【子ども脱被ばく裁判】控訴審・2回目の法廷

 福島原発事故の「子ども脱被ばく裁判」が2月14日、仙台高裁で開かれました。昨年10月に控訴審がはじまって以来2回目の法廷です。

※子どもたちを放射線被ばくから守ろうと、福島の親子が国や福島県、福島市などの自治体を訴えている裁判です。昨年3月の福島地裁判決は親子側が敗訴。仙台高裁に移っています。本サイトでの関連記事は文末に。


どれほど耐えがたいか、想像してみて

 14日に開かれた2回目の法廷で筆者(ウネリ)が最もひきつけられたのは、原告(事故当時福島に住んでいた)の男性Aさんによる意見陳述です。当時福島に住んでいた方々の言葉は、やはり聴く者に強く訴えかけるものがあります。長文ですが、削るのがためらわれる内容だったので、少しだけ省略した形で紹介します。

原告男性Aさんの意見陳述

原告のAです。私は、原発事故に対する基本的な誤解について話したいと思います。
未曾有の地震と想定外の津波によって、予期せぬ原発事故が発生したという説明が流布されています。しかし、これは大きな誤解です。地震・津波による原発事故は想定されていましたし、それゆえに耐震補強や防潮堤かさ上げ工事が進められ、事故を回避できた原発もありました(たとえば東海第二原発)。
原発事故を想定していたがゆえに、事故が起こった時にとられるべき対策も詳細に決まっていました。これらは1999年のJCO事故以降、原子力災害対策特別措置法を頂点とする「原子力防災」という一連の法体系としてまとめられました。
私が主張したいのは、国や福島県がこうした手続きに従わず、私たち住民に被ばくを強いたという事実です。地震から2時間足らずの間に稼働を始めていたSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータは、緊急時の住民避難に活かされるべきものですが、これが公開されたのは原発事故から10日以上たった2011年3月23日です。当時SPEEDIを管理していた原子力安全技術センターは、3月11日深夜からはメール添付で、3月13日朝にはfax30枚以上を福島県庁に送りましたが、それでも福島県は、このデータもまた公表しなかったのです。福島県は放出源情報がなかったため公表できなかったと説明していますが、この説明はまったく成り立ちません。事故対応の指針(「緊急時環境放射線モニタリング指針」)には放出源情報がない場合も想定して対応が記載されていたからです。
放射性物質の拡散予測だけではありません。実測の面でも情報の隠蔽とデータ取得の妨害が行われました。福島県原子力センターの職員は震災翌日の朝から、上記の「指針」に従い、福島第一原発の近隣まで行って環境中に放出された放射性物質の実測を行っていました。3月12日には5カ所で、13日には10カ所でのモニタリングが行われました。しかしその後、文部科学省からストップがかかったと、当時実測に携わっていた方が証言しています。その結果、原発事故による汚染の最も深刻であった3月14日から17日の実測値を欠いています。
結果として、被災地の住民は、放射性物質が大量拡散した事実も、原発がメルトダウンした事実も、避難の方法も知らされないまま現地に取り残されたのです。つまり、住民を被ばくから守るという原子力防災の目的は、それを担う行政側の不作為や妨害によって、達することができなかったのです。私たちが無用な被ばくを強いられたと主張する所以です。
2011年3月末、福島県教育委員会は、県内諸学校の4月6~8日からの授業開始を、放射線量の測定もせずに決定しました。4月上旬には、原子力安全委員会が放射線量の高い地域の住民の被ばく限度量について、従来の年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げるべきか検討を開始しています。4月10日には文部科学省が児童生徒の被ばく限度を年間20ミリシーベルトとする方針だと報じられました。これは、避難区域を拡大させないため、さらに子どもにまでこの基準を適用するということを意味したのです。
このように、政府や福島県は、原発事故当初は情報を隠して住民の避難を妨げ、のちに汚染の深刻さが明らかになってくると、今度は(避難区域を拡大するのではなく)住民の被ばく線量限度の方を引き上げたわけです。それらがいずれも法令に反し、正義にも反し、国際常識にもヒューマニズムにも反するものであったことは、言うまでもありません。
その結果、被災地の誰もが、私も含めて、自分がどれほど被ばくしたかを知らず、それゆえ、健康不安を抱えたまま事故後の10年間を過ごしてきました。風邪が長引いたとき、喉が痛むとき、身体がだるいとき、「これって、もしや……」と思うわけです。こうした日々がどれほど耐えがたいものであるか、想像してみていただきたいと思います。被災地には、わが子の健康や将来のことを心底心配しながら、そのことを口に出しては言えない多くの人がいます。誰がそういう社会を作ったのでしょうか。法令に反し、正義にも反し、国際常識にもヒューマニズムにも反する行いを、見て見ぬふりする人たちが作ったのではありませんか。
こうした現状に対し、今こそ、被災地に押しつけられた理不尽の数々を取り除き、不正を改める時ではないでしょうか。裁判所の適切な判断を、切に、切に願っています。

