北海道の釧路赤十字病院(釧路市)で2013年9月、一人の新人看護師が自ら命を絶った。村山譲さん、当時36歳。我が子はなぜ、死なねばならなかったのか。両親は真実を求め、裁判を起こしている。
釧路地裁は3月15日、「労災を認めない」という判決を言い渡した。不当判決だ――。両親は控訴する決意を固めている。闘いは続く。(ウネリウネラ・牧内昇平)
※冒頭写真は「新人看護師の労災認定を支える」釧路支援する会、提供。
午後2時、釧路地裁第1号法廷。
報道陣の撮影が終わると、新谷祐子裁判長が判決を言い渡した。
「主文。原告の請求をいずれも棄却する」
傍聴席から「えーっ」と怨嗟の声が上がる。そこかしこからため息が聞こえてくる。
原告席に座る父豊作さんと母百合子さんは、伏し目がちに判決を聞いていた。マスクで隠れた顔の表情は読めない。体の前で両手を組んだまま起立し、3人の裁判官たちに向かって一礼した。
父の豊作さんが顔を上げ、傍聴席のほうに目をやった。4列ある傍聴席の最後方に、譲さんの弟、渉さんが座っていた。ひざの上に兄の遺影を抱えている。父の視線にうながされ、渉さんは丁寧に、遺影を黄色い布で包んだ。
「きょうの釧路地裁の判決は、私たち原告の主張を退ける大変不当なものでした。結論において不当であるだけでなく、判決の中身においても、大変問題のあるものです」
裁判所のとなりにある釧路弁護士会館で、マスメディアや支援者たちへの報告集会がはじまった。原告側の弁護士がマイクを握っている。なにぶん判決言い渡しの直後なので、判決文をざっと読みながら、ポイントを記者たちに伝える。
「判決の中身ですけれども……、本人の薬剤の投与ミスについて、降格とか減給といった処分を受けた事実が認められないので、さほど心理的負荷は大きくないんだと、そのように判決は言っております。それから……、被災者を標的としたいじめが行われていたと言うことはできない、とか。こういうことで、判決は被災者(譲さん)の心理的負荷を軽く評価しています」
釧路労基署は譲さんの心理的負荷を「中」と判定し、負荷が「強」ではないから仕事が理由の自死ではない、と判断していた。釧路地裁も労基署の判断をほぼなぞった内容だった。
『先輩看護師からのいじめや嫌がらせ、医師からのパワーハラスメントなどの不適切な言動の事実があったとは認められない。その他、多数の業務上のミスを生じさせているところ、それらを総合して考察しても、精神障害を発病させる程度の精神的負荷をもたらすものであったとは言えない』
釧路地裁判決文から引用
弁護士が続ける。声に落胆の色がにじむ。
「誠に、あらゆる面について、被災者の受けた心理的負荷の程度を不当に軽くみた判決と言えると思います」
母の百合子さんが挨拶に立つ。
「みなさん、今日はありがとうございました。公正な司法の判断を、と思っていましたが、やはりこんなものか……と思っています。つらい思いをしている労働者の方がたくさんいるのに。なんて言うんでしょうかね……、難しいんだなというのを、改めて身に沁みております。でも私たちはあきらめません。まだまだ頑張っていこうと思います。息子の事件が労災を認められれば、ほかにも認めてもらえる方たちが出てくると思っているので、私はまだ、家族と一緒に力を合わせて頑張っていこうと思います」
続いて父の豊作さんが話した。
「亡くなってから9年、裁判が始まってから4年ですか。皆さまから応援いただき、3万数千筆の署名までいただいたのに、このような結果になってしまいました。でも、今までの4年間が無駄になったとは思っていません。これからも皆さんの力を借りて闘っていきますので、もうちょっと時間がかかると思いますが、よろしくお願いします」
両親の言葉に支援者たちから拍手がおこった。弁護士が「至急、控訴の手続きをとります」と締めくくり、報告集会は終わった。
声をかけるのはためらわれたが、やはり少しだけご遺族の話を聞いた。
「そうですね……。私は、こういう結果になるかなとは思っていました。いい結果を期待して、裏切られたら、余計つらいですので」
百合子さんは気落ちしている様子を見せない。いつもサバサバと気さくに取材に応じてくれるが、胸の奥深くにある本当の気持ちに軽々しく触れることはできない。
「悔しいですよ。悲しいですよ。仕事で亡くなったことはまだ認められていないので、この先もまだ闘うしかないのかなと思っています」
渉さんは会議室の出口のところで、傍聴に来た支援者たち一人ひとりに頭を下げ、お礼を言っていた。ほとんどの人が帰った後で声をかけた。
「命をなくすまでの仕事って存在していいのかな、という気がしています。兄は悩んで、苦しんで、働いていたんだと思います。誰か一人でも、勇気をもって、兄のことを話してくれたら、それで両親は救われるのだと思うんですけど……」
同僚の看護師や医師たちは、職場で起きた「本当のこと」を話してくれているのか。遺族は疑念を拭い去れないでいる。
渉さんはふだん東京で働いている。判決という「区切り」を迎えるということで、初めて釧路までやってきた。
「これだけ頑張っている両親のことを見ると、私も……どうにかして、兄が精いっぱい生きていたことを証明してあげたいと思います」
――お兄さんはどんな人でしたか?
「兄は本当にまじめでした。人付き合いは苦手なほうでした。愛情表現が下手なんです。でも、行動で優しさを見せてくれるんですよね。私が仙台の大学に行ってからの話ですが、(村山家の実家がある)室蘭に帰省するとき、兄が新千歳空港まで迎えに来てくれました。兄がすぐ近くの壮瞥町役場に勤めていた時ですね。実家に着いたらごちそうを用意してくれるんですよ。ソースから手作りで得意のパスタを作ってくれました。おいしかったです」
父の豊作さんは、会議室のテーブルに立てかけていた譲さんの遺影を片付けていた。「はあーあ」と深いため息をついた。
「ただ、ただ、残念。なんで、認められなかったのか。高裁に向けて主張の弱点を補強するしかないですね。一番いいのは証人が出てきてくれることですけど……。高裁でもう一度やり直して、その準備期間に風向きが変わるかもしれない。そう思っています。ただ、ただ、残念。『がっかり』とは違いますよ。『残念』ですね」
――「がっかり」と「残念」はちがうんですね。
「はい。もちろん違います。『がっかり』では、気落ちしてしまうでしょ。まだまだ、気落ちはしておりません。勝つまでやめないぞっていう、それだけです」
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