【解説】「過労死ライン」は変わるのか?③専門家に聞く

報道

 働きすぎによって脳や心臓の病気になり、亡くなってしまうのが「過労死」です。その労災認定基準が20年ぶりに見直されようとしています。
 厚生労働省が開いた専門検討会は先月、見直しの方向性を示した「報告書案」をまとめました。これによると、「月80時間の時間外労働(≒残業)」という過労死ラインは、今後も維持される見通しです。この報告書案をどう評価するのか。長年にわたって過労死問題に取り組んできた「過労死弁護団」の中心メンバーの一人、岩城穣弁護士に話を聞きました。

 過労死ラインを含む現在の認定基準について確かめたい方、厚労省の専門検討会が出した報告書案のポイントを知りたい方は、下の記事をあわせてお読みください。

なぜ、過労死ラインは「80時間」なのか?

「過労死」労災認定基準の見直し案のポイント


「月80時間」の過労死ラインは妥当か?

ウネリ 今回の議論の最大のポイントは、やはり過労死ラインですね。

岩城  はい。いわゆる「1か月100時間、月平均80時間」という基準です。でも、この数字、とてもアバウトですよ。国民生活の統計(社会生活基本調査)から、睡眠が6時間を下回るのが80時間、5時間を下回るのが100時間と逆算していったものです。とてもアバウトな計算でできているんですけど、この認定基準を引き続き維持すべきだというのが、今回の報告書案の結論です。すごく非科学的。実態に合っていません

ウネリ どんなところが実態に合ってないですか。

岩城 たとえば通勤時間がとても短く、家事などをする必要もない人は、月に100時間の時間外労働をしても8時間眠れます。逆に、遠距離通勤の人とか、家では介護の担い手であったり、共働きで一定の家事負担があったりという人は、時間外労働がもっと短くても睡眠は削られます。仕事時間と睡眠時間を結びつけ、それ以外のことを考慮しないのは無理がある話です。今の「80時間、100時間」という過労死ラインは、昔の家庭、“夫”が企業に勤めて“妻”が主婦かパート勤務だというモデルを念頭に入れたものです。“夫”は労働時間以外は休めるはずだという前提があります。家族の犠牲の上に成り立つ考え方です。現代社会の実態に合っていません。

ウネリ では、どのように過労死ラインを決めればいいですか。

岩城 もっと直接的に、「これだけ長時間労働したら、これだけ脳・心臓疾患のリスクが高まる」という医学的知見に基づいて認定基準をつくるべきだと私たちは言ってきました。ただ、今の過労死ラインができた2001年当時は、まだ、あまりそういう医学的な研究がなかったんです。ところが、この20年間で関連する研究論文がたくさん発表されました。医学的知見が出てきたんですよ。その最たるものが、5月にリリースされたWHO(世界保健機関)の発表です。


WHOは「週55時間労働で脳卒中リスクが3割増」

ウネリ <週55時間以上働くと、週35~40時間働く場合に比べて、脳卒中のリスクが約35%、心臓疾患で死亡するリスクが約17%高くなる>という内容でしたね。

岩城 数人の研究者の論文がある、というレベルではありません。WHOの知見としてこういう内容が出されたのですから、睡眠時間から間接的に労働時間の基準を立てるのではなく、直接的に時間外労働の長さから考えるべきです。

ウネリ もしも、WHOの見解に基づいて過労死ラインを決めるとすると…。

岩城 法律で定めた労働時間は週40時間なので、「週55時間労働」とは、1週間につき15時間の時間外労働が発生している状態です。それを1か月に換算すると、(時間外労働は)60~65時間となるわけです。ですから、「時間外労働が80時間」という今の過労死ラインは「65時間」に下げるべきだということを、私たちはずっと言ってきました。厚生労働省に5月に提出した緊急意見書でも、その点を強調しました。

ウネリ 「月65時間」という主張の根拠はWHOの見解だけですか。

岩城 いいえ。専門検討会自体が、医学的知見をたくさん集めています。私たちも集めました。

 それらを全部読むと、心臓疾患については多くの論文に、「週55時間以上働いた場合、業務と発症との関連が強い」と書いてあります。脳血管疾患については、心疾患に比べて論文の数が少ないですが、それでもやはり「週55時間以上の労働で関連あり」と読める論文が多いです。ただし、脳については、関連性を否定している論文も1本だけありました。だから専門検討会の結論としては。まだ医学的に確定していない、ということになったのだと思います。

