【中身のある/ない雑談】映画『東京クルド』について

ウネリ:先日の『海辺の彼女たち』に続き、“日本で苦しむ外国人”の方々の映画について話したいと思います。『東京クルド』です。日向史有監督、今年7月から全国順次公開、福島市では「フォーラム福島」で本日から1週間、公開が始まりました。作品の公式サイトにある紹介文が分かりやすいので引用します。

故郷での迫害を逃れ、小学生のころに日本へやってきた オザン(18歳)とラマザン(19歳)。二人は難民申請を続けるトルコ国籍のクルド人。入管の収容を一旦解除される「仮放免許可書」を持つものの、 許されているのは「ただ、いること」。立場は非正規滞在者で、住民票もなく、自由に移動することも、働くこともできない。また社会の無理解によって教育の機会からも遠ざけられている。いつ収容されるか分からないという不安を常に感じながら、 それでも夢を抱き、将来を思い描く。

映画『東京クルド』公式サイトより

日本の難民認定率はわずか1%

ウネリ:感想の前に少しデータ的なことを話します。クルド民族は中東のクルディスタンと呼ばれる地域に住んでいる人びとで、現代の国境線で言うと、イラク、イラン、トルコなどにまたがって暮らしていました。このため、今言ったどの国でも少数民族として迫害されています。クルド側にも、国家としての独立を目指して武装化している人たちがいます。そんな中でたくさんの方が命の危険を感じ、生まれた土地を捨てて逃げています。「難民」です。映画を見る前に理解しておきたいのは、日本の難民認定率は著しく低いという現状です。2019年だと難民申請者数が10375人。それに対して、認定された人は44人。難民認定率を計算すると0.4%になります。

ウネラ:少ない!!

ウネリ:2020年は申請者が3936人に対して認定者が47人。申請が6割くらい減ったから認定率は1.1%になった。1.1%だって、とても低い数字だよね。

ウネラ:はあ……。

ウネリ:難民として認めてもらえなかった人は、原則として出入国在留管理庁(かつての入国管理局、いわゆる入管)の施設に収容されてしまいます。でも実際は、「仮放免許可書」をもらって収容所の外で暮らしている人が多くいます。映画に出てくるオザンやラマザンはこの「仮放免」の状態にあります。

ウネラ:はい。

ウネリ:この「仮放免」の人びとが生きている環境というのは本当にひどい。先日ある勉強会で聞いたところによると、▽働くことが禁止されている、▽国民健康保険に入れないので適切な医療が受けられない、▽入管の許可を得なければ引っ越しや長距離移動もできない、などの制限がかかります。あきらかな人権侵害です。あとは、だいたい1~2か月に1回のペースで入管に通い、仮放免の延長申請をしなければなりません。ちなみに福島に住んでいる仮放免の人は、仙台にある入管に毎回通うことになるのだと思います。

ウネラ:うん。

ウネリ:「仮放免」の人たちは、いつ収容されるか分からないという心配にもさらされています。収容は身柄を拘束し、身体の自由を奪います。そういう意味では、刑事手続きの「逮捕」とそれほど変わりません。ただ、逮捕には裁判所の令状が必要ですが、入管の収容にはそういう要件もありません。しかも、スリランカ人のウィシュマさんが亡くなった事件が広く知られている通り、収容施設内では適切な医療を受けられなかったり、虐待されたりするケースがあり、大きな問題になっています。

ウネラ:日本政府は難民かどうかをどうやって決めているの?

