【新潟市水道局職員自死事件】かすかな光は

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パパは、もっともっと生きていて、やりたいことがいっぱいあったはずです。私も、もっともっとパパと一緒に過ごしていたかったです。パパと一緒に過ごせた時間が、わずか1年間なんてあまりにも短すぎます。そしてパパが38年という短い生涯を閉じなければならなかったなんて本当に、やりきれない気持ちでいっぱいです。私たち遺された家族は、生涯癒えることのない深い悲しみを抱きながら長い闘いを余儀なくされています。

希美さん「パパへの想い」

 まだ裁判中だった昨年夏、亡くなった男性の娘希美さん(仮名)が新潟地裁に提出した文章の一節だ。文章の中には「パパへの手紙」として書かれた部分もあった。

パパへ 
パパお元気ですか? 私は高校生になりました。私の制服姿、見て欲しかったです。・・・私が1歳の時にパパが亡くなってしまったので、私の保育園の入園式も卒園式も、小学校や中学校の入学式や卒業式も母が一人で出席しました。両親と揃って記念写真を撮っている友達の姿を横目で見ながら悔しくて寂しい思いもしましたが、私には心の中にパパがいるんだと思い、手を胸に当て、母の手を強く握りしめ、寂しさを紛らわしていました。でも、家に帰ると我慢していた涙が溢れ出て、母と抱き合いながら泣きました。

希美さん「パパへの手紙」

 この気持ち、喪失の深さを、誰も忘れてはならない。

 ◇ ◇ ◇

 遺族と新潟市水道局との話し合いは始まったばかりだ。両者の関係は、ある部分では歯車がかみ合ってきたのではないか。少なくとも裁判の頃のような敵対関係は変化しつつあると思える。だが一方で、全くかみ合っていない部分も残っているのは事実だ。

 遺族と水道局は、ある場所では肩を並べて走っているのに、別の場所ではそれぞれのペースで走っていたり、遺族は走っているのに水道局が立ち止まっていたり。そんなところがある。「一緒に走っていない」と感じるたび、遺族の気持ちは大きく揺さぶられる。水道局の担当者はこのことを心に刻んでおかなければならない。

 たとえば5月8日の黙祷だ。4月27日に妻Mさんがそれを求めた時、水道局の最初の反応は「できません」だった。そのことにMさんは傷ついた。検討の末、5月2日に黙祷は実施されることになった。水道局から見れば「実施したのだから、それでいいじゃないか」ということなのかもしれない。しかし、それは違う。最初に「できません」と言われた時点で、遺族の心はとても傷ついている

 もっとつらいのは、A係長への謝罪要請が遅々として進んでいないことだ。Mさんは毎日、進展を期待して水道局からの連絡を今か今かと待っている。しかし4月に入ってから音沙汰がなく、同月中旬頃にMさんが水道局へ問い合わせると、「今月に入ってからはまだ連絡していない」という回答だった。対応の遅さにMさんは憤っている(水道局がA係長に再び連絡したのは5月17日のことだという)。

 5月8日の命日、筆者は水道局のK総務部長に対して「ご遺族は水道局が真摯に対応していないと感じていますよ」と伝えた。K氏は「そうですか……」と答え、困ったような表情を浮かべた。自分たちなりに一生懸命やっているのに……。そんな気持ちだったのではないかと想像する。

 水道局には他の仕事もある。それは分かる。だが、遺族との関係修復は「片手間」でできるものではないことも分かってほしい。

 くり返しになるが、遺族の気持ちは、特に亡くなった男性の妻Mさんの気持ちは、水道局の一挙手一投足に大きく揺さぶられる。「連絡します」と約束した日に水道局から連絡が来なければ、Mさんはその晩ずっと、携帯の受信履歴をチェックしたり、メールの受信ボックスを開いたりして、ため息をつく。「やっぱり軽視されている。馬鹿にされている」と悩む。

 そうなってしまうのは当然だ。Mさんがナイーブすぎるのではない。水道局という「組織」に対し、Mさんは生身の「個人」として向き合っている。しかも16年前に、癒えることのない痛みを抱えた心と体で、向き合っているのだ。