 しかし、少なくとも心臓のほうは、圧倒的に「週55時間以上の労働で関連あり」説が支配的であって、脳のほうの論文が少ないからと言って足を引っ張るのはおかしい話です。少なくとも心臓疾患の過労死ラインは「65時間」にすべきです。8割、9割の論文がそう言っているのですから。脳のほうも数が少ないとは言え、「週55時間以上の労働で関連あり」という説が有力なわけだから、これを機に過労死ラインを引き下げようというのは、十分に説得力がある意見だったと思います。

ウネリ それでも、採用されませんでしたね。

岩城 厚労省の専門検討会自身が集めた資料がそう指摘しているのだから、採用されるんじゃないかと思っていたんですけど、その頑迷さには唖然としました。
 だいたいね、「月65時間の時間外労働」、もしくは「週55時間労働」というのは、大変なものですよ。土日に休まず毎日8時間働いたとして、8時間×7日で56時間労働ですよね。土日は休むとすれば、平日は11時間働いて、ちょうど「週55時間労働」です。毎日3時間の残業ですよ。大変な時間だと思うんです。「週55時間労働」の実質的な意味、そこをもうちょっと理解すべきだと思います。

 まず端的に、疫学調査の知見があるんだから、65時間を基準にすべきです。それにプラスして、睡眠時間が多いか少ないかを補充的に考慮すべきだと思います。だけど、専門検討会は、逆に睡眠時間をメインとしつつ、補充的にそれ以外のことも考えるというスタンスです。理論的にも不徹底だし、現実問題として、労災申請した人に対して不当な足切りが行われかねない状況が続くと思います。

 でも、長時間労働そのものの健康リスクを調べた疫学調査は、これからも世界でどんどん増えていくと思うんですね。そういう意味では早晩、時間外労働の過労死ラインは「65時間」に変えざるをえない時がくると思います。


新基準で労災認定は増える?

ウネリ では、今回の基準見直しは、労災認定の拡大にはつながりませんか。

岩城 いいえ。一定程度、認定は増えるんじゃないかというのが私の見通しです。報告書案には、こうあります。

労働時間のみで関連性が強いと認められる水準には至らないが、これに近い時間外労働が認められ、加えて一定の労働時間以外の負荷が認められるときには、業務と病気との関連性が強いと評価できる。

脳・心臓疾患の労災認定の基準に関する専門検討会報告書(案)」から一部修正して引用

岩城 今までは労働時間至上主義というか、時間外労働が「78時間」だったとしても、「80時間を下回っているからダメだ」という世界でした。

 例を出します。大阪の国立循環器病センターで2001年、村上優子さんという看護師が25歳の若さでクモ膜下出血を発症し、亡くなりました。極めて不規則な交代制勤務で、2008年の大阪高裁判決の認定によれば、発症前6か月間で1か月あたり38~65時間 、月平均にすると54時間30分に及ぶ時間外労働をしていました。交代制勤務で月65時間の時間外労働と言ったら、大変なことなんですよね。看護師さんたちに聞くと、「殺人的」だそうです。たとえ時間外労働がなくても、早朝出勤や夜勤がある交代制勤務は、体のリズムがぐちゃぐちゃになってしまいます。昼間に寝ようとしても熟睡できない、ということもあるでしょう。そんな中で65時間の時間外労働は「殺人的」だということです。

 村上さんの労災(※国立病院で働いていた村上さんの場合、正確には「公務災害」と言います)は、行政手続き段階では認められませんでした。国を相手取った行政訴訟を起こし、ようやく公務災害と認められました。行政段階では、「80時間に足りない」ということで切られていたのです。

 この例に象徴されるように、勤務の不規則性だとか、すごく緊張する責任の重い業務とか、そういった負荷はきちんと考慮されず、労働時間一辺倒だったわけです。今回の基準見直しによって、労働時間だけで判断してはだめだ、ということになります。


