日記のようなもの

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 きのうは怒涛の勢いの一日だった。
 と言っても、べつに大きな社会問題に巻き込まれたわけではない。わが家で好きなことをたくさんして、少しくたびれたというだけの話である。

 朝、おとといの鍋の残りをおじやにして食べた。その後子どもたちは絵の具で工作し、大人は食器を洗ったり洗濯ものを干したり。それが終わるとなんとなく、「きょうはそばを打つ」ということになった。わたしと子三人のうちの誰が言い出したのか。自然発生的にそういうことになった。
 これに対してウネラは思わず「ヤバっ」とつぶやいた。
 わが家の手打ちそばはとても評判が悪い。クオリティーが低いからだ。今年の1月、農協の直売所でそば粉を1キロ買ってきた。当日さっそく打ってみて、驚いた。全然うまくできない。ジャリジャリでぼそぼそ。口数の多い一番上の子が黙りこくった。気ままな二番目は食卓に冷たい視線を投げ、ジャムトーストを食べた。末っ子は一口食べて押し入れに避難し、そのまま寝た。
 今回は再挑戦になる。1月に買ったそば粉が半分残っており、とっくに賞味期限は切れていたが、もったいないので使いたかった。でも自信がなく、開店直後のスーパーで乾麺も買っておいた。つまみに春巻きとのり巻きも購入。「じゃあそっちを食べればいいのでは」とウネラが苦笑した。

 帰宅してそば作りがはじまった。小さい子2人がテーブルにひじをついて眺めた。ウネラと一番上の子は不参加。触らぬ神にたたりなしの心境だったろう。
 そして彼らの予想通り今回も大苦戦になった。いちばん初め、そば粉に水を回しかけている最中から腰が痛くなった。テーブルの高さが悪い。水分を含んだ粉をまとめて菊の花のような塊にするが、全然まとまらない。ジャリジャリ。冬なのに汗が出てくる。疲れというよりは焦りだ。
 短いめん棒で生地を広げる。きれいに作るのはあきらめ、「みんなで楽しく」ということになった。小さな子二人も加わり、粘土遊び以外の何ものでもなくなった。ぷつぷつ切れるので極端に短いそばができた。
ここらへんで不参加の2人が手伝いはじめた。このままじゃまずいと思ったのだろう。ウネラが「ゆで」や「つゆ作り」を手伝ってくれて、ようやく昼の食事のかたちが見えてくる。
 空腹に耐えきれない子どもたちのため、冷蔵庫にあったピザを焼き、買ってきたのり巻きも出した。こちらはまだそばを切っている最中。生地を重ねるとくっつくので、1枚1枚、短い短冊のようなそば生地を切っていくしかない。やけに時間がかかる。

 ようやくできあがったそばは、前回より美味しかった。理由は一つしかない。この前は愚かにも「十割」を試みたけど、今回は無難に「二八」にしたからだ。それでも、不格好であることに変わりはない。太く、短い。一番上の子が、太くて短いから〝ふったん〟というオリジナルの麺類にすればいいと提案し、「ほう。商才あるね」とほめてしまった。

そばから派生したヤバい食べ物「ふったん(太短)」

 

 そばを食べたらすぐに出かけることになった。なにしろ、となりの伊達市でいわむらかずおさんの原画展が開かれており、しかもこの日が最終日だと知り、これはゆかねばと思ったのだった。自家製のそばは消化が悪い。車で向かっている最中、こっそりジーパンの一番上のボタンをはずし、助手席のウネラに見つかった。

 展覧会はすばらしかった。いわむらかずおさんは絵本作家。「14ひきかぞく」シリーズの作者だ。10匹の子ネズミと父ネズミ、母ネズミ、祖父ネズミ、祖母ネズミの14ひき家族。森の中でピクニックをしたり、お月見をしたりする。わが家が大好きな絵本だ。その原画が並んでいて、みんな大満足だった。ウネラは「原画で見ると、水面の描き方がすばらしいのが分かる」と鋭い評論。わたしは14匹が朝ごはんを作っている絵を見て、わが家と変わらないなあなどと思った。

おみやげに買ってきたポストカード「14ひきのせんたく」(いわむらかずお)

 

 美術館を出ると、すぐそばに川が流れていた。子どもたちが川原で遊びはじめ、大人は土手にしゃがんで水の流れと遠山に夕日が当たるのを眺めた。
 うっとりとしていると、一番上の子が「ボール遊びをしよう」と言い出す。一日一度はボールで遊ばないと落ち着かないのだ。車からソフトバレーボールを出して三人とわたしでキャッチボールをはじめた。
 一番上がバウンドしたボールをとった瞬間に「うっ」とうなった。うんちがついていた。人のか動物のかは分からなかった。ボールだけでなく一番上の子の指と服にもついた。美術館のトイレを借りて手を洗い、服は脱がせた。
 いわむらかずおさんのきれいな絵が台無しになったかと思うと、そうでもない。これがワイルドな自然の真実だ、などと冗談を言いかわして帰宅した。うんちがついてしまった当人はさすがに気落ちしていて、話しかけても「指が臭いから話したくない」、テレビをつけても「指が臭いから見ない」とそっけなかった。かわいそうだった。
 ちなみに汚れてしまったソフトバレーボールは二代目だ。先月買った初代は自宅近くの川原で遊んでいたとき、わたしが高くトスしすぎて川に落ちた。子どもが泣き、反省した。翌日すぐ新しいのを買いに行った。それが今回汚れてしまった。あまり運がよくない。

 でも、ここから盛り返すのがわが家のすごいところだ。
 帰宅途中にスーパーに寄り、ウネラが肉とキムチを買いこんで焼肉パーティーにした。一番上がいちばんもりもり食べた。ウネラはビールをよく飲み、わたしは「子どもたち、よく食うなあ」と喜びと嘆きが入り混じったため息をもらしつつ、キムチで炊きたての新米をおいしくいただいた。今年から稲作をはじめた友人の米だ。このところ古米を食べていたこともあり、とても美味しかった。

新米の其一粒の光かな 虚子
新米といふよろこびのかすかなり 龍太

 新米を食べるとき、わが家ではきまってこの二つの句のことが話題にのぼる。どう考えても飯田龍太の句のほうがすばらしい。生活者の実感があると、ウネラがコップ片手に語る。わたしはどちらの句もなかなか覚えられない。テレビをつけるとグルメ番組をやっていた。みんなが好きなお笑い芸人がレポートしている。この人たちは誰かをバカにして笑いをとったりしないからね、とウネラ。同感である。わが家のホットプレートが肉を焼き終わったころ、テレビでは網焼きの塩ホルモンをほおばっていた。満腹なのにもう一回食べたくなった。寝る前、真ん中の子に「お昼ご飯はどうだった」と聞いたら、「ピザがおいしかった」と答えた。

 わが家の怒涛の一日は、だいたいこんな感じに過ぎていく。

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