リアリティショック? 千葉・船橋の新人看護師はなぜ自死したのか

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看護師の木島宏樹さん(22)が2023年10月、千葉県船橋市の自宅で自ら命を絶ちました。市内の病院で働き始めてから半年後のことでした。死の真相はまだ分かりませんが、筆者は「リアリティショック」という言葉が手がかりになるのではないかと考えています。


生きもの好きのやさしい青年が…

宏樹さんは2001年8月生まれ。6人きょうだいの上から2番目でした。

ちいさな頃から生きものが大好きな子でした。保育園の庭でダンゴムシを集めたり、カナヘビをつかまえたり。家でもいろいろな生きものを飼っていて、高校では生物部に入りました。下の娘2人の面倒もよくみてくれましたね。10歳以上離れていたので、ちっちゃいお父さんのような感じで。やさしいので娘たちもなついていました。(母の冬子さん)

高校2年で進路を決める時、動物園の飼育員なども考えましたが、悩んだ末、看護師を目指すことにしました。両親共に看護師だったことが関係しているのかもしれません。猛勉強で2020年春、船橋市立看護専門学校に合格しました。

息子の高校から現役で入るのは難しいと言われていたんです。でも、一度決めたことはやりきる。あきらめない子だったので、高2の秋に看護師を目指すと決めてからは猛勉強しました。看護の予備校から帰ってくるのはいつも夜9時、10時くらいだったと思います。残念だったのは、せっかく合格したのにちょうどコロナの時期と重なってしまったことです。通常通りの実習ができず、座学での勉強が増えてしまいました。患者さんとのコミュニケーションのとり方などを学ぶ機会が少なかったと思います。(母の冬子さん)

「ナースの適性がないって言われた」

2023年3月に看護学校を卒業。船橋市内の総合病院に就職し、研修を経て4月末からICU(集中治療室)に配属されました。

実家から自転車で30分ほどかけて通勤していました。時折疲れた表情を見せることはありましたが、順調に働いていると母の冬子さんは思っていました。様子が変わったのは9月下旬のこと。帰宅した宏樹さんが夕ご飯を食べながら、少し悲しそうな顔でこんなことを話しました。

「ナースの適性がないって言われた」

冬子さんは驚きました。それまで仕事のグチは言わなかったからです。ビックリしたため、その後の会話もよく覚えていると言います。

母「相談できる人はいないの?」
宏樹「言った相手にばれたら嫌だから職場では話せない」
母「休んでもいいし、やめてもいいんだよ」
宏樹「うん…自分ができないのが悪いから、もう少し頑張るよ。いつか小児科か保育園の看護師になりたいし」

その日あたりから宏樹さんは口数が減り、朝起きるのが遅くなりました。そして10日ほどたった10月7日の朝、自宅の自分の部屋で、命を絶ちました。

宏樹さんがかわいがっていたミニチュアダックスフント

『心身共にヘナチョコ』

亡くなった後、1冊のノートが見つかりました。表紙には宏樹さんの字で「キロク」と書いてありました。冬子さんがページをめくってみると、字が書いてあるのは1枚目だけでした。

9/28 疲れた。心身共にヘナチョコ。与薬インシデント起こした。ナースとして以上に、人として終わってる。ナースの適性なし。生きる価値なんてどんどんなくなっていく。迷惑かけた先輩、すみませんでした。

息子の身に何が起きたのか知りたい。冬子さんは、宏樹さんが亡くなった翌日から動きました。SNSを通じて過労死遺族とつながり、弁護士と相談。調査を進めました。

仕事のミス

弁護士は「証拠保全」という手続きをとって病院にある宏樹さん関連の書類を集めました。そこから少しずつ実態が分かってきました。

宏樹さんがノートに書いていた与薬インシデント(薬を投与する際のミス)は9月25日に起きていました。患者に点滴する薬を準備する時は、種類や量をまちがえないように複数の看護師でチェックするルールがあります。このダブルチェックを怠り、1人で準備してしまったようです。

