伝承館(東日本大震災・原子力災害伝承館)について

報道

ウネリ:先日ウネリウネラのふたりで東日本大震災・原子力災害伝承館(伝承館)に行ってきました。私は2回目でしたが、ウネラさんははじめての来館でしたね。いかがでしたか?

ウネラ:近未来的な建物ですよね。建物に面して広大な芝生地があるのですが、そこを2台の小さなロボットの車が、絶え間なく走っていたんです。目的はわかりません。不思議な感じがしましたね。

広大な芝生を走るロボット車
館内から見える広大な芝生とロボット車(中央左)

ウネリ:虫が一匹もいなさそうな感じと言いましょうか。ある種の「未来感」があふれていると言うか、勝手な印象で言うとそんな感じですね。

それはフロアの展示の中身にも関わっている気がします。出口の一歩手前のところに「復興への挑戦」というゾーンがあります。そこでは「未来のまちづくり」とか「ロボット」とか「ドローン」とか、そういう言葉が多く出てきて、未来志向なイメージが強く打ち出されているんですよね。

子どもはきっとあそこで惹きつけられるだろうと思いました。実際その日も、中学生の団体が数校、見学に来ていたのですが、中学生たちはその「復興への挑戦」エリアにある、タッチパネルでバーチャルなまちづくりをするコーナーに、自然と集まっていきました。ゲーム感覚で遊べる「体験型」展示なので、おもしろいでしょう。

でも、それでいいのかなと。作家の堀田善衛はわれわれはすべて背中から未来へ入っていくと書いたそうですが(※)、伝承館では明らかに前向いちゃってるというか「もう後ろ向かずに前向いてこうぜ」みたいなメッセージがありありと表れてるなと思いましたね。

※紅野謙介著『国語教育 混迷する改革』より。紅野氏は堀田の言葉に続けてこう指摘しています。

それ(過去と現在)は見ようと思えばしっかり見ることができます。ところが、未来は私たちの背後にあって、見ることができない。その見えない未来に向かって、私たちは後ろ向きに背中からこわごわ進んでいくことになる。過去と現在と見つめることが不安に満ちた未来への一歩を支えるのです。

ちょっと最初から語り過ぎたけど、展示についてはどうでしたか。

ウネラ:展示に関して…ひと言で言えば物足りないし、その「見せ方」に非常に問題があるなと思いますね。

ウネリ:入っていくとまず入館料600円支払ってチケットを買います。で買うとまず「最初に5分間ほどの映像を見て頂きます」という話になって、「それは12時15分からです」みたいな感じで、タイミングによって待たされるわけですよね。そうして大スクリーンで見せられる映像についてはこの前も書きましたが、あれについてはどう思われましたか。

導入シアター

ウネラ:見づらいんですよね、すごく。スクリーンが分割されてるのかな?なんか間に線が入ってるんですね。

ウネリ:あれは7面マルチスクリーンというらしいです。ホールの正面に3枚パネルがあるんだけど、それが真ん中で上下に分かれていて、6枚。それと観客の足元、地続きになってる床にも映像が映し出されるようになっていて、全部で7枚のスクリーンっていうことなのでしょう。

ウネラ:なるほど。しかしそれによってとにかく映像が見づらくなっているんですよ。7面である必要性が感じられる映像はほとんど無く、一つの大きな絵に線が入って切れて見えるかたちになってしまっていますよね。

床に映るっていうのは…富岡の廃炉資料館も同じようなものがありますよね。これは個人的なことかもしれないですが、集中できないし、どこに目を向けていいのか分からなくて、ちょっとクラッとするんですよ。私は光過敏性のてんかんだからかもしれないですけど。するとあまり中身が入ってこない。映像資料としてどういう効果を狙っているのか。流行なのか。私にはやや苦痛のある展示でした。

ウネリ: で、その映像を見た後、やっと展示コーナーへ行けるわけです。映像(導入シアター)は1階部分で、展示物は2階部分にあるんです。

その間を登っていくんですけど、そこがまた大きならせん状のスロープになっていて、そこを2周3周してようやく展示コーナーにたどり着くという構造になっています。それについてはどうでしたか。

ウネラ:これもこうする必要性っていうのが分からなかった。途中に「休憩スペース」が2、3カ所あるくらい、けっこう長いんですよ。疲れた人が座るようなところをつくっているんだから、疲れるということは想定しているんでしょう。もしかしたら、発災からこれまでの道のりの険しさみたいなものを表現しているのかもしれない。でも、だとしたら展示が圧倒的に足りないと思う。壁面の一部を使って発災から現在までの年表が記されていますが、それはスロープのごく一部で、白いところが圧倒的に多いわけです。