 Mさんと話し合う水道局の人たちも、もちろん人間だ。しかし「組織」という鎧をまとっている。鎧をつけた人びとに対して、Mさんは傷ついた生身の体で、全力でぶつかっていく。愛する家族を失った以上、そうせざるを得ないのだ。受け止め方によって、Mさんがさらに深く傷ついてしまうことを、水道局の人たちには自覚してほしい。もちろんA係長に対しても筆者は同じことを言いたい。

 十七回忌の黙祷の前日、5月7日に娘の希美さんがMさんを介して筆者にくれたメッセージを読んでほしい。

 母は水道局の心ない対応によって身も心も打ち砕かれてしまいました。水道局のことで疲れ切った母の姿を見て私も心から辛かったです。・・・反省のないところに再生はあり得ません。元係長以前に水道局が「管理職による内部調査でいじめは確認できなかった」と今でも断言している以上、私は水道局が依然として反省してないことを感じます。その時点でもう再生は100%あり得ないはずです。
 当時1歳の私と4歳の兄を残して父は天国へ行ってしまいました。そんな赤ん坊の私たちを抱えて水道局と闘ってきた母は今まで自分のことを犠牲にして、自分のために時間を一切使っていませんでした。これからも水道局と話し合っても望むべき対応がとれるとは限りませんし、それがいつになるのか、またそんな日が来るのかも分かりません。。それによって失うものと得られるものとを天秤にかけた時、母が失うものの方が圧倒的に多いと思います。水道局を相手にし、これからの時間をどぶに捨ててしまうのでしょうか。母が自分のために活き活きと人生を歩んでいくことが天国の父の願いであるはずです。
 私は母が苦しみから早く解放されることを切に願います。水道局は「パパ」という当たり前でかけがえのない存在を私たち家族から奪ったことを重く受け止めるべきです。
 水道局はこれ以上遺族を苦しめ続けないでください。

 ◇ ◇ ◇

 変わり始めた両者の関係にも、目を向けてみたい。

 5月10日、水道局と遺族、労組の三者で再発防止に向けた協議があった。話し合いが終わり、参加者たちが会議室の片付けを始めた頃、水道局のK総務部長がぽつりと言った。

K総務部長「お子さんたちは何時ごろ帰ってくるのですか?」
Mさん「普段は夜まで図書館で勉強しています」
K総務部長「そうなんですね。勉強がんばってるんですね。●●さん(長男)はもう成人ですし、希美さんも17歳になりますね」
Mさん「そうです。覚えていてくださって嬉しいです」

 亡くなった男性とK総務部長はちょうど同じくらいの年代だ。生前は仲が良かった。お互いが独身だった頃のことをK氏は話した。

K総務部長「仕事が終わったあと、あいつはしょっちゅう私の家に寄っていきました。プロ野球ファンでしたよね?」
Mさん「そうなんです。野球が大好きで」
K総務部長「テレビで野球中継をやっていると全然帰ろうとしないんですよ。『明日も仕事なんだからもう帰れよ』って言うんですけど、あいつ全然テレビから離れようとしなくって」
Mさん「そんなことがあったんですね」
K総務部長「そうなんですよ」

 いつもは緊張関係にある二人のあいだに笑顔が交わされた場面だった。

Mさん「こういう話をもっと皆さんとしたいです」
K総務部長「そうですね。いいですね」

 遺族が求めているのは「勝訴」だけではなかった。そして「謝罪」や「再発防止」だけでもない。大切な人が亡くなったということ。その喪失の深さを水道局と遺族とで共有すること。一番求めているのはそれだ。むしろ、そこから始めるべきだ。

 亡くなった男性はどんな人だったのか。何が好きで、どんな性格だったのか。いいところも悪いところも含めてみんなで話し合って、水道局の職員は家庭でどんなパパだったかを聞き、遺族は職場での働きぶりに耳を傾ける。そうして16年前に家族や同僚たちのもとを去ってしまった彼の人物像をみんなで描き直す。その作業が「悼む」ということではないだろうか。みんなでその作業ができた時、遺族と水道局との関係は変わるのではないだろうか。

 両者の関係が100%再生する日はくるのか。筆者には分からない。少なくとも長い年月がかかるのかもしれない。しかし、かすかな光は見えている。そう思いたい。

(文・写真/ウネリウネラ牧内昇平)

※市長の謝罪から男性の十七回忌までを記した連載はここで終わります。もちろん、これからも書いていきます。

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