北海道の釧路赤十字病院(釧路市)で2013年9月、一人の新人看護師が自ら命を絶った。村山譲さん、当時36歳。両親は裁判を起こし、真実を求めて闘い続けている。労災認定訴訟の判決を直前に控えた両親の思いを紹介する。(ウネリウネラ・牧内昇平)※写真は遺族提供
母
「きょうだいの中で一番しっかりした子でした。だから余計に信じられないんです。こんなことになってしまったのが……」
母の百合子さんはそう話す。
「4人兄弟の長男で、祖父や祖母の看取りのときにも親を助けてくれました。食べることが好きで、料理も上手く、スポーツも好きな、何より親思いの優しくて頼りになる息子でした。友人のことを悪く言うことはなく、亡くなった後も、幼馴染からは『ゆっちゃん』と呼ばれています。」
譲さんは4人きょうだいの一番上だった。室蘭市内の高校を卒業した時、本当は看護学校に行きたかったが、不合格だった。父は大工、母は看護師。経済的に余裕がある家庭ではなかった。仮に自分が浪人してしまったら弟や妹たちの進学に影響を与える。そう考えた譲さんは、土木科の専門学校に進み、卒業後は北海道壮瞥町の役場に就職した。
役場に約10年勤め、辞める決意をしたのは30歳の時だ。あこがれていた医療職になるためだった。両親は反対した。
「その頃は男性看護師もまだ少なくて、看護は女性の職場でした。また30歳という年齢からの看護学校進学は容易ではありません。順調に看護師になれたとしても医療の現場は甘くないです。看護師として働いていた私は、譲にそう言って進学に反対しました。」(百合子さん)
しかし、譲さんの意志は固かった。反対する両親をこう説得した。
「弟と妹はみんな自立したし、お父さんやお母さんが思う長男としての背中を見せる役割は終えたよ。自分も30歳になって、医療の仕事に転職できるぎりぎりの年齢だと思う」
両親は息子の背中を押そうと決めた。
これは筆者の推測だが、百合子さんは当時息子の将来を心配しつつも、心の中には嬉しい気持ちもあっただろうと思う。17歳の時から看護師として働いていた。救急など過酷な職場も多かった。そんな母の姿を、譲さんはまぶしく見ていたのだろう。親としては嬉しいことではないか。
しかし、だからこそ今、百合子さんはつらいだろうと思う。その決断が結果として、譲さんの命を奪ってしまったのだから。
「譲を妊娠していた頃、私は夜間の看護学生でした。譲にとっての胎教は、看護学校の授業だったと思います。私はその後も看護師として働き続けました。仕事をしながら譲を育てたことを誇りに思っていました。でも今は……。私が看護師であること、進学を応援したことが譲の人生を壊してしまったと、悔やんでも悔やみきれません。私が代わりに死ねるならと胸が痛く張り裂けそうです」
父
ふだんは前面に立つ母百合子さんをそばで支えている感じだが、もちろん父豊作さんも同じ気持ちだ。息子の死の真相をつかめないことに怒っている。
「息子はあの病院で働いていて亡くなったんです。安全管理はどうなってたんでしょうか? 配置転換はできなかったんでしょうか? 目をかけてもらっていたのか、その反対なのか、さっぱり分かりません。病院のスタッフの方々に会って一人一人話を聞いてみたくても、会わせてもらえないから、どんな状態だったか分からないんです」
――会わせてもらえないのですか?
「はじめに何度か、百合子が病院に行って師長さんなどと話しました。でも、しばらく経つと、病院の総務課の方から、『息子さんのことで体調を崩している人も多く、会わせることはできません』と言われました。ほとんどのスタッフとは一度も会っていません。『息子がお世話になりました』とお礼を言うこともできません。スタッフに会わせてくれないことが、一番おかしいと私は思う」
判決へ
両親は闘い続けている。室蘭―釧路間の360キロの道のりを何度往復したことか。職場の実態を知るためには、当時を知る病院職員らの証言が欠かせない。協力してくれる人を探すため、両親は釧路赤十字病院の前でビラ配りの活動を続けてきた。室蘭に近い札幌で裁判を行うことも考えたが、あえて職場に近い釧路地方裁判所に提訴した。
釧路の人びと、釧路赤十字病院で働く人びとに、一人の看護師が亡くなったこと、遺族がその真相を求めているということを、知ってほしいからだ。
釧路地裁の判決はきょう、3月15日に言い渡される。譲さんの祥月命日は9月15日。亡くなってから、ちょうど8年と6か月になる。これだけの月日が経ったのに、いまだに真相が分からない。いや、彼の遺書を読む限り、彼が苦しんでいたのは間違いのない事実なのだ。
《……この6ヶ月、注射係しかできませんでした。その注射係すらまともにできませんでした。……本当に申し訳ありませんでした。……あきれられても仕方ありません。6ヶ月本当に皆様にはお世話になりました》
譲さんの遺書
遺書を読んでいて気づいたことがある。譲さんは誰のことも責めていない。このことは重要だ。そしてもう一つ重要なのは、譲さんの両親も、この裁判を通じて誰かを責めているのではない、ということだ。
両親がいま闘っている裁判は、病院側に損害賠償を求める裁判ではない。労災認定を求める裁判だ。両親はただ真相を知りたいだけ、「仕事が理由で亡くなった」ということを認めてほしいだけなのだ。そして労災認定の事実を厳粛に受け止めて(本当は労災認定云々とは関係なく必要なことだけれど)、病院の人たちに〈なぜ譲さんが死んでしまったのか。どうすれば最悪の事態を防げたのか〉という、最も大事なことを考えてほしいのだ。筆者はそう思う。
14日の深夜、筆者を乗せた列車は釧路に到着した。きょうの午後2時、裁判長はどんな判決を言い渡すだろうか。それを聞いた譲さんの両親はどんな気持ちになるのか。まずはそれを見届けたい。
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