伝承館は何を伝承するのか~ほかの施設に学ぶ⑤(大阪市立大・除本理史教授の論文)

福島

大阪市立大学の除本理史教授(環境経済学)が論文「福島原子力発電所事故に関する伝承施設の現状と課題」を発表しました。私ウネリが月刊政経東北に書いた伝承館(双葉町)についての記事も「参考文献」に入れてもらっておりました(ありがとうございます)。

除本氏の論文は、福島県内にできた原発事故の「伝承施設」にはどのようなものがあるか、その特徴と課題は何かを分析しています。以下のサイトから無料でダウンロードできますので、皆さまにもお勧めします!

大阪市立大学 学術機関リポジトリ詳細画面

論文を読んで思ったことを3点書きます。


①こんなにたくさん伝承施設があったのか

除本氏は、福島県内の伝承施設として15カ所を紹介しています。論文に掲載された表を抜粋して引用します。

①アクアマリンふくしまいわき市
②いわき市ライブいわきミュウじあむ「3.11いわきの東日本大震災展」いわき市
③いわき市地域防災交流センター久之浜・大久ふれあい館いわき市
④相馬市伝承鎮魂祈念館相馬市
⑤福島県環境創造センター交流棟「コミュタン福島」三春町
⑥城山公園白河市
⑦みんなの交流館 ならはCANvas楢葉町
⑧いわき震災伝承みらい館いわき市
⑨東日本大震災・原子力災害伝承館双葉町
⑩ふたばいんふぉ富岡町
⑪福島県立博物館会津若松市
⑫原発災害情報センター白河市
⑬東京電力廃炉資料館富岡町
⑭伝言館楢葉町
⑮原子力災害考証館furusatoいわき市

①~⑩は、国土交通省の「震災伝承ネットワーク協議会」に登録された施設で、⑪~⑮は登録を受けていない施設だそうです。

恥ずかしながら、②や⑥、⑦などは知りませんでした。一度足を運びたいと思います。ちなみに、その後オープンした施設としては、今年7月11日開館の「とみおかアーカイブ・ミュージアム」(富岡町)もあります。この施設については、先月の記事をご参照ください→https://uneriunera.com/2021/09/10/denshokan-hokanoshisetsu4/

私が今度行きたいと思っているのは⑭の「伝言館」(楢葉町)です。論文には、「宝鏡寺境内に早川篤雄住職が私費を投じて建設。」と書いてありました。早川住職は、事故のずっと前から原発への反対運動をしてきた人だと聞いています。その人がどんな伝言をしようとしているのか、とても関心があります。政府や自治体、大企業などの「組織」ではなく、「個人」が思いをぶつけている施設は、やはり大事だと思います。

その点でもう一カ所注目すべき施設が、⑮の「原子力災害考証館furusato」(いわき市)です。9月上旬に取材し、非常に感銘を受けました。訪問ルポを明日5日発売の「月刊政経東北10月号」に書きましたので、ご関心のある方はぜひ読んでください。→https://seikeitohoku.base.shop/


②学芸員への注目

除本氏は論文中で、⑤の「コミュタン福島」(三春町)や⑨の「伝承館」の課題を指摘したあと、⑪の「福島県立博物館」(県博、会津若松市)が毎年行っている企画展について、「公立施設ではあるものの、県博の震災遺産展示は、これまでみてきた『官製伝承』とまったく異なるものになっている」と評価します。

除本氏が論文で指摘しているのは、学芸員の存在感です。県博の企画展では、スペースのあちこちに学芸員による「コラム」などが、担当者名を明記した形で紹介してありました。

気づくのは、それらのパネルに学芸員らの名前が文責として記載されていることだ。これは伝承館などにはない特徴である。筆者はこれによって、パネルの記述が執筆者のメッセージとして立ち上がってくる感覚をおぼえた。

除本氏の論文「福島原子力発電所事故に関する伝承施設の現状と課題」

確かにその通りだなと感じます。参考として、手元にある資料から、県博の「学芸員コラム」の一例を挙げます。

南相馬市の太平洋近くにヨッシーランドという介護老人保健施設がありました。津波で多くの犠牲者が出たところで、建物の壁紙には、津波の泥水がここまで上がってきたという黒い線がはっきり残っていました。

