【新潟市水道局職員自死事件】過失相殺は妥当か?

報道

11月24日の新潟地裁判決の中で、筆者が「おかしい」と考えている部分がある。判決が5割の過失相殺を認めた点だ。ご遺族や遺族側弁護団への個別取材で得た情報も盛り込み、自分なりにまとめてみる。(ウネリウネラ・牧内昇平)


「過失相殺5割」への疑問

「過失相殺」という考え方は交通事故で使われることが多い。

車同士の事故で、基本的には相手が悪いが、こっちにも少し不注意な点があったという場合、「責任割合は相手が6、こっちが4」などとなる。事故による損害額が100万円だったとして、そのうち4割を減額(過失相殺)し、60万円の賠償を受ける。

この考え方が過労死やパワハラ死の裁判でも適用されることがある。主として会社・加害者側が「原告(本人や遺族)にも過失があるので、賠償額を減額すべきだ」と主張することが多い。

今回の裁判でも、新潟市水道局がそう主張したので過失相殺が争点の一つになっていた。

11月24日の新潟地裁判決はこのような判断を示した。

〈亡くなった男性は勤続18年目の中堅職員で、主査という肩書も付与されていたのだから、困難な業務に直面した場合でも、前担当者に質問したり、業務が終わる見込みがないことを係長に率直に告げて助力を求めたり、係長の上司である課長に対して職場で十分な助力を得られないと相談したりすることも、客観的に見れば、可能であった。自らの苦境を解消するための対応を十分にとっておらず、過失相殺を免れることはできない。その割合は、5割と評価することが相当〉

要するに、新潟地裁は「中堅職員だったんだから自分で何とかできたはずだ」という理由で5割の過失相殺を適用した。この判断にはまったく納得できない。


亡くなった男性は何もしていなかったのか?

まず、亡くなった男性は「何もしていなかったのか?」という点だ。

遺書にはこうあった。

〈人を育てる気持ちがあるわけでもないし、自分が面白くないと部下に当たるような気がする。このままではどうしていいかわからないし、相談しろとたてまえ的には言うけれど回答がもらえるわけでもない。逆に怒られることが多い〉

男性は係長の対応に苦しみながらも、仕事のことを相談するなどの努力を続けてきた。しかし、それに対して上司がまともに対応していなかったことが、遺書の内容からうかがわれる。判決はこの遺書の内容を無視している。

判決文は矛盾していないか?

さらに、判決の中には矛盾ともとれる部分があることを指摘しておきたい。

過失相殺についての判断を主に示しているのは、判決文の26ページだ。しかし、少し前の23ページ、職場の安全配慮義務違反を指摘しているページには、こんな記載がある。

〈係長には、同僚や部下に対し、厳しい態度や頑なな対応、強い口調で発言する傾向があり、これらの影響もあって、当時の職場における会話は少なく、挨拶もあまりなく、職員が業務に関する質問をするような雰囲気もなかった。亡くなった男性はまじめで温厚、物静かでおとなしく、自身の悩みを他者に相談しない性格であり、係長から注意や叱責を受けて萎縮することが多く、係長の自分に対する態度を「いじめ」であると感じて苦痛を感じ、係長との接触をなるべく避けようとしていた〉

つまり、亡くなった男性が十分に助力を得られなかったのは、係長の部下への接し方に問題があったのだ。判決はそのように指摘している。

一方では「係長の言動のせいで質問できなかった」と認定しておいて、過失相殺の点では「中堅職員だったら何とかできた」と言う。判決文自体が矛盾していないか。


電通事件の最高裁判例

過労死、パワハラ自死事件の「過失相殺」についてはとても有名な判例がある。

いわゆる「電通事件」(※)についての2000年3月の最高裁判決だ。
※ここで書くのは、1991年に入社2年目だった社員(当時24)が過労自死した事件のこと。新入社員の高橋まつりさん(当時24)が2015年に亡くなったのは「第2の電通事件」と言える。