またその数日後、初めて輸血を行った時にもミスがありました。輸血を受けた患者は副作用などの心配があります。いつも以上に注意深く容体を観察しなければいけませんが、宏樹さんは患者の発熱をすぐに報告していませんでした。幸い命に別条はありませんでしたが、重大なミスでした。

両方とも看護師としてやってはいけないミスです。本人はとても落ち込んだと思います。でも、なぜこんなミスをしてしまったのか…。異常な緊張状態にあったのではないかと、親としては考えてしまうのです。(母の冬子さん)

ふり返りシート

集めた手がかりの中には、気になるものもありました。宏樹さんが職場で書いていた「ふり返りシート」です。このシートには、新人がその日受け持った患者の様子や学んだ業務、技術を記入。先輩看護師がそれを読み、コメントをつけます。冬子さん自身もベテラン看護師ですが、「私ならこういうコメントの書き方はしない」というところが、いくつか見つかりました。たとえばこんな記載です。

患者さんに声をかけようとする場面は垣間見えたけど、もう一声! 処置する時、触れる時は必ず声かけて。勝手に触わるのは変態と一緒!(7月1日付ふり返りシート)

忘れん坊なので最初からメモをとってください。(8月11日付ふり返りシート)

黄色い下線は筆者が入れました。普通、こんな書き方をするでしょうか?

「生きた証を残したい」

亡くなってから約1年後の24年11月、冬子さんは船橋労働基準監督署に労災を請求しました。

息子は理由なく命を絶ったわけではないと思っています。つらい中で踏ん張り、最後までがんばったけど、心身共にヘナチョコになってしまった。息子が懸命に生きた証を残したい。そして、同じような思いをする人をなくしたい。(母の冬子さん)

リアリティショック?

冬子さんは取材時、「リアリティショックがあったのではないか」と話していました。筆者も同感です。

リアリティショックとは、新人が仕事の理想と現実とのギャップに直面し、苦しむことを指す言葉です。志を抱いて看護師になったけれど、現実は厳しく、ミスをしてしまうし、先輩との関係も思うようにいかない。宏樹さんがそんな状況だったことは、「キロク」ノートを読めば想像に難くありません。

宏樹さんが亡くなる数日前に書いたとみられるノート

職場でパワハラなどがあったかどうかは船橋労基署にきちんと調べてほしいと思います。それと同時に、リアリティショックについても精神的な負荷の大きさを十分に考えてほしいです。冬子さんはこう話しています。

看護学校で十分な実習を受けられないまま、重症患者を受け入れるICUに配属されました。緊張感のある職場で、新人はすごくプレッシャーがかかると思います。

息子が配属された時、ICUの看護師は17人いました。けれど夏に2人やめてしまい、人手不足になっていました。周りにアドバイスを求めたくても聞きにくい状況になっていたのかもしれません。(母の冬子さん)

男性看護師の自死

こうした例は木島宏樹さんだけではありません。

少なくとも筆者はもう一人取材したことがあります。北海道の釧路赤十字病院(釧路市)で働いていた村山譲さん(36)です。看護大学を出て2013年4月から看護師になり、半年後の9月に自死しました。

村山さんの遺書にはこうありました。

入職して6ヶ月が経ちました。この6ヶ月、注射係しかできませんでした。その注射係すらまともにできませんでした。異常な緊張が続き、6月にはプロポフォールのインシデント、手術台のロックを外してしまうアクシデントを起こしてしまいました。成長のない人間が給料をもらうわけにはいきません。本当に申し訳ありません。(村山譲さんの遺書から抜粋)

働き始めて半年、仕事のミス、職場への謝罪、自己否定…。木島宏樹さんと村山譲さんがのこした言葉に重なるものを感じてしまいます。2人はともに男性です。そのことが関係しているのかどうか…。これからも取材します。

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