移動時間」です。
猪狩さんはいわきオールとイチエフとの間を、1時間半くらいかけて、往復していました。同僚と交代で車を運転していたと言います。緊張を強いる現場作業の前後に、長時間の運転業務もこなさなければなりませんでした。
イチエフに行く日は、一日の拘束時間が12時間を超えます。午前4時半に出勤するためには、恐らく3時台には起床していたことでしょう。過酷な仕事だったと思います。
猪狩さんは2016年11月に心臓の手術を受けています。術後は良好で翌年1月に復職したのですが、本人や家族は「しばらく土曜出勤やイチエフでの勤務は控え、体を休めたい」と考えていました。しかし、いわきオールの社長は復帰直後からイチエフへ向かうように指示しました。
2017年10月26日、午後の作業に入る直前、猪狩さんは苦しみ始めました。防護服にマスク姿のまま、苦悶の表情を浮かべ、かえらぬ人となりました。死因は「致死性不整脈」でした。
【労災認定】
茜さんは、いわき労働基準監督署に労災を申請しました。「仕事が理由で亡くなった」ということを、はっきりさせるためです。労基署は、いわきオールからイチエフへの移動にかかる時間も勤務時間として計算し、猪狩さんの残業時間は以下のようになると判断しました。
時期 | 残業時間 |
亡くなる1か月前 | 104時間00分 |
2か月前 | 92時間08分 |
3か月前 | 72時間50分 |
4か月前 | 111時間55分 |
5か月前 | 131時間08分 |
6か月前 | 79時間27分 |
1か月平均で80時間以上の残業をすると、過労死する危険が特に高まるとされています。いわゆる「過労死ライン」です。このラインを完全に超える働き方でした。
いわき労基署は2018年10月、猪狩さんの死を労災と認めました。
【提訴し、東電の責任を追及する】
労災認定から4ヶ月後の2019年2月、茜さんと子どもたちは、いわきオール、宇徳、東京電力ホールディングスを相手取り、合計およそ4300万円の損害賠償を求める裁判を起こしました。
注目すべきは、東電も被告に含めていることです。イチエフ内の救急医療体制を十分に整備しなかったこと、そして、記者会見で「遺族を傷つけるような発言」を行ったことへの慰謝料を求めています。
「遺族を傷つけるような発言」とは、なんでしょうか。
猪狩さんが亡くなった2017年10月26日、東電はちょうど、「『中長期ロードマップの進捗状況』に関する記者会見」を行っていました。「中長期ロードマップ」とはイチエフの廃炉に向けた計画のことですが、その記者会見の中で、東電の担当者は猪狩さんの突然死に触れ、このように語ったのです。
「休憩があけて仕事に向かう途中のことでありましたので、直接的な作業との因果関係はないという風に考えております」
東電社員は記者会見で、「作業との因果関係はない」とくり返しました。
東電が記者会見を行っていた時、茜さんは急死の知らせを受け、猪狩さんが搬送された病院に向かっていた最中でした。まだ家族が遺体と面会できていないようなタイミングで、東電は「作業との因果関係はない」と表明していたのです。茜さんは後日そのことを知り、怒りと深い悲しみに襲われました。
「なぜ、まだ調べてもいないのに、作業と無関係だと言えるのでしょうか。人間扱いされていない、モノ扱いだと感じました」
東電やいわきオールへの不信感の高まりが、提訴を決意させたと茜さんは言います。
「直接の雇い主だったいわきオールの社長は、亡くなった直後から、『労災じゃない』『訴えるのはやめてほしい』と言いました。私が労働組合に相談するまでは、夫のタイムカードすら渡してくれませんでした。いわきオールや東電がもっとちゃんとしていてくれたら、せめて一言でも夫に謝って、ねぎらいの言葉をかけてくれたら、私は裁判までしなかったと思います」
【3月30日、判決】
こうして東電やいわきオールを訴えた裁判が始まりました。2年にわたる審理の結果が、今月30日に言い渡されます。
茜さんは、こう語ります。
「まじめで正直な人でした。職人気質で、口下手で。家では会社や仕事のグチはほとんど聞いたことがありませんでした。イチエフで働いていることも、派遣されて2年くらいたった頃に初めて聞きました。『放射線量も低いし、昼休みも長くとれるから、大丈夫』と話していました。でも、本当は、労働時間も長いし、被ばくを気にしながら汚染された車両の整備をしなければならなかったんです……。家族を安心させるために話さなかったのだと思います」
「夫の命はお金には代えられません。裁判で請求した金額が、夫の命の金額だとは決して思っていません。とにかく、人の命を大切にしてほしい。誠実な謝罪を求めたい。それだけです」
原発事故後、イチエフの中で亡くなっているのは猪狩忠昭さんだけではありません。死亡事故も発生しています。
この裁判をきっかけの一つとして、イチエフ内の労働環境がよくなっていくことを切に求めます。
(取材・文 牧内昇平)
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