この電通事件で、最高裁は「3割の過失相殺が相当」としていた原判決をくつがえし、過失相殺を適用しなかった。判断の理由は以下だ。

〈亡くなった労働者の性格については、同種の労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り、その性格や、性格に基づく業務の進め方の違いなどが過重労働に影響していたとしても、そのような事態は使用者として予想すべきものということができる〉

最高裁の判例は「過重労働」について言っている。だから少し事情が違うかもしれないが、判例と今回の新潟地裁判決を照らし合わせてみた時、やはり疑問は残る。

新潟地裁は「本人も中堅職員として何とかできた」と言うが、「何とかできなかった」のは一義的には職場(係長)のせいだった。仮に亡くなった男性にも「もう少し何とかできた」部分があったにしろ、それは「まじめで温厚、物静かでおとなしく、自身の悩みを他者に相談しない」という男性の「性格」による部分ではないか。だとすると、最高裁判例から考えれば、「労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲」ではないのか


ほかの事件では?

ほかの事件ではどのような判断が出ているのか。

筆者は最高裁が提供する裁判例検索データベースで調べてみた。電通事件の最高裁判決が出た2000年3月以降に絞り、「過失相殺」「損害賠償」「安全配慮義務」の3つのキーワードが入っている判決を検索した。

最高裁が過失相殺について判断を示したのは、いわゆる「東芝事件」の1件だった。

東芝のエンジニアが過重労働でうつ病を発症した事件で、ご本人がメンタルヘルスの不調を職場に伝えていなかったことなどがネックになり、高裁段階では「2割の過失相殺が相当」という判断が出ていた。

しかし、最高裁は「過失相殺はふさわしくない」という判断を示した。

〈メンタルヘルスに関する情報は、労働者のプライバシーに属する情報であり、人事考課に影響し得る事柄でもあるため、通常は職場に知られることなく就労を継続しようとすることが想定される性質の情報である。使用者は,必ずしも労働者からの申告がなくても、労働環境に十分な注意を払うべき安全配慮義務を負っている〉

2014年3月に出たこの判例は、「そう簡単には過失相殺を認めない」という流れをさらに強めたと言えるだろう。

7割近くの判決が「過失相殺」を認めていない

次に、下級審判決である。

先ほどのキーワード検索では117件の判決がヒットした。この中には一般の労災事故や学校の部活動中の事故などもあるので、判決文を読んでみて、過労やパワハラの事件を抜き出した。すると、以下のような結果になった。

