伝承館は何を伝承するのか~展示資料の記録⑦

報道

 この企画は、今年9月福島県内にオープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」(伝承館)という施設の「あるべき姿」を考えていくものです。企画の狙いについては、前の記事「企画のはじめに」をお読みください。

 議論の材料として、館内の各フロアに掲示されている「文章」をアップしていきます。さすがに展示物そのものの画像はアップできませんが、「文章」を読むだけでも、伝承館の「伝え方」の一端は分かると思います。

 この段階ではあえて私たちのコメントは付記しません。読者の皆さまからコメントを集めて、みんなで考えていきたいのです。ぜひ、これらの文章を読んで感じたこと、指摘したいことなどを書き送ってほしいと思います。実際には伝承館に行ったことがない人も、議論に参加してもらえたら嬉しいです。

 投稿フォームは毎回記事の下に設置しておきます。

 展示は、①【災害の始まり】②【原子力発電所事故直後の対応】③【県民の想い】④【長期化する原子力災害の影響】⑤【復興への挑戦】という五部構成になっています。

 前回②【原子力発電所事故直後の対応】エリアを紹介しました。

 今回は、③【県民の想い】エリアです。発災時の状況や発災後の暮らしの変化、被災者の様子などを説明しています。


↓ここからが、伝承館内に掲示されている「文章」の紹介です。

③【県民の想い】

地震、津波、そして原子力発電所事故が起こる前の、平穏なふるさとの日常、家族や友人との思い出、そして事故発生を聞いた時の恐怖と戸惑い、失われた生活基盤、将来への想い。原子力災害が福島の人々の暮らしをどのように変えてしまったのか、今回の災害にまつわる県民の想いをここに集めました。誰も経験したことのない複合災害を経験してきた人々の声をお伝えします。

・黒板に残されたメッセージ

2011年3月12日の朝8時に富岡町民約6000人が富岡町から川内村へ避難しました。しかし、原発事故の状況は時間が経過するごとに深刻化し、16日には川内村民とともに郡山市に再度避難しました。この黒板には富岡町民が川内村を出る時のお礼のメッセージが書かれています。

・川内村防災無線音声記録

・地震発生時の様子

震度6強もの激しい地震に襲われた浪江町立苅野小学校の体育館は大きな被害を受けました。照明器具や天井板が落下し、ステージ上には粉々になった天井材やガラスの破片が散乱していました。床には、割れた蛍光灯がそのまま残され、あの日の恐怖をとどめていました。

・津波発生時の様子

この建物の近くにある双葉町消防団の屯所にも津波が押し寄せました。津波により屯所の扉はなくなり、ぬいぐるみや腕時計など、生活の跡を示すものを含むガレキが中まで入りこみ、津波の恐ろしさを伝えています。

・津波の衝撃

この建物付近の川のそばで発見されたガードレールの支柱です。何本もの太い金属の柱が同じ方向に「く」の字に曲がっていました。このように支柱を曲げるほどの津波が川を逆流し、付近の家々までものみ込まれてしまいました。

・地震、津波、原子力発電所事故の救助と冷却支援

消防隊員が地震・津波の救助活動や、原発構内での給水活動などで実際に着用した防火衣です。情報が少ない中での原発構内の活動は、常に放射線への恐怖と脅威にさらされながら、決死の覚悟で続けられました。

・楽しかった学校生活

楢葉町立楢葉北小学校の教室内に震災後長い間、避難当時のままで残されていたものです。原発事故により長期避難を余儀なくされ、学校での生活は失われました。タイムカプセルのようになった教室は原発事故による目に見えない被害を伝えています。

・高校生活の記憶

これらの資料は県立富岡高校の教室や職員室にあったものです。避難当時のままの校舎内には、時間割などの掲示物が残され、授業や部活動の写真とともに、震災で失われた当時の高校生活の様子を伝えています。

・避難指示区域以外の住民の対応

この資料は、福島市の夫婦と2人の子どもがいる家庭で、北海道に母親と子どもで避難をした際の住宅手続きに関わる資料です。父親は仕事の都合で福島市に独りで残り、二重生活となりました。このように避難指示区域外では、避難した人、残った人、それぞれに苦悩や葛藤がありました。

・地域に伝わる祭り

安波祭は浪江町請戸地区にある苕野神社で行われる海上安全、豊漁・豊作を祈って舞を奉納するお祭りです。奉納舞は境内および請戸の浜で行われていました。津波により社殿、衣装、道具など全て流出しました。この衣装資料は2011年8月の震災後初披露の際、子どもが着用したものです。

・日常との別れ

避難指示区域では長期間にわたって住宅が無人となったため、家の中まで野生動物に荒らされており、家族が食事をした茶の間も見る影もなくなっていました。

・生活の不安

季節ごとに採れた山菜が、原発事故により検査をしないと食べることができなくなりました。この資料は、同じ場所で採取したキノコの数年分の食品検査記録です。

・家畜の安楽死措置

警戒区域では、飼養管理ができず、家畜が衰弱死してしまうという農家にとってもつらい状況でした。このため原子力災害対策本部長から福島県知事に対し、同区域内の家畜については、所有者の同意を得て安楽死処分を行うよう指示されました。

・『HOMETOWN』双葉町写真集

震災後の双葉町と住民を記録した写真集です。双葉町の外国語の先生をしていた2人の英国人が撮影したものです。

・再興への想い

浪江町の大堀相馬焼組合が2012年に制作した「復興」の皿です。大堀相馬焼は震災直後に生産ができなくなりましたが、避難先の二本松市で組合が浪江町民にお礼と応援の思いを込めて製作しました。9頭の走る馬の絵を描き、これから「うま(馬)く(九)いく」ようにとの願いを込めました。

・再興への想い

避難所には、避難者を支援する人たちが訪れ、激励や苦難をともにするという連帯の意思を伝えました。これらの資料は支援者から避難所の運営スタッフへ贈られたものです。

・長期避難関係資料(生活再建手続き)

これらの資料は、仮設住宅の入居や新たな場所で生活を始める時の案内書類です。自宅に戻る人は補修と建て替え、新たな場所で生活をする人は就職や教育などに必要な申請手続きなどがあります。生活を再建する苦労がわかります。

↑ ③【県民の想い】エリアにおける展示文章は以上です。


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次回は、4番目の展示エリア【長期化する原子力災害の影響】です。

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