スロープ壁面の展示

ウネリ:そうして2階の展示コーナーに入るんですけれども、その内容面に関しては、今後みなさんのお力も借りて、検証分析を進めていこうと思っています。まずは見た印象について感想をお願いします。

ウネラ:目立つのは映像資料です。その映像資料が、決して広いとは言えない展示スペースの中に、何種類も混在している。

当然ですけど、来館者はそれぞれに資料を再生させるじゃないですか。そしたらもう、何を言っているのかよく聞こえなくなってくるんですよ。私もそうでしたが、ご高齢の方などはもう資料の音を聞くために、画面に接近して耳を寄せたりしているわけです。

特に、自分が小スクリーンの資料を見ているときに、大きなスクリーンの映像資料が流れてくると大変です。

ウネリ:ウネラさんが特にそれを感じたのはどこのコーナーですか。

ウネラ:何カ所かありますが、特に覚えているのは避難された方たちの体験談が流れる小スクリーンの展示です。ただ、それと同じゾーンに、別の巨大スクリーンの展示があるんです。それは原発事故からの一週間を再現したもので、たぶん力を入れた目玉展示だと思います。比較的多くの方がそれを優先して再生されるので、私の見ているほうはあまり聞こえない。何回も時間をおいて再生することになりました。

その避難された方の体験談の展示は小さいし、目立たないところにあるんです。だいたい見たいと思うものは、不思議と見つけづらいところにありました。

ウネラ:ここまで展示の見づらさの観点から話してきたんですが、展示物の数自体はとても少ないんですよ。170点くらいしかない。だけど公開されていない別の保管場所に、24万点という数の資料が保存されていると聞いて、心底驚いたんです。なんでもっと展示しないのかと。率直に思いますよね。

ウネリ:この前聞いた話では、その保管場所というのは、国宝級のものも保存できるぐらいの設備らしいんです。そういう場所があるのになぜ、という気がするし、やっぱり触れなければならないのは、双葉町の「原子力広報塔」でしょう。「原子力明るい未来のエネルギー」という標語が掲げられていた遺構が実物として展示されていたら、すごい迫力だと思うんです。それがパネル展示に終わっている。

ウネラ:「原子力広報塔」というのは、かつて双葉町の商店街の入り口などに設置されていた大きな看板ですよね。その実物も、保管はされている。実物があるにも関わらずわざわざパネルで展示するというのはどういうことなのか。それはちょっとした驚きでしたね。

ウネリ:伝承館はその大きさなどを理由にパネルにしたと言っているらしいけど、広大な土地がそもそもあるので、でかいならでかいなりにそれが入るような箱を作ればよかったし、それだけの金もあったと思います。あれは明らかに展示が必須のものの一つのはず。「箱が小さくて入りきらない」みたいな理由は通らないでしょう。

ウネラ:だからそんな広大な土地の一部をあの小さいロボットの車が2台走って…

ウネリ:展示に関しては突っ込みどころ満載ですが、行って良かったという部分はありますか。

ウネラ:展示の最後のほうに、小さくこじんまりとした「ワークショップスペース」というのがあるんです。図書館の中に「学習室」ってあったりするじゃないですか。その小さい版みたいな感じです。ガラス張りの小会議室みたいな。近づいていくと、なんとそこが語り部の人たちの口話のスペースなんですよ

奥が「ワークショップスペース」

ウネリ:オフィスにあるちょっとした打ち合わせスペースみたいな印象のところです。

ウネラ:そう。その「ワークショップスペース」にたどり着いたのが午後1時くらいで「次の口話は午後1時30分から」と書いてありました。口話は40分間です。

お話の内容は、もう本当に聞いているのが苦しくなるほどのものでした。正直、発災からまだ10年も経っていない中で、こんな自分自身の根幹にかかわるお話をされて、(精神的に)大丈夫なのかなと思ったくらいです。相当なご負担だと思う。それが正直な感想です。もう、それだけが残ってるという感じです

ウネリ:確かに、その語り部の方は本当に胸を打つ話を聞かせてくださいました。いつも自分の心の奥底にある悩みとか逡巡とか、そういうものを曝け出してくれたという、とても重たいものを受け取ったという印象がありました。

けれど、そのお話を聞いていたのは僕らも含めて3人。たった3人しかいない中で、あの方に本当にその人生で一番というぐらいのつらい思い、大変な経験を語らせてしまうということに、罪悪感を感じるような気もしました。

語り部の方はテープレコーダーじゃない。とても重たい体験を、40分という区切りで、あの狭い会議室のようなスペースで、わずか数人のために何度も話をさせるということは、どういうことかと、考えてしまいます。

