ある休日の昼どき、うちで子ども(9歳)が唐突に話し始めたことです。
「友だちで、しゃべろうとすると声が出づらくなるっていうか、急に言葉を忘れたみたいに、しゃべれなくなっちゃう子がいるんだよ」
毎日毎日、その日あった出来事を寝るまで語り続けるようなわが子から初めて聞く話だったので少し驚きましたが、状況はなんとなく呑み込めました。
それと同時にぎゅうっと、私自身の心が締め付けられるような気がしました。急に心細くなり、そこから逃げ出したいような思いに駆られたのです。それがどういうことなのか、すぐにはわかりませんでしたが、あとから考えると私はその時、子どものお友だちに感情移入していたのだと思います。
というのも、私自身が人との会話に不安を抱えているからです。
私は人と話すことを苦手に思っています。
昔から引っ込み思案なところはありましたが、いくつかのショッキングなできごとで心身に傷を負って以来、人と会って話すことにとても臆病になってしまいました。
もう誰かの言動に傷つけられたくないという気持ちと、自分の言動で誰かを傷つけたくもないという気持ちが張りつめると、やがて言葉をやり取りすること自体が、とても怖くなりました。そのうち咄嗟の会話に反応できなくなり、そのコンプレックスから、人と会うことも難しい時期がありました。
けれどそれは一方で、私がどうにかして乗り越えたいことでもありました。家族や友人に支えてもらいながら今は少しずつ、人と話すこと、人に心を開いていくということを、取り戻そうとしている最中です。
そうしたこともあったからか、私は子どもから聞いたお友だちのことを、自分自身のことのように感じていました。私はそのお友だちのことを、詳しくは何も知りません。症状はもちろん、置かれている環境も背景も、その子と私とではきっと、まるで違っているでしょう。
けれど、言葉が思い通りに出てこないということには、私も何年もの間苦しんできました。子どもから聞いたお友だちの姿のなかにもがいている自分を見るようで、息苦しくなったのだと思います。
私が呆然としていると、昼食を作っていたウネリがほとんど間を置かず、子どもにこう尋ねていました。
「で、君は話しかけられた時どうしてるの?」
私はふたりのやり取りを、とても緊張して聞いていました。でも子どものほうも間を置かず、ごくあっさりと
「え?待ってるよ」
と答えました。それを聞いたウネリはまたすぐに
「それでいいんだ」「じっと待つんだ」
と言いました。
それは、目の前の子どもに言い聞かせているのではなく、どこか遠くへ静かに吐き出された、ひとり言や深いため息のように聴こえる言葉でした。子どもは心なしか、少しすっきりしたような顔をしていました。
「待っているうちに、休み時間が終わっちゃうこともあるんだ」
「いいんだよ。その時間がすごく大事な時間なんだから。いつまででも、待つんだ」
会話を聞きながら感じていた緊張が、ゆっくりとほぐれ始めていくのがわかりました。子どもはもうすっかり、弟たちとの遊びの輪の中に戻っています。
いつも待っていてくれてありがとう。私も君たちを、ほかの誰かを、待つことのできる人になりたい。
子どものお友だちにも言わせてほしい。こうして私たちに話しかけてきてくれて、本当にありがとうと。
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