県博に展示されたヨッシーランドの施設壁面の写真

建物は解体されましたが、県博の学芸員はその壁紙を資料として収集し、展示しました。当時学芸員だった金澤文利さんがコラムを書いています。一部を紹介します。

翌年の取り壊しが始まる中で、壁紙の剥ぎ取りをしました。復興ムードが高まる中、「復興」はあったことをなかったことにしてしまわないか?ヨッシーランドは波際の小さな出来事だったかもしれないが、忘れてしまわないか?何かを残さねば。そう思っての行動でした。あの「黒い痕跡」が、その後の震災遺産保全プロジェクトの始まりでした。

福島県立博物館の企画展「震災遺産を考える――次の10年へつなぐために」より
学芸員が建物の解体前にはぎとった壁紙の実物が展示されていた=県博、2021年1月撮影

学芸員の問題意識、熱意が伝わってくる文章だと感じました。

伝承館にもいろいろな解説パネルがありますが、あれは誰が書いたのか、誰がああいう風に書かせたのか、よく分かりません。国の金で建設され、県が建設主体となり、展示の中身については「資料選定検討委員会」という有識者会議で話し合うこととし、実際の施設管理は「福島イノベーション・コースト構想推進機構」という、また別の団体が行っています。学芸員の方はいらっしゃいますが、その方の名前は解説パネルなどの中に出てこなかったように思います。

文責が誰かを明記することは、その文章への責任を引き受けると同時に、書き手の個性を出すことにもつながるのではないかと思います。伝承館の解説パネルは、今後改善の余地がおおいにあるだろうと思います。

※県博の企画展については、双葉町生まれ、福島市在住の元新聞記者、小林茂さんが精緻なレポートを寄せてくれていますので、こちらもお読みください。→https://uneriunera.com/2021/03/17/enshokan-hokanoshisetsu3/


③思い出したこと

もう一つ、学芸員の姿が見えるという点で、どうしても行ってみたいと思っている施設があることを思い出しました。宮城県気仙沼市にある「リアス・アーク美術館」です。この施設の特徴について私が知ったのは、現代思想今年3月号に載った、宮地尚子氏と山内明美氏との対談『環状島の水位を下げる 震災とトラウマケアの10年』でした。山内氏の以下の発言が印象的でした。長くなりますが、引用します。

山内 この展示の目的は、震災の記録のデータベース化を進めることと、震災の記憶を喚起することです。とりわけ、記憶の喚起については単に客観的な記録をそのまま提示しても、なかなか鑑賞するひとの記憶に残らないだろうということで、被災物の一つひとつに学芸員が物語を付け加えている。例えば炊飯器の展示には、葉巻大のカードがついています。
「平成元年ころに買った炊飯器なの。じいちゃん、ばあちゃん、わたし、お父さんと息子二人に娘一人の七人だもの。だから8合炊きを買ったの。そんでも足りないくらいでね。[…]裏の竹やぶで炊飯器見つけて、フタ開けてみたら、真っ黒いヘドロが詰まってたの。それ捨てたらね、いっしょに真っ白いごはんが出てきたのね[…]」
と細かくコメントが書いてあるんです。それを読みながら展示を見ていくわけなんですが。実はこのコメントは炊飯器を拾った「わたし」が書いたものではなくて、学芸員の「捏造」なんです。ここには、ただ炊飯器を展示しただけでは記憶のスイッチが作動しないという学芸員の判断がある。

現代思想2021年3月号 対談『環状島の水位を下げる 震災とトラウマケアの10年』 より

こういう表現の仕方があり得るのだなと感銘を受けました。ぜひ実際に見てみて、自分がどう感じるかを知りたいと思っています。


以上、話がそれてしまった部分もありますが、除本氏の論文を読んで思ったことを書きました。

くり返しになりますが、原発事故の「伝承施設」について学ぶ機会になりますので、ぜひ皆さま読んでみてください。

「ここに行ったよ!」という感想などもお待ちしております!

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    1. […] […]

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