昨日書いた「タブレット端末を使った小学校の授業」について、読者の方からご意見をいただいております。一つずつ順番に紹介します。
まずは、京都府に住む浦島清一さんのご投稿です。
【浦島清一さんからのご意見ご感想】
題名: 物事の不思議さを感じられるのか?
子どもたちにとって周りの世界を認識するということは、どういうことなのでしょう。ある知識を単に覚えるということではないはずです。自分の五感を使って生活しながらさまざまなものに触れて、その中からさまざまな発見をするとともに、その事に疑問を持ったり、さらなる探究心を深めたりする中で、学ぶのだと思います。
しかし今のタブレットを使っての学習は単に「正解」だけを求めることに終始しています。学びとは「正解」だけを得ることではないはずです。その過程での間違いや気づきの中にこそ学びがあるはずです。
だからこそ仲間との「学び合い」が必要だと思います。仲間の答えに対して間違いであっても、なぜそう考えたのかを考える。そこにこそ学びの本質があるのに、タブレットはそれを許しません。「正解」か「不正解」しかないのです。
また、体験を通じた学びの中には教えようとする側が意図したよりも遙かに大きな気づきを子どもたちがすることがあります。
私たちのところでは、地域の子ども会で、みんなで田植え(手植え)を体験し、稲刈りも鎌でみんなで刈り、さらに竹で稲木を作り、干してから脱穀をしてきました。
子どもたちは田植えの時も、ただ単に苗を植えることばかりでなく、さまざまな田んぼの中の虫や大人たちの働く様子から、いろいろなことに気がついていきます。秋の稲刈りの時も、稲の中から出てきた虫たちに驚き、稲木をつくる大人たちの縄の結び方にとても興味を示しました。
学びは教えようとする側の想像を超えていました。そしてそれこそが学びだと思うのですが、いかがでしょうか。
タブレットではこのようなことは気づきもせず学べないと思います。
【ウネリウネラから一言】
“物事の不思議さを感じられるのか?”というご指摘、大変印象深く受け止めました。
浦島さんが書いておられる通り、五感を使って生活しながら学ぶのが本当だと思います。
1980年代の東京で育った私(ウネリ)自身、そのような学びの体験をしてきたかと言うと、自信がありません。タブレット端末は使っていませんでしたが、「正解」を求める教育を受け続けてきたと思います。今になってその反省として、畑いじりをしたり、友人の田んぼで田植えをしたり、ということを始めました。
浦島さんは公立中学校を退職後、大学で教職をめざす学生に教えたり、原発問題を考える活動を行ったりしているそうです。子どもを見つめてきたからこそのご指摘、誠にありがとうございました。
みなさんのご意見をお聞かせください
浦島さんがご意見をくれたおかげで、ウネリウネラのちょっとした問題提起がぐっと深まりました。ありがとうございます。まだまだご意見を募集しています。ぜひ読者のみなさんの考えを聞かせてください。
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コメント
[…] みなさんの声①タブレット端末を使った小学校の授業 […]
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[…] ※前回の投稿は、浦島清一さん「物事の不思議さを感じられるのか?」 […]
[…] 前回までの投稿 浦島清一さん「物事の不思議さを感じられるのか?」 […]