【釧路赤十字病院・新人看護師自死事件】①遺書と三方活栓

 北海道の釧路赤十字病院(釧路市)で2013年9月、一人の新人看護師が自ら命を絶った。村山譲さん、当時36歳。遺書にはこう書いてあった。

《「お前はオペ室のお荷物だな」と言われて確信しました。成長のない人間が給料をもらうわけにはいきません。本当に申し訳ありません。》

 我が子はなぜ、死なねばならなかったのか。職場に原因はなかったのか――。両親は裁判を起こし、真実を求めて闘い続けている。3月15日、労災認定訴訟の判決が言い渡される。(ウネリウネラ・牧内昇平)


遺書と三方活栓

 村山譲さんは北海道室蘭市の出身。専門学校を卒業後いったん自治体職員になったが、一念発起して退職。30歳で看護大学に入り直し、2013年4月から釧路赤十字病院の看護師として働いていた。配属されたのは「手術室」。働きはじめて半年後の9月15日、病院から約360キロ離れた室蘭市内の実家のガレージで、自ら命を絶った。

 リュックサックの中に遺書があった。

《入職して6ヶ月が経ちました。この6ヶ月、注射係しかできませんでした。その注射係すらまともにできませんでした。異常な緊張が続き、6月にはプロポフォールのインシデント、手術台のロックを外してしまうアクシデントを起こしてしまいました。本当に申し訳ありませんでした。毎日、胃痛と頭痛に悩まされ、夜中に目が覚めてしまう日々が続きました。集中力に欠けて、ミスを連発し、言われたことを通せないでいました。A先生(※)に「お前はオペ室のお荷物だな」と言われて確信しました。成長のない人間が給料をもらうわけにはいきません。本当に申し訳ありません。勉強しても、イメトレしても手術部屋に入ると抜けてしまいました。だから、あきれられても仕方ありません。6ヶ月本当に皆様にはお世話になりました。》

※本物の遺書には実名が書いてあった。筆者が匿名とした。

 村山譲さんは亡くなる前々日の2013年9月13日夕方まで、病院で勤務していた。職場を出たあと午後7時30分に釧路市でレンタカーを借り、室蘭へ向かった。翌14日の午後2時ごろ、なじみの散髪屋に行った。ここは譲さんと父豊作さんが親子で利用していた店で、自宅から歩いて5分くらいの距離だった。亡くなった後で豊作さんが店主から聞いたところ、散髪中の譲さんに特に変わった様子はなかったという。同じ日の午後6時半ごろ、レンタカーは室蘭市内の事業所に返却された。

 翌15日の朝8時ごろ、父豊作さんが自宅ガレージの中で譲さんの遺体を見つけた。母百合子さんは仕事で札幌にいた。

 譲さんはガレージで命を絶った。しかし亡くなる前、自宅に顔を出すことはなかった。父の豊作さんは、そのことをとてもつらく思っている。豊作さんの気持ちは察するに余りある。

 筆者は、譲さんが自宅に顔を出さなかったのは、親への反感や嫌悪では決してないと思う。ただただ、どんな顔をして会ったらいいのか、分からなかったのではないだろうか。

 育ててくれた親に会いたい。助けてほしい。でも心配はかけたくない。ただでさえ反対を振り切って看護師になったのに、仕事のことで死ぬほど悩んでいる姿など見せられない。
 このまま職場に戻れば、体調を崩し、ミスを連発し、自分を責める日々が続く。耐えられない。おしまいにしよう。やはり最後に親に会っておきたい。でも、どんな顔で? 会えば命を絶つことなどできなくなる。耐えられない、助けてほしい、耐えられない―――。

 堂々巡りをくり返しながら室蘭市内にたどり着き、自宅のドアの前まで行って、そこで足が止まった。そんな譲さんの姿を、筆者は想像する。


 リュックサックには何が入っていたか。遺書、Tシャツ、預金通帳と印鑑、睡眠導入剤、中身が半分のこったウイスキーの小瓶。そして不思議なものが一つ入っていた。点滴に使う「三方活栓」という医療器具だ。

譲さんのリュックサックの中に入っていた三方活栓=遺族提供

「三方活栓というのは、点滴のチューブとチューブをつなぐT字型の小さな道具です」
 譲さんの母、百合子さんが筆者にそう説明してくれた。百合子さんも17歳から看護の仕事をしてきた。今も室蘭市内のデイサービスで働きながら裁判を続けている。

「たとえば患者さんに二つの薬剤を投与する時、この道具でチューブをつなぎます。水道の蛇口のような取っ手がついていて、その取っ手の向きを変えると栓が開閉されます。片方の薬の投与を一時的に止めたり、再開したりすることができます」

――看護師の人はこの道具を家に持ち帰ることはありますか?

「そういうことはあまりないと思いますね」

――使い方が難しい道具なのでしょうか?

