寄稿エッセイ・小学校の先生から④

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 ウネリ旧知の小学校教諭、有馬佑介さんの寄稿です。

 有馬さんは東京都国立市にある桐朋学園小学校の2年生のクラスを担任する先生です。前回は、緊急事態宣言下でさまざまな選択を迫られる学校と子どもたちの様子を書いてくれました。記事はこちら↓

 今回は、2学期を目前にした有馬さん自身の葛藤を、率直に綴ってくれています。ぜひお読みください。


【有馬佑介さんからいただいた文章】

2学期を目の前にして

2学期の始まりが、もうそこまで近づいている。こんな気持ちで2学期を迎えるのは初めてだ。一介の教員の抱く思いになんの価値があるのかと思うけれど、まとまるかも分からないけれど、書いておく。
ただ単に吐き出したいだけかもしれない。

本来ならあったはずの夏休みのさまざまな行事や活動はコロナで実施できなかった。
こんなに学校の子どもたちに会うことのない夏休みは初めてだった。

8月に入ってしばらくしたところで、子どもたちに残暑見舞いを出した。
それから学校に行くたび、ひとり、またひとりと子どもからのお返事が届いていて、そこに添えられた言葉に、夏休み中の子どもたちの姿を思い浮かべた。
温かい気もちになる。
そうか、残暑見舞いってこういうものなんだなと、実感した。


子どもの顔を思い浮かべて、会いたいなあと思っていた。
でも、2学期を目前にして、学校が再開されることに、落ち着かない気持ちでいっぱいになっている。
苛立ち、怯えている。
どうやって2学期を始めるのか、本当に学校を再開して大丈夫なのか、子どもにとって安全な場所にはならないことは明らかだ、でも…
言いづらいけれど、絶対に自分自身が感染したくない。ウィルスを妻と子どもが待つ家に持ち帰りたくない。
それが怖くて、怯えている。

政府からは、一斉休校は考えないというメッセージが何度か出されている。
その一方で、学校が感染の場となる可能性も言及されている。
それでも、小学生が学校で感染する割合は低いから、休校の必要はないとも言われる。
いったい僕はそれらのメッセージをどう受け取って、自分の考えをどう持てばいいのだろう。
どうしろって言うんだ。早く何かを決めてくれ。命令をしてくれ。
そう考えている自分に気づいてはっとする。
誰かに判断を委ねたくなっている。
思考停止する自分に対する自己嫌悪を感じるのは何度目だろう。もう1年半それが続いている。
疲れている。

都道府県や市町村の教育委員会が、それぞれの方針をあわてて出し始めている。
とある自治体の方針を目にする。憂鬱な気持ちになる。
オンライン授業を飛び越えて、対面とオンラインのハイブリッド型なんてうまくいくとは思えない。
学校の日々を回しながらその準備を整えるなんて、考えられない。
それぞれの学校で、弱い立場の教員がさらに追い詰められるのではないかと、そんなことを思って暗くなる。


夏休みに準備できたはずだ、何をしていたんだというネットの攻撃的な書き込みを見ると、顔の見えない相手に、憤りそうになる。
学校がこの一年半、どれだけ準備と空振りを繰り返してきたか、そのたびに心が疲れ傷ついてきたか、どうか知ってほしい。
ただ、ひょっとしたらそんなふうに攻撃的に書きこむ人も、この状況に傷ついている人なんだろうと思う。
分断はそんなふうに広く深くなっていくのだなと変に達観してしまう。諦観か。
もう一体どうしたらいいんだろう。
八方ふさがりの状況に、心も八方ふさがりになる。

2021年の8月の終わりにこんな気持ちでいる。少しでも心を整理するために書いたけれど、結局自分の気持ちが整理されないことを思い知るだけだった。
それでも、9月。
子どもを前にしたら、僕は笑顔になるだろう。それは一種の現実逃避なのかもしれない。重苦しい社会に背を向けて、教室の中でだけ虚構を作り上げようとしているのかもしれないけれど、でも、全力でそれをするのだと思う。
全国の教員がそうだと思う。


【ウネリウネラから一言】

前回の寄稿でも、難しい状況下での有馬さんの苦悩が垣間見えましたが、それがさらに深刻さを増している様子がひしひしと伝わってきました。一教員としての自分と、家族を持つひとりの人間としての自分の気持ちを、正直に書いていただいたことに、感謝したいと思います。

混迷の続く社会のなかで、一体何を信じて判断し、行動すればいいのか。国の施策が二転三転、空回りしている一方で、各方面から異なる情報が氾濫し、その取捨選択も難しい状況だと思います。