原告Aさんの意見陳述

 とても印象的な陳述でした。人々の耐えがたい苦しみを「想像」すること。誰もが肝に銘じなけならないことだと思いました。


法廷後の集会で

 終わったあと仙台市内で開かれた集会では、先月東京地裁に提訴された「3・11子ども甲状腺がん裁判」の説明がありました。「子ども脱被ばく」の井戸謙一弁護士はこちらの裁判にも加わっています。

1月27日に事故当時福島県内で暮らしていた17歳から27歳の青年6人が、東京電力を相手に損害賠償請求訴訟を起こしました。甲状腺がんになったのは被ばくが原因であるというのが請求の理由です。事故当時6歳から16歳でした。全員が手術をしています。うち4人は再発して再手術。さらにそのうちの1人は都合4回も手術をしています。4人は甲状腺を全摘で、生涯ホルモン剤を飲み続けないという立場に追い込まれています。進学、就職にも、具体的に差し障りが出てきています。また1人は肺への転移も指摘されていて、今後どうなるか分かりません。こういう状況です。年間で100万人に1人か2人であったはずの甲状腺がんが福島県ですでに300人近く見つかっているわけですから、原因は被ばくしかあり得ないということで、裁判を闘っていきます。

過剰診断論とかいろんな形で、「がんと被ばくの因果関係はない」ということが言われています。(福島で行われている)県民健康調査の検討委員会やUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)がそういう見解を出しています。それに乗っかって、「被ばくが原因ではないのに裁判を起こすな」というバッシングの動きがすでに出ています。しかし、ここで因果関係が否定されてしまうと、実態としては各種のがんや健康被害が生じていると思いますが、その全てが否定されてしまう。原発事故であれだけ放射能が放出されたのに「健康被害は全くなかった」という政府が作り出そうとしているフィクションが、まかり通ってしまうことになる。これは絶対に負けられない裁判だと思っています。

いま、裁判を起こすのはすごく勇気がいること。6人の若者は時間をかけて、家族と相談しながら決断したわけです。彼らが決意した原因は、自分自身の将来が不安だということもありますけど、300人近い若者が同じような苦しみ、不安を抱えて生活している。そういう人たちがバラバラにされているので、そういう人たちに勇気と励ましを与えたいという強い気持ちがあるそうです。最後はそこで決断したんだと思います。

井戸弁護士

 「甲状腺がん裁判」は大変残念なことに甲状腺がんになってしまった方々が、その責任を東京電力に問う裁判です。「子ども脱被ばく」は、そういう病気にならないように最大限、子どもを守る権利があることを訴えています。どちらも大変重要。注視が必要です。

