放射能の不安、大病、そのうえ避難先から立ち退きを求められて…新鍋さゆりさん(仮名)の境涯

これから紹介する新鍋さゆりさん(仮名、50代)の置かれた状況に思いを馳せてください。


原発事故からの避難、うつ病、がん、生活保護…

 私は、2011年3月11日、東日本大震災で被災し、また原発事故による放射能の悪影響に強い不安や恐怖を感じたため、大阪市に避難してきました。そして、現在の住まいである大阪市の市営住宅を割りあてられ、避難生活が始まりました。

 新鍋さんは当時、関東地方のある都市で暮らしていました。原発事故後に放射線量の数値がぐんと高くなった地域です。恐怖を感じ、住み慣れた場所から離れる決意をしました。避難指示が出ていない地域からの避難者、いわゆる「区域外避難者」「自主避難者」としての生活の始まりでした。

 3・11の前から新鍋さんには持病がありました。うつ病です。その症状は原発事故とその後の避難生活によって悪化。働くことができず、大阪市に生活保護を申請しました。しかし、助けを求めてたどりついた行政の窓口で、担当者から心がくじけるような扱いを受けたといいます。

 「被災地に帰ってください」「とにかく帰ってください」と何十メートルも先まで聞こえるような大声で怒鳴りつけられました。「なあーんで大阪に来たんですか」「とにかく申請はできないんです」と言われ、「帰ってください」は20回くらいかそれ以上、言われました。
 当時、私はいわゆる水際作戦を受けているとは分からず、大阪に来た経緯や被災地の状況を一生懸命に説明しましたが、「大阪は甘くないですから、覚悟しといてください」と言われました。 

 あれは行政の窓口が生活保護申請を拒む「水際作戦」だったというのが、新鍋さんの今の認識です。それでもなんとか生活保護を申請し、受給できるようになりました。そうして数年かけて避難生活がようやく落ち着きはじめた頃、今度は新たな病気に襲われてしまいます。

 癌(がん)です。2016年に確定診断を受けました。医師から「余命は2年ないし3年程度」と言われ、うつ病はさらに悪化しました。

市営住宅からの立ち退き要求

 そんな状況の新鍋さんをさらに追いつめたのが「避難者への住宅提供終了」でした。

 大阪市は2016年度末(17年3月31日)をもって、「原発事故避難者は市営住宅に無償で住んでもらう」という措置をやめました。そして新鍋さんに対して、いま住んでいる市営住宅からの退去を求めたのです。その退去要求は苛烈なものだったといいます。

 2017年3月31日、大阪市からの住宅提供の期間の終了日に、生活保護の担当者から電話があり、「今日で保護は打ち切り」と告げられました。驚きました。4月1日が土曜日だったため、電話があった3月31日が生活保護費の支給日でした。「今日来ても保護費はない」「違法に住んでいるから」「今日中に引っ越せば生活保護は継続。でも今日中に引っ越さないんだったら保護は打ち切り。引っ越し代も明日からは出せない」と言われました。
 私は「ここに住んでいることが違法かどうかと生活保護の必要性の判断とは別のことではないですか」と何度も言いましたが、「会議で決まったことやから」の一点張りでした。

 市営住宅からの退去か、さもなくば生活保護の打ち切りか――。そんな二者択一を、新鍋さんは迫られたそうです。その要求はずっと続いたそうです。

 この時から、毎月の月初めに生活保護費を受け取りに行くときは、いつも小部屋に呼ばれ、転居のことを聞かれ、露骨にいじめられるようになりました。
 小部屋に呼ばれ、引っ越し先を探しているのかと問われたときに、「体調が悪くてできていません」と答えると、私が治らない癌にかかっていることを知りながら、「いつ体調が良くなるんですか」と言われ、「それは分かりません」と答えると、「それじゃあ困るんです。いついつこれこれしますと転居についての確かなことを約束してもらわないと、保護費はあげられないんです」とか、「あなたは国家の財産を侵害している」、「来月はダメだと思っておいてください」、「来月には打ち切りです」と言われました。
 保護費を受け取りに行くたびに、打ち切りをちらつかせながら、転居を迫られました。

 ただでさえ苦しんできた新鍋さんは、さらにダメージを受けました。

 「生活保護の打ち切り」という最も弱い部分を1年近くにわたって攻撃され続け、私は毎月、区役所に行く数日前から胃が痛くなり、眠れなくなり、食べられなくなり、体調は余計に悪化しました。「もう死んだ方がいいかな。死にたい」と思うようになりました。役所から飛び降りて死のうと思ったこともあります。
 今でもそのときの担当者の名前と同じ名字を見聞きしたり、名前を連想させる言葉を聞くと、手や身体が震えて、心臓がバクバクして苦しくなり、汗が流れてきます。吐いてしまったこともあります。

 市営住宅を退去した場合、新鍋さんは大阪市内にある民間アパートの部屋を借りることになるでしょう。そうなったとしても、生活保護受給者なので家賃の支払いにあてるためのお金(住宅扶助)が支給されます(もちろん上限はありますが)。

 だったら早く引っ越せばいいのでは? と思うかもしれません。しかし新鍋さんは癌やうつ病を患っています。健康な人と同じようには動けないのです。

 私の癌は脊椎に多数転移し、かなり広い範囲に癌が浸潤していて、骨がもろくなっています。引っ越し作業をして身体に負担をかけ、転んだり、重い物を持ったりすると、骨折をする危険性が十分にあります。
 私は頸椎にも転移があるため、そこを骨折すると首から下の全部が動かなくなり、手も動かなくなり、完全な寝たきりになると医師から聞いています。私にとって、引っ越し作業は命を縮めるかもしれないという、とてつもないリスクを伴うものです。

