この企画は、2020年9月に福島県内にオープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」(伝承館)という施設の「あるべき姿」を考えていくものです。企画の狙いについては、前の記事「企画のはじめに」をお読みください。
先日、福島県浪江町にある震災遺構「浪江町立請戸小学校」に行きました。同じ日、同県双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」にも回りました。2つの施設を見比べた感想を3点書きます。(ウネリウネラ・牧内昇平)※トップ画像は請戸小
震災遺構「請戸小学校」とは
請戸小学校は太平洋から約300メートルのところに位置しています。校舎は地震と津波で甚大な被害に遭いましたが、児童と教職員は約1.5キロ先の大平山に避難することができました。2021年10月から震災遺構としてオープンしています。校舎1階部分を回ると、地域を襲った津波の大きさを筆者なりに感じることができた気がします。
伝承館と請戸小の比較①順路があることの意味
続いて伝承館との比較です。
筆者は伝承館について、展示の流れ(順路)があることが問題だと思っています。伝承館は以下のように順路が決まっています。
順路に従って進むと、来館者は次の順番に展示を見ることになります。
【①災害の始まり】【②原子力発電所事故直後の対応】【③県民の想い】【④長期化する原子力災害の影響】【⑤復興への挑戦】。
この流れが問題です。「原発事故でいろいろ大変なことがあった」(展示①~④)。でも今は「”復興”のために前を向いています」(展示⑤)。特に⑤のイメージを来館者に持って帰ってもらいたい、という意図があるでしょう。
一方、浪江町の請戸小学校。
こちらの展示にも順路があります。1階の端にある3年生の教室から順に校舎内を見ていき、職員室の脇からバルコニーに出て、大平山が見える校舎の裏手(海の反対側)に回ります。
順路に沿って解説パネルがあります。そこに書いてあるのは3月11日の請戸小児童たちの「時系列」です。3年生の教室のパネルは<14時46分震度6強の地震発生>。次の教室に進むと<14時49分大津波警報発令>。バルコニーに出ると<14時54分先生・児童、大平山へ向かう>。
自分も一緒にいる気持ちになり、「避難できた」という結果は知っているけれど、思わず息をのんでしまいます。避難開始まで8分か…。自分がそこにいたとして、同じ決断ができただろうか…。
伝承館も請戸小も、意図があって順路を作っています。筆者は伝承館の意図には違和感をおぼえ、請戸小の意図には共感しました。皆さんはいかがでしょうか?
伝承館と請戸小の比較②津波の映像の扱い
続いて津波の映像について。
伝承館で目につくのは、ド迫力とも言うべき、壁いっぱいのスクリーン映像です。津波の映像も流しています。
それに対して請戸小の校舎2階部分、展示スペースにある津波映像のディスプレイはこんな風に設置されていました。
あえて部屋のすみっこに回り込まないとリアルな津波映像は見られないようになっている。見なくていいようになっている。この工夫が生み出す差は大きいと感じました。
伝承館と請戸小の比較③原発建設の経緯についての展示
伝承館は再び原子力災害を起こさないための”教訓”を得るための施設です。ならば本来は、核開発から原子力の平和利用へと進み、福島県の太平洋沿いに原発が立つまでの歴史にきちんと触れるべきでしょう。しかし残念ながら、伝承館にはそういった歴史を表現する展示がほとんどありません。
請戸小は主に津波の恐ろしさを知るための施設です。でも、少しだけですが、原発について考えるための展示もあります。筆者が気づいたのは以下の「広報なみえ」の展示です。
浪江町の棚塩地区には東北電力が原発をつくる計画がありました。その計画を後押しする内容の「広報なみえ」が、請戸小2階の展示スペースに貼り出されていました。<原発誘致で未来にバラ色の夢を‼> すり切れた町の広報誌が何かを語りかけてくるように筆者は感じます。
伝承館にも期待しています
以上、伝承館と請戸小学校を比べました。
伝承館への点が辛いですが、これは期待の裏返しでもあります。お金はありそうですし、資料はたくさん保管していると学芸員の方は言うので、議論を続けていくことで、いい施設になる可能性もあると思っています。
伝承館を作ること自体が時期尚早だとも思うのですが、実際にできてしまい、クローズする予定がない以上、あと私たちにできることは「考え続けること」だけだと思っています。
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