判決言い渡し日内容過失相殺に関する判断過失相殺について判断材料など
2022年8月過重労働による心臓死適用しない使用者側は「部下に任せることができた」と主張。
2022年5月過重労働による自死適用しない使用者側は「本人はずっと前から希死念慮を医師に伝えていた」と主張。
2022年2月長時間労働でうつ病発症適用しない使用者側は「本人がまじめで几帳面な性格だった」と主張。
2022年1月上官からのいじめ・暴力適用しない使用者側は「本人の心因的要因もあった」と主張。
2021年6月過重労働でうつ病発症適用しない使用者側は「兆候がなかった。本人が短気な性格」と主張。
2020年2月上司からのいじめで自死適用しない使用者側は「家族の過失」を主張。
2019年6月長時間労働による自死適用しない使用者側は「本人が完璧を期す性格で部下に仕事を割り振らなかった」と主張。
2019年4月長時間労働による自死適用しない使用者側は「本人が上司に相談せず、精神科を受診せず、健康管理が悪かった」と主張。
2019年4月過重労働による自死適用しない使用者側は「職場が勧めても医療機関を受診せず、家族が勧めても退職しなかった」と主張。
2018年6月実習の講師からのパワハラで自死適用しない使用者側は「本人が実習をがんばりすぎた」と主張。
2017年1月長時間労働による心臓死過失相殺3割使用者側は「死亡1か月前に業務軽減」と主張。
2016年11月長時間労働による心臓死過失相殺3割判決は「自分で休息をとるべきだった」と指摘。
2012年10月長時間労働による突然死適用しない使用者側は「本人が自殺未遂していたことを伝えていなかった」と主張。
2012年10月長時間労働による自死適用しない使用者側は「帰宅が遅くなったのは本人の事情・判断による」と主張。
2010年5月長時間労働による心臓死適用しない使用者側は「本人の不摂生。過度の飲酒」と主張。
2009年12月長時間労働による心臓死過失相殺2割判決は「飲食店の店長として自らの業務量も適正にすべきだった」と指摘。
2007年12月長時間労働による突然死(入浴中)過失相殺2割判決は「長時間労働も原因だが、飲酒後の入浴は控えるべきだった」と指摘。
2007年10月長時間労働による自死適用しない使用者側は「専門医を受診していなかった」と主張。
2007年5月過労自死過失相殺3割判決は「本人が精神科を受診していなかった」と指摘。
2007年3月過労による心臓死過失相殺1割判決は「労働時間を短くするなど負担軽減の余地はあった」と指摘。
2007年1月過労による突然死適用しない使用者側は「本人の健康管理がよくなかった」と主張。
2006年8月上司からの叱責でうつ病発症過失相殺3割判決は「上司が勧めたのに病休を取らなかったため、治療が2週間遅れた」と指摘。
2006年7月過労による心臓死適用しない使用者側は「本人に持病があった」と主張。
2005年9月過労自死適用しない判決は「本人の性格は想定される範囲」と指摘。
2005年3月過労自死適用しない判決は「家族に責任はない。本人の性格は想定される範囲」と指摘。
2003年7月過労による脳出血※不明
2003年5月過労自死適用しない使用者側は「愛社精神が強いなど本人の問題もあった」と主張。
2002年12月過労による脳梗塞過失相殺7割判決は「本人に禁酒、禁煙、運動療法などの指示が出ていた」と指摘。
2002年6月上司からのいじめで自死過失相殺7割判決は「いじめ発覚後に配置換えもあった」と指摘。
2002年3月過労による心臓死適用しない使用者側は「本人は医師だったのだから、自己管理できたはず」と主張。
2002年2月過労による自死過失相殺7割判決は「本人の思い悩む性格なども理由だった」と指摘。

過労やパワハラの事件は31件あった。そのうち20件で、「過失相殺はふさわしくない」という判断が示されていた。

「1~3割」の過失相殺を認めた判決が7件、「7割」の相殺を認めた判決が3件、筆者が判決文を読んだだけでは裁判所の判断が「不明」だったものが1件あった。

データベースに載っていた判決の大部分が過失相殺を認めなかったことは注目に値する。電通事件の最高裁判例がその後の同種事件に大きな影響を及ぼしていることがわかる。

また、過失相殺の「幅」についても一定の傾向が見えてくる。その多くが2、3割の減額である。2000年代前半までさかのぼれば「7割減額」という判決も見つかるが、最近の傾向としては、「2~3割」という相場が定着していると言えるだろう。

個別のケースを見てみる。

・病院の勤務医が心臓死した事件。判決は「自ら労働時間を短くするなど負担軽減の余地はあった。研究活動は業務命令ではなかった」と指摘。1割の過失相殺が相当とした。

・長時間労働だった菓子工場の社員が、飲酒後に入浴し、突然死した事件。判決は「飲酒後の入浴は健康リスクがあることが指摘されており、控えるべきだった」と指摘。2割の過失相殺が相当とした。

・飲食店の店長が長時間労働で心臓死した事件。判決は「店長なら自らの業務量も適正なものとすべきだった」と指摘。2割の過失相殺が相当とした。

いずれの事例も、「過失相殺する」と言われた場合のご本人やご遺族の気持ちを考えると、無念である。

そのことを前提としたうえで書いておきたいのは、判決文を読む限り、新潟市水道局のケースで、上記の事件以上に亡くなった男性側に過失があるとは思えないということだ。


以上のことから、筆者は新潟市水道局事件について「5割の過失相殺」は極めて不当だと考えている。

(おわり)

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