 このような新鍋さんの事情を考慮せず、大阪市の退去要求は続きました。以下のような文書が出ています。

大阪市の文書(2017年10月17日付「指導指示処分」)
 2016年8月から2017年9月までの期間、14回にわたり、口頭により転居するよう指導・指示してきましたが、いまだに努力のあとが認められません。現在の住宅が東日本大震災による一時使用住宅であり、2017年3月末日で退去指示が出ていたことから、早急に通院されている病院近隣への物件を探し、報告するよう指示します。

 通院している病院の近くにさっさと引っ越しなさい、と大阪市は言うのです。

 市営住宅の退去を迫られた翌年の2018年1月、新鍋さんは弁護士に相談し、役所に同行してもらいました。すると「生活保護打ち切り」の話はぱったりなくなったそうです。その後は何事もなく生活保護が支給されるようになりました。

 ところが、役所はまた別の角度から、新鍋さんを苦しめることをしてきました。

訴状(2018年7月9日)
・被告(新鍋さん)は建物(現在住んでいる市営住宅の一室)を明け渡せ。
・被告は原告(大阪市)に対し、次の金員を支払え。
①2017年4月から2018年5月末までの損害金275万7600円
➁2018年6月以降、本件家屋が明け渡されるまでの損害金(1か月19万8千円)

 大阪市は新鍋さんを相手取った裁判を大阪地裁に起こしました。市営住宅からの立ち退きと「損害金」の支払いを求めています。「損害金」とは何か。大阪市の見方からすれば、新鍋さんは2017年4月以降、市の許可がないのに市営住宅に住んでいる状況です。

 そうした場合には近くにある民間アパートの平均家賃の2倍にあたる損害金を徴収することができると、市の条例に書いてあるそうです。市営住宅の賃料はそれほど高くありませんが、近くのアパートの平均家賃が月9万9千円なので損害金は月19万8千円、ということだそうです。

 そうは言っても、先ほど書いたような事情があるため、新鍋さんは簡単に転居することができません。 新鍋さんはやむを得ず、対抗措置として大阪市を訴えることにしました。

訴状(2018年12月17日)
・被告(大阪市)は原告(新鍋さん)に対し、220万円を支払え。
 被告は、生活保護受給者のニーズを把握し、これに配慮すべき職務を有しているにもかかわらず、これを怠り、原告の人格攻撃までも行い、執拗に違憲違法な転居指導をくり返した。一時は、生活保護の停廃止処分まで現実のものとなり、転居することが著しく困難な原告は、胃痛や不眠、体重減少、被告の担当職員による言動のフラッシュバック等の症状が出るなど、深刻な精神的苦痛を被った。

 新鍋さん側の訴えに対して、大阪市は答弁書でおおむね以下のように反論しています。

大阪市の答弁書(一部抜粋)
・原告(新鍋さん)が生活保護を申請しにきた時、地元に戻るよう大声で怒鳴った事実はない。申請に必要な用紙を交付しており、申請を受け付けなかった事実はない。
・原告は日常生活が困難である旨主張するが、介護を受けることなく一人暮らしを続けており、病院へも月1~3回通院している。日常生活が困難とまでは言えない。
・市営住宅の使用は、被災県(新鍋さんが3・11まで住んでいた)の支援要請を踏まえて許可期限を定めており、期限の到来をもって許可を終了させる取り扱いは違法ではない。
・(転居を求める指導・指示は)原告が住居を失った場合、ただちに新居を構えることは現実的に困難であり、原告の最低限度の生活を保障することができなくなることを避けるために行ったものであり、今後も通院するであろう病院の近隣に転居すれば、通院にかかる身体的負担を軽減でき、病状の安定にも寄与すると考えられる。

 二つの裁判は今も続いています。今月1日には、市営住宅と生活保護を担当する大阪市職員2人の証人尋問が行われました。新鍋さんによると、市職員は荒っぽい言葉で新鍋さんを傷つけたことや、「退去か、生活保護の打ち切りか」と迫ったことについて、法廷の場で否定したそうです。

 裁判は6月下旬に結審する見込みです。


「思いやり」はないのでしょうか?

 以上が、新鍋さゆりさんの置かれている状況です。また、新型コロナウイルス問題が起きた2020年以降、もともと患っていた強迫性障害や過呼吸の症状も悪化してしまいました。現在は外出するのも難しく、精神障害者保健福祉手帳を交付されています。等級は1級です。卵巣の病気にも悩まされています。

 筆者(牧内昇平)は、大阪市の対応はおかしいと思います。いろいろ事情があるのかもしれませんが、「思いやり」というものはないのでしょうか? 大阪市の担当者は以下のように話しています。

生活保護を担当する福祉局の担当者の話
「個人情報に該当するのでこの件の質問には回答できません」

市営住宅を管理する都市整備局の担当者の話
「裁判の中でこの方(新鍋さん)のご事情、ご病気のことなどが分かってきた部分はありますが、市としてはすべての住宅利用者を平等に扱うのが大原則です。制度上、部屋の明け渡しを求めざるを得ません。この方のご事情を鑑みて特例的に市営住宅の使用を許可すべきかどうか、そのあたりは私たちには判断がつきませんので、司法の判断を待っているところです」

※筆者注:大阪市都市整備局の担当者は裁判の途中で新鍋さんの病気のことなどが分かってきたと言います。それならば自らの判断で提訴を取り下げる判断もできるはずです。

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