ハラスメントも考慮されるようになる

ウネリ 考慮すべきものとして、「心理的負荷」という項目が入りましたね。

岩城 今の基準には、「精神的緊張を伴う業務」と書いてありますが、用語が変わりました。精神障害(心の病)の労災認定基準に合わせて、パワハラなども考慮すべき項目に加えたということです。今の「精神的緊張」の項目では、仕事のきつさ、密度、プレッシャーとかノルマとか、そういうものは考慮できたんだけれども、パワハラとか退職強要とかは入ってこなかったんです。たとえば患者さんの命を預かるお医者さんとか、危険物を取り扱う業務といった、非常に狭いものを対象に想定していました。今の基準ができた2001年は、そもそもパワハラという考え方がなかったし、精神障害の認定基準も現在のように精緻化されていませんでしたから。

ウネリ 確かにここは大きいですね。

岩城 私たち過労死弁護団が求めてきた部分でもあります。仕事上の大きな失敗や配置転換、転勤、そういったものも、今までの認定基準では考慮されなかったけれども、新しい基準では考慮されます

ウネリ 適用できるケースが多そうです。

岩城 今、私が担当している事件について少し話します。

 上司からハラスメントを受け、会社もハラスメントの事実を認めて本人が転勤することになりました。ところが転勤の前日に心筋梗塞で亡くなってしまいました。もしもこの方がうつ病になってしまったのだったら、精神障害の労災認定基準にあてはめ、6ヶ月以内にハラスメントがあったということで、労災認定される可能性があったと思います。しかし、脳心臓疾患については、今までの認定基準ではハラスメント系が考慮されないので、労災は認められませんでした。新しい認定基準になり、心理的負荷をきめ細かく評価できる仕組みができれば、一定程度、救済を広げられるのではないかと思っています。

ウネリ 素人考えでは、ハラスメント被害でストレスがかかれば、当然脳や心臓の病気も悪化するように思いますが……。

岩城 今までの認定基準では、それが箸にも棒にも掛からないような感じだったんですよね。労働時間ばかりで、「パワハラなんか関係ないよ。転勤なんか関係ないよ」という状況でした。それが、一定の労働時間、たとえば時間外労働が65時間くらいあって、そのうえ強い心理的負荷があったら、「合わせ技」的に認定してもらえる可能性が出てくるんじゃないかと思います。脳・心臓疾患の労災認定は1~2割くらい増えるのではないでしょうか。

ウネリ 今回の認定基準見直しは、評価できる部分もあるんですね。

岩城 脳・心臓疾患の労災認定については、かつて1987年にできた基準がありました。その基準は、「発症前1週間の仕事が特に過重だったかどうかを見る」というものでした。何か月も何年も、長期にわたって長時間労働をしている人については、「1週間基準」では対応しきれないですよね。翌1988年に「過労死110番」(電話相談会)が始まり、爆発的に過労死が社会問題になったのですが、当時のこの認定基準のために、実際に労災を申請してもほとんど認められませんでした。長期間にわたって長時間労働をしてきた人は、疲労困憊で、「発症直前の1週間は残業がかえって減っていた」という人が多いですからね。それで労災認定されずに大変でした。当時は年間700件くらいの労災申請に対し、認定は30件くらいでした。

ウネリ うーむ。直前1週間の働きぶりしか見ないというのは、あまりにも狭い基準ですね。

岩城 そこで1995年に基準が改定されまして、直前の1週間だけでは「特に過重」とは言えなくても、「相当程度過重」であれば、以前の就労状況も総合的に判断することになりました。とても限定的な形ですが、1週間より前の仕事も総合的に判断するという、ケースによっては蓄積疲労が考慮される認定基準に変わったんですね。それによって、年間30件くらいだった認定例が90件くらいに、一気に約3倍に増えたんですよ。

 過去にはそういうことがあったので、私は今回の基準見直しも、非常に不十分ではあるけれど、ちょうど1995年基準のように、今まではダメだったケースが一部認定されるんじゃないかという気がしています。非科学的な睡眠逆算論による過労死ラインは維持されてしまう見通しですが、新基準の積極面をなるべく活用して、認定に繋げていきたいというのが私の気持ちです。


