みなさんの声⑤タブレット端末を使った小学校の授業

落書き帳

 子どもに「一人一台」のタブレット端末を配る「GIGAスクール構想」について、皆さんの声シリーズ続編です。

※ 元になった文章「タブレット端末を使った小学校の授業

 前回までの投稿  浦島清一さん「物事の不思議さを感じられるのか?」

          本田宏さん「考える教育につながるのかが重要」

         ゴッサム市民さん「 ICT教育雑観 」

         有馬佑介さん「タブレットと教育」

 今回は、福島県在住の深瀬幸一さんのご意見を紹介します。ぜひお読みください。


【深瀬幸一さんからのご意見】

題名: 現実世界だって豊かだ

メッセージ本文:

インターネットによって、子どもたちは以前とは比較にならないくらいの膨大な情報の中を生きている。

これってもっともらしいけど、じゃあ以前の子どもって貧弱な情報の中に生きていたんだろうか? そんなわけない。以前の子どもだって無限の情報の中を、言葉を換えよう、無限に豊かな世界を生きていた。

幼い頃、僕の世界はこの家の周辺、半径1キロメートルに満たなかったが、そこは無限の世界だった。僕は小学校に2キロメートルの道のりを通っていたけれど、毎日が新しい発見の連続だった。

インターネットの情報も端末を操作することも不必要なことだとは思わない。でも、子どもにとってその優先度は高いとは思わない。先日の文章(※ウネリウネラ「タブレット端末を使った小学校の授業」)に挙げていた端末の利用例はいずれも端末でなければできないことではないし、むしろ端末を使わない方がいい例もあるように思う。明らかに、国の政策で端末が与えられたから、無理矢理利用してみましたっていうところだろう。

さて、僕の学生の頃、文学研究において読者論が大流行した。僕などあえて反発して作家論などものしていた。僕たちは同じテクストを読んで同じように理解するわけではない。当たり前のことだ。世界は情報によるテクストに他ならない。そこにどんな意味を見出すか、言い換えよう、さまざまな情報を関連づけ多様な意味を作り出すのは、僕たちひとりひとりだ。子どもも同じだろう。

世界が豊かだから僕たちが豊かになるのではない。僕たちが豊かになれば世界は無限に豊かになる。少なくとも端末を与えつまらない作業をさせるより、自然の中で遊ばせたり、本を読ませたり(紙の本でダメな理由はない!)、ともだちとワイワイしたり、要するに今まで通りの教育で十分だと僕は思う。

まあ、子どもに端末を与えたのは別に教育政策じゃなくて、子どもをダシにした経済政策なんだろうけど。


【ウネリウネラから一言】

 「世界が豊かだから僕たちが豊かになるのではない。僕たちが豊かになれば世界は無限に豊かになる。」

 かっこいい言葉ですね。ウネリウネラも同感です。

 「自然の中で遊ばせたり、本を読ませたり(紙の本でダメな理由はない!)、ともだちとワイワイしたり」。これが大事というのも分かります。でも、けっこう難しいですよね。ウネリウネラの場合、「ともだちとワイワイ」が今の課題かなあと考えています。コロナもあって、なかなか子どもたちが自由に歩き回れない現状がありまして……。

 深瀬さん、味のある文章をありがとうございました。


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