また日本学術会議事件についてです。
新聞やテレビを眺めていると、なんとなく政権と学者たちとの「対立」とか、「攻防」とかいう印象をもつかもしれません。
政治家と大学教授。偉い人たち同士が対等な立場でけんかしたり、論争したりしているイメージです。
そうすると、分厚い本に囲まれて暮らしている教授たちよりも、パンケーキが好きなおじさんの方に親しみを感じる人もいるのかもしれません。(私だって、日曜の朝には家族でホットケーキを焼いたり、フレンチトーストを作ったりします。)
でも、本当は少し違うと思うのです。
これは、“横綱同士ががっぷり四つで組んだ相撲”とは似て非なるもの。
近いものを探せば、
“上司が部下に対して行う、一方的なハラスメント”
だと思います。
- 推薦リストに入れた新会員を任命しない。
- 任命を拒む理由も説明しない。
- 「おかしい」と声を上げたら、こんどは行革の対象に入れて「会議のあり方自体を見直す」などと、恫喝される。
明らかに悪意のこもった対応をしているのに、何が理由なのかを教えない。「そこはお前たちで考えろ」という感じです。
似たようなことが、あなたの周りで起きていないですか?
職場でこのような経験がある人は、いないでしょうか?
- 上司にレポートを提出したら、破り捨てられた。
- レポートのどこが悪いのか、指摘してもらえない。
- 聞きに行ったら、「なんでも聞こうとするな!」と叱られた。
もしくは、家庭でこんなことはないですか?
- 帰宅した夫がむっつりと不機嫌な様子で晩御飯を食べている。
- 職場で嫌なことがあったのか、おかずが不満なのか、話してもらえない。
- おずおず聞いてみると、「なんでもないよ!」となぜか怒られた。
ハラスメントを受けると、人は混乱します。
まずは「嫌だな」と感じます。でも、「これだけ嫌なことをされるのは何か理由があるはずだ」と考えます。
しかし、その理由が教えてもらえません。
しょうがないので、自分で考えることになりますが、すると「私の何かが相手を怒らせたらしい」と、自分の“悪いところ”探しをせざるを得なくなってきます。
そして自分の考えつく“悪いところ”を「なんとなく」見つけると、今度はそれを必死で直そうとします。それが自分の好みや個性だったとしても、です。
“自分の気持ち”を無視して、“相手の気持ち”に沿うように振舞うようになるのです。
それでも相手から攻撃を受け続けたら、「これは当然の報いだ。“悪いところ”を直せなかった自分が悪い」と思い込むようにまでなってきます。
もしくは、自分が受けたハラスメント自体を、自分の中で「なかったこと」にすることもあります。
「嫌だな」と思う“自分の気持ち”を封じ、なんの痛痒も感じずにこちらを攻撃する“相手の気持ち”に同化することで、れっきとしたハラスメントを「嫌だ」と感じないようにするのです。
どういう行動をとっても、結果は同じです。
いつのまにか、心の中には“相手の気持ち”しかなくなってきます。
そうやって徐々に心を乗っ取られていくのです。
私には今回の日本学術会議事件が、政権によるハラスメントに見えます。
公然と嫌がらせをしながら、一方的にコミュニケーションを遮断する――。それは対等な関係に立った「対立」や「けんか」などではなく、ハラスメントだと思うのです。
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