過労死ゼロ、まだまだ程遠い

ウネリ 話が変わりますが、「働き方改革」という言葉が一時的にブームになったりしましたが、世のなかは「過労死ゼロ」に向けて進んでいるのでしょうか。

岩城 国民の意識はだいぶ変わってきたと思います。2014年に過労死等防止対策推進法ができましたし、過労死という言葉を聞いて「何それ?」という人はいなくなったと思います。「働き方改革」が叫ばれていることもあって、働き方の問い直しはある程度進んできたと思います。

 ただ、ブラック企業はもちろん、大企業でも、旧態依然として長時間労働が蔓延しているところも多いし、特に研究開発部門とか管理職とか、そういうところは仕事量が減らないで、かつ残業の上限枠だけはめられて、みんな、大変な状況です。「オフィスの明かりが消されちゃって、廊下の非常灯の下で働いています」とか、そういう話を聞きます。仕事の量が減らないのに、「とにかく早く帰れ」ということをやっても、そういう形で潜っていくだけです。なんの解決にもなっていない。

 全体としてみれば、年休の取得率も上がりましたし、前進している面はあると思いますが、過労死はまだまだ減ってないし、ゼロにするには程遠い状態だと思います。


悩んでいる人はまず相談を

ウネリ 最後になりますが、過労死で家族を亡くした人や、いま現在過労状態になっている人へアドバイスをお願いします。

岩城 ご遺族に対してですが、まずはどうか泣き寝入りしないで、過労死弁護団なり、「過労死を考える家族の会」なり、過労死問題に取り組む団体に相談してほしいです。そこから、まずは心のケアをしてもらって、場合によっては労災申請とかにつながっていくと思います。

 過労状態を強いられている人にも、やはり「相談してください」ということです。私がシンポジウムや過労死の啓発授業などで話すのは、「まずは自分の労働時間を把握しましょう」ということです。この日は何時から何時まで仕事をした。家では何時間、週末は何時間と。一日一日の労働時間を記録しておくのです。そうすると、いま自分は過労死ラインを越えているのかが分かります。過労死ラインを超えている場合、これは危険だということが分かります。今倒れたら労災なんだ、ということです。うつ病などの精神障害についても、労災認定基準が役に立ちます。そこに、いろんな心理的負荷のある出来事が列挙されていて、自分の状況がどれに当てはまるかが分かります。パワハラを受けたり、顧客からクレームを受けるなど辛い出来事があったら、その都度記録しておいてほしいです。

 まわりの人もぜひ、労災認定基準を参考にしてご本人にアドバイスしてあげてください。脳・心臓疾患の場合、自分が倒れるとは思っていないですよね。昨日までも大丈夫だったから今日も大丈夫だろうと思っています。でもある日突然、心筋梗塞、もしくはクモ膜下出血を起こすわけです。誰も今日起こるとは思っていない。突然の発症です。まわりの人のアドバイスが効果的です。

 精神障害にしても、前の日に友だちと翌週会う約束を入れたり、パーマの予約を入れていた人が、次の日の朝電車に飛び込んでしまうわけです。それが精神障害、うつ病の怖さです。精神疾患を患った人しか分からない苦しみがあり、自分がうつ病にかかったということが分からない人も多いです。周囲の人が変化を見逃さず、医療機関への受診をすすめたりすることが大事です。会社では平穏を装っていても、家に帰ったらひどくぐったりしているとか、顔が沈んでいるとか、家庭では明らかに様子が変わっているというケースが多いので、ご家族の方、友人の方が、「あんた今、危険な状態だよ」って教えてあげてほしいなと思います。


過労死110番⇒https://karoshi.jp

全国過労死を考える家族の会⇒https://karoshi-kazoku.net

コメント

  1. ゴッサム市民 より:

    ひとつだけ。
    決まった勤務時間で全員が仕事が終われるように全ての職場で十分な人員を雇用することが当たり前という仕組みを作るように全ての政治家が一致して世の中を変えるように我々が大声を上げること。企業に無理なコストカットを求めない。人件費が払えない企業には政府が一定の補償をする。人件費をコストとしないように企業に求める。ゆとりある職場が過労死や新人の不安を低減させるはず。

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