ウネラ:そこですよね。どうも語り部の方への敬意というのが、感じられないんですよね。

伝承館というところが、語り部の方を本当の意味で大切にしているのか、そのへんはすごく疑問です。派手な映像展示などと裏腹に、隅っこの目立たない「ワークショップスペース」という、「語り部の部屋」といった名前さえも与えられない会議室のようなところで、プレゼンテーションのように、ずっと立ったままお話されるんですよ。悲惨な体験、悲痛な胸の内を。

伝承館では、語り部の存在があまりにも薄められていると思うんですよ。私たちが出会った語り部の方はとても人間味のあふれる方で、そこにとても誠実なものを感じました。

そのお話ってもう…何と言うのかな。それまで見てきた伝承館の資料や展示のあり方などに対する自分自身の怒り、虚しさ、残念さみたいなものさえ、全部吹っ飛ばしてしまうようなものだったんですよ、私にとっては。だからこそ、この語り部の人たちがいる場所として、伝承館はふさわしくない気がしたんです。

伝承館は、自分の心とか、傷をむき出しにしてでも伝えたいという語り部の方たちのことをすり減らすような接し方をしているんじゃないかと、私は非常に傷ついたような気持ちになりましたね。

ウネリ:ひと言で言えば語り部をスポイルしている。語り部の方たちの思いとかそういうものを搾取してその場を成り立たせているという印象ですね。その語り部の方は原稿用紙も持たずにその場で手をお腹のところで組んで、天井を見上げて、とうとうと自分の言葉で語ってくれた。それがすごく心に響きました。

ただ、そういう心からの語りは30分とか40分で終われるものではないし、終わらせるべきではない。語ってもらうための、しかるべき場所だったり、舞台の用意というものがあるべきではないでしょうか。伝承館という場所の「ワークショップスペース」という場所にはそういう要素がまったく備わっていない。語り部の方たちの話す内容もそうだし、ご本人たちの尊厳も、ある意味傷つけているんじゃないか。そこまで言いたい気持ちです。

本来であれば、語り部の方が心からリラックスして語れるような場所を作らなければならないし、時間も限度はあるにしても、ご本人がある程度納得いくかたちで、あまり縛られずに自由に語れる用意がされていなければならないと思います。

そもそも、伝承館に行っても、その日誰が話してくれるのか、タイムスケジュールも含めて、現状はわからないようになっていますよね。公開されていない。そういうことじゃおかしいんじゃないでしょうか。

はじめに通される7面マルチスクリーンのあるホールくらいのスペースを、語り部の方にとって居心地のいいレイアウトに置き換えて、ゆっくり語ってもらう。一日に何回も繰り返してやるようなものではなくて、例えば「この日は1時からこの方です」として話してもらう。せめてそれくらいは、語りを聞かせてもらう側の礼儀だと思います。商品じゃないんだということを言いたい。休館日以外オープンしているので、行けば一日に何回か誰かが定期的に語ってくれます、という態度でいいのか。「語り部の方々の尊厳を軽んじてはいないか」と言いたい。

ウネラ:そう思います。

私はその日初めて行きましたけど、やはり展示と伝承館のあり方、それは率直に批判していかなければならないだろうと思います。ちょっと論点があり過ぎるので、それは少し時間をかけてゆっくり検証していくというかたちをとっていかざるを得ない。

それはなぜかと言えば、語り部の人たちが代表するように、それぞれ、さまざまな気持ちを抱えている被災者の方々を、不用意に傷つけるような批判の方法は取りたくないということです。この問題を取り上げていく以上、誰のことも少しも傷つけないということは不可能でしょうが、できるだけ誠実でありたいとは思っています。

なので、きちんと検証していきたいですね。これから連載のようなかたちになると思うんですが、いろんな方のお話も聞きながらやっていきたい。

伝承館に対しては「無駄にカネを投じてこんなものなのか」という批判が既にあると思いますが、単なる「無駄」ではなくて、ある種の「害」も含んでいる。これは苦しいですが、そう言わざるを得ないというのが、私の率直な感想です。私が行った日もそうでしたが、お客さんのほとんどが学校の団体客で、子どもたちが続々とあそこに入っていくということがどういうことかということを、真剣に考えていかなければならないと思います。単純に施設について賛成、反対とか、いう次元ではなく、もっと複雑な要素を含んでいるというのが実感です。それを少しずつみなさんと一緒に考えていけたらいいのかなと思います 。

ウネリ:そうですね。語り部の方のことなど、自分の考えをまくし立ててしまいましたが、当然他の意見もたくさんあると思いますし、何より語り部の方ご本人たちの中でも、「語れる場所があって本当に感謝している」という方はいると思います。その方たちにとっては僕のまくしたてたことが、不快だったり、まちがいだと思われるかもしれません。いろんな意見もあるということも含めて、僕たちは当然それを学びたいと思ってるし、それを踏まえながらこの施設について何が語れるのかということを今後も考えていきたいと思います。

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