「いいえ。取っ手の向きを変えるだけなので。看護師としては基本中の基本です。練習が必要な道具ではないと思います。私は持ち帰ったことはありません」

 なぜ、実家に帰省した譲さんの荷物の中に三方活栓が入っていたのか?
 たまたま荷物の中に紛れ込んだのか(だが、そんなことってあるのだろうか?)。それとも、職場でうまく使いこなせず、自宅に持ち帰って練習していたのだろうか。

 遺書を読むかぎり、筆者は後者の可能性が高いと感じる。

《成長のない人間が給料をもらうわけにはいきません。本当に申し訳ありません。》

譲さんの遺書の一部=遺族提供

仕事のミス

遺書にもある通り、譲さんは働きはじめて2ヶ月後の13年6月、仕事で大きなミスをしていた。以下の二つだ。

・鎮静剤「プロポフォール」を医師の指示より1ミリリットル多く患者に投与した。

・患者の落下防止のための手術台のロックを誤って外した。

 どちらのミスも下手すれば患者の容体を左右する重大なものだろう。譲さんは気落ちしたにちがいない。以下は母百合子さんの話である。

〈当時、私は札幌市で看護師をしており、札幌のマンションに住んでいました。譲は亡くなる3か月前の6月17日から21日まで夏季休暇と有給休暇で5日間休暇をもらっていましたが、電話で「インシデントレポートの振り返りをしなければならないので忙しく帰省できない」と言っていました。私は気分転換なども必要と話して、譲は2泊3日で札幌に帰省しました。譲が札幌に来ていた夜に、私と、譲の妹、妹の夫で居酒屋で食事をしましたが、譲は麻酔薬を誤って1㏄多く患者に注射してしまう失敗をしたことをかなり悔やんで落ち込んでいたので、私や娘が他にもっと大きな失敗をする人もいるなどと言って譲を慰めました。私も看護師ですが、今回はたまたま患者に大きな影響はなかったようですが、麻酔薬を1㏄多く患者に注射してしまうということは、些細なミスではなく、かなり重要な出来事です。このことで譲はかなり落ち込んでおり元気がありませんでした。また、この年の3月に会った時よりも瘦せており、体重を尋ねたところ2か月で5キロ減ったと言っていました〉

(村山百合子さんの話・釧路労基署による聴取書から引用)

 これらのミスの結果、譲さんの研修カリキュラムは同期の新人たちに比べて進むのが遅れた。譲さんが亡くなった直後、母の百合子さんは釧路赤十字病院に足を運び、上司にあたる看護師長らに仕事のことを聞いた。その概要は以下である。

――釧路赤十字病院の手術室では、新人看護師が1年間で覚えるべき業務は「注射係」「外回り」「器械出し」に分かれていた(※「外回り」とは手術中の患者を観察したり、血圧を記録したりする業務。「器械出し」とは執刀医にメスなどの器具を渡す業務)。譲さんは当初、2013年4~9月に「注射係」から「外回り」を、10月~翌年3月で「器械出し」を習得するというスケジュールだった。ところが譲さんのミスが多かったため、10月から予定通り「器械出し」へ移ることができなかった。

 同僚たちの証言が研修カリキュラムの遅れを裏付けている。

〈……村山さんは一度にたくさんのことを説明したり、同時に複数の作業をしなければならなくなると、焦ってパニックになるようで、本人とも相談した上で、無理に器械出しなどの新たな業務を覚えるのではなく、確実に仕事を覚えてもらうことにしました。〉

(看護係長の話・釧路労基署による聴取書から引用)

百合子さんは話す。

「その年、手術室に配属された新人4人のうち、予定通りカリキュラムを進められなかったのは息子だけです。1年間で注射係、外回り、器械出しと全部覚えてはじめて、新人は一人前とみなされ、翌年から夜勤業務に就くことができたそうです。夜勤に就くと手当が増えます。息子は看護学校時代の奨学金を返済するため、『早く夜勤をやりたい』と言っていました。研修の遅れは心理的にとてもつらかったと思います」


 筆者は看護師の仕事をよく知らない。しかし、新人記者時代の不安な気持ちは、今でもはっきり覚えている。同期の人間と仕事の出来を比べて一喜一憂していた。先輩記者からほめてもらえば「自分の将来は明るい」とのぼせ、逆に叱られれば「どうせ記者失格だ」としょぼくれた。

 あらゆる職場で多くの人が似たような経験をしているのではないだろうか。新人だった譲さんが研修カリキュラムの遅れで落胆している姿は、容易に想像できる。

(次回に続く)

3 thoughts on “【釧路赤十字病院・新人看護師自死事件】①遺書と三方活栓

  1. いろいろな意味で、到底他人事と思えません。胸がふさがります。「年齢を重ねた後で看護師となった」という意味でも、もちろんですが、看護・医療の場に限らず、このような苦痛が、遍在するように思います。

  2. 私も似た経験があり、生きることを選んだので。

    看護師を離職しました。
    私も社会人から年齢を重ねて看護師の資格をとりました。

  3. 社会人からの看護師まして手術室勤務はハードルが高いと思います
    学校では手術室の経験は見学程度です
    病棟勤務からの移動でも続けられない人も多い部署です
    病棟とは違う緊張感がなれるまで大変です
    病棟では普通部長と話すことはまれですが、すぐそばに立っていたり、何かするたびに、数人がじっと新人を見つめます
    合わない職場はあります
    本当に辛い結果です
    手術室から病棟移動したりしていきいきと働いている人もいます
    学校では柔軟な自己肯定をして良いことを教えてください
    そこでできなくても違うところがあるのです
    余談ですが手術室勤務者は生理が止まる人が多くいました

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。