 集会では、最近あった「非常にけしからんこと」についても弁護団から指摘がありました。本サイトでは紹介できていなかったので、ここに書きます。


元首相たちのEU書簡問題

小泉純一郎、菅直人、村山富市ら5人の首相経験者が、EUの欧州委員会に対する書簡で「(原発事故によって)多くの子どもたちが甲状腺がんに苦しんでいる」と書きました。これに対して、政府や福島県が猛抗議しています。

「誤った情報を広め、いわれのない差別や偏見につながる。適切でない」

西銘復興相

「(県民健康調査では)『発見された甲状腺がんと放射線被ばくの間の関連は認められない』とする見解が示されております。科学的知見に基づく客観的な情報を発信していただくよう、書簡により申し入れたものであります。」

内堀知事

この流れをどう捉えるか。法廷後集会で井戸氏はこう語ります。

まさに「美味しんぼ」攻撃を思いだしました。結局、美味しんぼでの「鼻血」をバッシングすることによって、多くの子どもが鼻血を出したという話をみんなができなくなってしまった。鼻血のことを事実として消し去る、そういう社会的雰囲気が作られた。甲状腺がんのことも、あの時の成功体験のようにしたいというのが権力側が考えていることだと思います。しかし、あれだけの大事故が起こって、健康被害がないということは考えられない。そのことをいろんな機会に訴えていかないといけない。事実をなくさせてしまうことを赦してはならない。

 同感です。ウネリウネラも強く抗議します。県民健康調査では250人以上の人に甲状腺がんが見つかり、摘出手術も200件を超えるそうです。「多くの子どもたちが甲状腺がんに苦しんでいる」のは事実でしょう。内堀氏が言う、「県民健康調査ではがんと被ばくの関連は認められない」という見解の根拠は、「現時点では両者の間に明らかな関連を見つけることができていない」ということだけです。それならば、「関連はない」と強弁するよりも、「多くの人が苦しんでいる」と指摘することのほうが、よほど事実に忠実であると筆者は考えます。

 「福島原発事故による健康被害はなかった」とした方が都合のよい人たちはたくさんいます。電力会社、原発メーカー、原発を前提とした経済界、それと表裏一体である政治、行政。筆者のような首都圏に住んできた一般人だって、「なかった」とわかれば、そのほうが精神的に楽になれるかもしれません。これまで原発推進の社会で積極的な抵抗もせずに暮らしてきた責任が、軽くなるからです。

 しかし低線量被ばくという微妙な話の場合、「被害はなかった」とする誘惑に負けた瞬間、実際の被害がすべて見えなくなってしまうでしょう。「本当に健康被害はなかった」と言い切れる日が来るまで(残念ながらそんな日は来ないと思っていますが)、「実際に苦しんでいる人、不安に思っている人がいる」という事実に重きを置くべきだと筆者は考えます。


怖がっていい、泣いていい、怒っていい

 集会の最後、法廷で意見陳述した人とは別の原告がマイクを握りました。福島で子二人を育ててきた女性です。この方の言葉で今回のレポートを終えたいと思います。

2014年8月に提訴したとき、私の次男が、「ママ、ぼく学校を休んで言いたいことがある」と言い、集会で話しました。その時話した息子はいま15歳になりました。彼は小学5年の時から病気を患い、いまは中学3年生です。今年受験になりますが、中学校は中1の1学期しか行きませんでした。被ばくが原因かは分かりません。でも元気だった彼がそういう風になりました。先ほど鼻血のこともありましたが、うちは当時、長男も次男もたくさん鼻血を出して、私も右往左往しました。本当にこわくてどうしていいか分かりませんでした。この裁判が福島で敗訴したとき、本当に悔しくて、仙台では負けられないと思っております。怖がっていい、泣いていい、怒っていい。いつか最後に笑えるように。これを実現したいと思います。

原告の一人

 次回の法廷は5月18日に決まりました。

これまでの「子ども脱被ばく裁判」についての記事は以下のリンクよりお読みください。
子ども脱被ばく裁判記事一覧

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