寄稿エッセイ・小学校の先生から⑥

 ウネリ旧知の小学校教諭、有馬佑介さんの寄稿です。

 有馬さんは東京都国立市にある桐朋学園小学校の2年生のクラスを担任する先生です。昨年10月以来、久しぶりの投稿をしてくれました。前回の記事はこちら↓

 今回は、有馬さんが20歳の頃から関わってきたバングラデシュの話です。ぜひお読みください!


『ある日の授業のこと』(有馬佑介さんからいただいた文章)

 先日、子どもたちに国際理解教室と題した特別授業を行いました。

  ペアを組む隣のクラスの教員が以前ベトナムの日本人学校に勤務しており、それを子どもたちに伝えたいと言ったことがきっかけでした。

 彼女の授業のついでに、せっかくなので、僕がずっと足を運び続けたバングラデシュについて、子どもたちに伝えようと思いました。

 20代のころ、バングラデシュの東端チッタゴン丘陵地帯に住むジュマと呼ばれる少数民族の子どもたちの寄宿制の寺子屋支援をずっと続けていました。

 電気、ガス、水道の通っていない場所へ、でも子どもたちの笑顔のあふれる場所へ、少なくとも2年に1度は足を運びました。そして、子どもたちとただただ戯れました。

 しかし、自分が結婚して子どもが生まれると、バングラデシュの奥地から足が遠ざかりました。寄付を通じて寺子屋支援は続けていたものの、「また来るね!」と言ってバングラデシュの子どもたちと別れたのに、会いに行かない後ろめたさから、学校で受け持つ子どもたちにその話はしなくなっていきました。

 そんな僕の思いとは別に、支援から10年経ち、なんと寺子屋は公立学校となり、僕らの支援は必要なくなりました。通っていた子どものなかには、僕らの支援を頼りに、大学まで進む子も現れました。舗装された道路も通らない、普通の自動車ではたどり着くこともできない、そんな辺境の村から、大学生が生まれたのです。

 時間が経ち、ようやく自分がやったことを認めてもいいのではという気持ちになっていました。胸を張り、自分がしたことを含め、大好きなバングラデシュのことを子どもたちに伝えたいという気持ちになったのです。

 しっかりと時間をとって、子どもたちに話をするのは、実に10年ぶりだったと思います。授業時間は30分の予定でしたが、そのための準備をしていると、伝えたいことを整理したり、見せたい写真を膨大なデータから探したり、気が付くと深夜3時を回っていました。

 準備をしながらずいぶん感傷的な気分に包まれました。

 初めてバングラデシュを訪れたのは今から20年以上前、20歳のころです。夜のダッカ国際空港の玄関には「外国人」である僕らをただ見にきた人でいっぱいでした。真夜中に彼らの大きな目がこちらへの好奇心で光っていて、目立ちたがり屋の僕もただただたじろぎました。

 空港を出ると、けたたましいクラクションの音。客を呼び込むためにバスの車体を思い切りたたきながら叫ぶ車掌。道路は車線なんてないようにパズルのようにぎっしりと車にバイクタクシー、それにリキシャ(人力車)でうめつくされていました。

 その喧騒に圧倒的なエネルギーを感じ、強くひきつけられました。田舎町をたずねると、たくさんの人たちが話しかけてきて、ときには家に呼ばれてご飯をごちそうになりました。たくさんの子どもがいて、いつもけらけら笑っていました。

 『アジア最貧国』という僕の薄っぺらい思い込みは、子どもたちのあふれる笑顔で吹き飛ばされました。もちろん、同時に正当化できないほどのひどい格差も目の当たりにしました。

 そして、教員となって始めた少数民族の寺子屋支援。 閉ざされた辺境の村に、へとへとになってたどり着くと、子どもたちはいつでも満面の笑みで迎えてくれました。何者でもない僕が来るのを、僕の乗った乗り合いジープが村の前に着くのを、いつもずっと待っていてくれるのです。

 子どもたちは、お寺のお堂の脇の小部屋に寝泊まりする僕を、毎朝早く起こしに来て、言葉なんて全然伝わらないのに、うれしそうにずっと話しかけ続けていました。市場で作業用のロープを買ってきて大縄をやれば大歓声をあげ、サッカーボールを差し入れるとみんなが抱き着いてきました。お風呂がないので井戸で水浴びをしていると、隣に流れる川の水浴びに誘ってきました。もちろん日本の子どものようにたくさんいたずらもしてきて、当然僕もたくさん仕返しをしました。さすがに泥水の入ったコーラの缶を満面の笑みで差し出してきたときは怒りました。

 村を離れるときは、見えなくなるまでみんなが手を振ってくれました。いつもそれが寂しくて、うれしくて。助けるつもりが、彼らの存在に僕の方が支えられていたのです。

 今回、受け持つ子どもたちに授業を準備していて、あの子たちやあの人たちがどれだけ自分の大切な存在だったか、改めて気が付きました。授業では、バングラデシュの国の文化の紹介と、そして、僕にとってその国が、そこに暮らす人がどれだけ大切だったかを語ることにしました。どうしたって心をこめて話さずにはいられませんでした。

 今、毎日ともに暮らす大切な子どもたちに、僕のとても大切にしてきた人たちのことを伝えられて、すごく満たされた気持ちになりました。


【ウネリウネラから一言】

 今回は東京の小学校の話ではなく、なんと遠くバングラデシュの話ですね! 大変有意義な活動と感じます。学校が「公立」になっていたという話、びっくりしてしまいました。

 コロナへの対応もあり、学校はふだんに増して大変なことと思います。けれど、様々な葛藤に苛まれる今だからこそ有馬さんは、引き出しにずっと大事にしまっておいた体験を語りだしてくれたのかもしれませんね。心あたたまる文章を書いていただき、感謝いたします。

One thought on “寄稿エッセイ・小学校の先生から⑥

  1. このお話を読んでをよんで、ブータンの映画「山の教室」を思い出しました。映画で主人公の先生は教師になりたいわけではないのに、最も僻地の学校に派遣され、最初はすぐにやめよう、と思っていたのが、子供たちと過ごすことで、教育に目覚める、というストーリー。
    よくある話ですが、映画は全く陳腐ではない。子供たちの無垢な心が若者の気持ちを変えていく過程が実にうまく描かれていました。
    途上国の教育事情を読んだり聞いたりするたびに、子供の無垢な気持ちが伝わってきます。先進国に比べると経済的には貧しいかもしれませんが、学校で学ぶ喜びが伝わってくることがおおい。日本の教育で失われていることが何か、という示唆がたくさんあると感じました。

ゴッサム市民 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。