夏休み中家族で考えた結果、ウネリウネラの子どもたちはしばらく、自主的に休校、休園することを選びました。子どもの安全に不安があることが主な理由ですが、ではいつどういう状況になったら「安全」と言えるのかなど、はっきり答えが出ていない部分もあります。子どもたちには「うちはお休みしているけれど、それが絶対正しいとか、みんながそうすべき、ということではないよ」と話しています。

集団を運営する上では、集団としての方針や決定が必要でしょう。一方で、その集団に属する個々人がその方針と異なる考えを持ったとき、それがじゅうぶん尊重され、聞き入れられやすい環境が整っているべきだと考えます。さらに、そこに寄せられた個々の意見によって、集団側の方針も柔軟に変わっていくことが、必要なのではないかとも思います。

日頃お世話になっている教員の方から、このようなメッセージをいただきました。

学校は子どもが生きる一つの場所に過ぎません。学校の学びは学びの一つに過ぎません。

とても支えになるひと言でした。

有馬さん、今回もご寄稿ありがとうございました。

コメント

  1. 渡部 純 より:

    まったく有馬さんのおっしゃるとおりですね。
    でも、この感覚、既視感があります。
    そう、10年前の原発事故のとき、福島の教員は誰もがこのような葛藤に陥っていたことを思い出させられました。

    たとえば、
    「政府からは、一斉休校は考えないというメッセージが何度か出されている。その一方で、学校が感染の場となる可能性も言及されている。それでも、小学生が学校で感染する割合は低いから、休校の必要はないとも言われる。」
    という文章では、「感染」を「被ばく」に置き換えてみたり、「小学生が学校で感染する割合は低い」を「直ちに健康に影響ない」と置き換えてみたりするとわかるでしょう。
    その時僕らが経験したのは、まさに
    「いったい僕はそれらのメッセージをどう受け取って、自分の考えをどう持てばいいのだろう。どうしろって言うんだ。早く何かを決めてくれ。命令をしてくれ」という感覚だったし、「そう考えている自分に気づいてはっとする。誰かに判断を委ねたくなっている。思考停止する自分に対する自己嫌悪を感じるのは何度目だろう。もう1年半それが続いている。疲れている」という葛藤と苦しさでした。
    今回のコロナ禍において、福島県教育委員会は10年前の原発事故で教訓を得たのか、各学校の校長が独自で「休校」の判断を下そうとしても、それを絶対に許さないという統制を強化しています。
    まったく、学校現場の実態を無視した県教委の姿勢に、現場教員は怒りと虚無感を抱いています。
    中途半端な指示で、けっきょく学校行事や部活動を制限しろと言いながら、それは学校判断に被けて責任をとろうとはしません。何を言いたいのかよくわからない文書命令だけが下に降りてきます。
    このままでは、コロナ対策などどうでもいいという空気さえ学校現場に生まれかねません。
    それにしても、福島県教委のこの頑なな姿勢はいったい何なのか。
    これは友人の指摘で氷解しました。
    文科省ができる限り学校の教育活動は停止させないという姿勢に、まさに福島県教委が同調しているだけなのです。
    福島県よりも感染状況が深刻ではない他県では、既に部活動の停止やら休校措置やら何らかの対応をしている自治体があるにもかかわらず、そうしないのは中央しか見ていないからだ、という友人の指摘は腑に落ちました。
    この県は全体、自分自身で判断できないのです。
    それは内堀知事が、先ごろオリンピック開催において、「北海道が無観客試合と判断したから福島もそうする」との見解を述べた姿勢にも示されています。
    さて、僕が懸念するのは、その大人たちの自律的思考と判断のない姿勢を子どもたちはしっかりと見ているという点です。
    「なぜ、コロナ感染がひどいのに休校にならないのですか?」という子どもからの質問に対して、「自分もそう思っているんだけれど、上がねぇ…」という言い訳しか思いつかない大人たちを、子どもはいったい信用するでしょうか。
    ここで問われているのは感染対策以上に、自分で考え判断するという人間を育てたいのか否かという、子どもたちに対する教育的姿勢なのだと思います。
    それは10年前の福島県に決定的に欠けていました。
    しかし、結局、県教委は国への同調と統制の仕方ばかりを学習しただけで、自分自身で考え判断することはまったく学べなかったようです。
    とはいえ、県教育庁のお役人たちの多くは元教員が多くを占めます。その一人一人の教員としての良心んい望みをかけたいと思うのは甘いのでしょうか。
    そんな虚無感に打ちひしがれる2年間、いや、10年間なのでした。

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