子どもに「一人一台」のタブレット端末を配る「GIGAスクール構想」について、皆さんの声シリーズはまだまだ続きます。
※ 元になった文章「タブレット端末を使った小学校の授業」
前回までの投稿 浦島清一さん「物事の不思議さを感じられるのか?」
今回は、都内の私立小学校で教えている有馬佑介さんのご意見を紹介します。ぜひお読みください。
【有馬佑介さんからのご意見】
タブレットと教育については、思うことがあります。
私の勤務校は東京の私立小です。先進的な教育を行っていると思われることも多いですが、「一人一台」についてはとても慎重に考えています。
また、ひとりの教育者として、私は小学生の一人一台は愚策だと現状では捉えています。
(以下に書くことは、私個人の考えであり、勤務校の見解ではありません。)
タブレットやPCを使うことによって子どもたちの創造が広がっていくと言われていますが、私が見てきた「先進的」とされる授業はキャッチーに見えるものの、従来のドリル学習の延長にあるような授業に見えました。むしろ枠を与えられ、そこから今まで以上に逸脱しづらい、逸脱が許されない、つまり子どもたちの創造を狭めていくような印象を受けました。
見ていて特にわくわくしない授業にも関わらず、タブレットを使っているからそれで先進的と言った小手先の授業にうんざりさせられたこともあります。
学校に営業に来るソフト販売の人たちの多くが、「先生の手元のパソコンで子どもたちの学習の様子が把握できます」「家での学習や生活の様子が把握できるようになります」というようなことを、さも良いことのように宣伝されます。
それが私には「今まで以上に子どもの管理が楽にできるようになる」と聞こえます。
どれだけ管理をしないで、それでも子どもが安全で安心にのびのび成長できるかを、20年近く懸命に努力してきた自分には、その言葉は胸を苦しくさせるもの以外のなにものでもありません。
また、特に低学年の子どもたちがタブレットやPCに囚われることには強い危惧があります。
この年代の子どもたちは、効率性よりも、むしろ面倒くさいことを面倒くさいままに、五感を使う経験をたくさんすることが重要に思います。
野に咲く花を、高価な機材を壊さないように気を付けながら写真で撮ることより、画板に挟んだ画用紙を手についた土で汚しながら、思うようにできないことに苦心しながらもスケッチすることのほうが、よほど子どもの経験として尊いように思うのです。
今の流れが本当に子どもたちの育ちに寄与するのか、大いに疑問を抱いています。
子どもたちの育ちよりも大人たちの社会の要請を吟味せずに押し付けているようにすら思うのです。
【ウネリウネラから一言】
現役の教員である有馬さんから大事なご意見をいただきました。
「ソフト販売の営業で学校にやってくる人たち」の話がとても印象に残りました。貴重なご意見だと思います。
「 野に咲く花を、高価な機材を壊さないように気を付けながら写真で撮ることより、画板に挟んだ画用紙を手についた土で汚しながら、思うようにできないことに苦心しながらもスケッチすることのほうが、よほど子どもの経験として尊いように思う 」という言葉にも、共鳴しました。有馬さん、ありがとうございました。
みなさんのご意見をお聞かせください
読者のみなさんの考えを募集しています。タブレット授業について否定的なご意見が多いですが、それに対する反論などもぜひうかがいたいです。
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