ウネリ:政府のウェブサイトにはこうあります。

「難民」とは、人種,宗教,国籍,特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由として迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないか又はそれを望まない者

出入国在留管理庁のウェブサイトより

ウネリ:国連の「難民条約」に基づいた考え方ですよね。クルドの人たちも十分これに該当すると思うけどね。

ウネラ:うーん……。

ウネリ:難民申請している人への扱いは、ほんとに日本の「暗部」だと思います。では、映画の感想を。


入管の「精神荒廃作用」

ウネラ:映画に出てくる入管の人たちの対応に注目しました。オザンやラマザンが仮放免の手続きなどで訴えかけるのは、「人として扱ってくれ」ということだと思います。それに対峙する入管職員は、“人として”ではなく、“システムとして”彼らの求めを冷徹に拒んでいます。日本政府が難民にきちんと向き合った制度を作ってないから、入管職員にも術がないのでしょう。彼らがやれることは「非人間的に断る」ことだけ。1日に何十人も非人間的に断る。毎日その仕事をしていると、心が病んでくるでしょう。だんだん暴力的になってくる。ウィシュマさんの事件などにも通じるものがあると思います。これは怖いことですが、自分にそういう部分がないかというと、やっぱりあるのではないかと思います。この映画は、「自分はやらない」という意識で見るのではなく、「同じ立場だったら自分も同じようなことをする可能性がある」ことを意識して見た方がいいと思います。

ウネリ:同感です。入管の人たちが本質的に「悪」という訳ではないと思う。法律に忠実な官僚なのではないでしょうか。ただ、制度自体が「悪」であり、「非人間的」である。そんな制度を押しつけなきゃいけない職員たちは、精神が荒廃してくると思います。今の入管、難民認定の制度は、人間の精神を荒廃させるシステムです。大きく飛躍するけど、入管という日本社会の一システムに「精神荒廃作用」がある場合、その影響は入管に関わる人たちに限定される、というものではないと思います。そこから少しずつ、日本社会全体に「精神荒廃作用」が広がっていくのではないか。「私の周りには全く外国の人はいないし、入管の問題なんて全く関係ありません」と思っている人がいるかもしれないけど、そういう人たちにも、いつかどこかで、精神の荒廃が広がっていくのではないか。そんな気がします。

ウネラ:そういう意味でも、この問題を考える時、身近な問題に置き換えられないかと考えた方がいいと思いますね。私はウィシュマさん事件における入管の職員の行為に「やまゆり園事件」を連想しましたし、もっと身近な例で言えば、自分がイライラしている時に子どもに苛立ちをぶつけてしまうことなども、根っこは同じなのではないかと思いました。

ウネリ:うん。

ウネラ:気になったのは、オザンやラマザンを「無力化」させかねない状況です。強い「怒り」や「悲しみ」などの感情が湧いてくるうちは、それを力に変えていける気がします。でもそれを通り越して「無力感」しかなくなってしまったら。彼らはかすかな光を求める力も失ってしまうと思うんです。そんな状況にさせる社会は、悲しいです。

ウネリ:あの状況でもなんとか頑張ろうとしている2人には敬意を抱きます。自分だったら、頑張っても報われない環境でも頑張ろうと思えるか。自分にはあのガッツはないように思う。

ウネラ:うん。

ウネリ:この前の『海辺の彼女たち』とも共通しますが、日本の外国人政策は人権感覚が欠如しています。日本は労働力不足が心配されている。だから外国人労働者がほしい。でも「移民」として定住してほしくない。そういう自分勝手な要求を満たすために作られたのが「技能実習生制度」です。この人たちにはとにかく働いてもらいたい。むしろ、過労状態で働かせる。その一方で、難民として認めない人には働くことを禁じる。本人が「働きたい」と言っているのに、働くことを認めない。あれっ、そもそも働き手がほしかったんじゃないの?と思います。

ウネラ:ちょっとよく分からないよね。

ウネリ:共通しているのは、「人権感覚がない」ということ。人間を「労働力」(物)として見たり、難民でなくても人間であるという当たり前の事実を無視したり。


子どもに説明できないことはどこかが間違っている

ウネラ:なんかね……。子どもにこの状況を聞かれた時、納得させられるような説明ができないと思うんです。

ウネリ:ああ、これは無理だね。

ウネラ:無理でしょ。事実をありのままに話したら、「なんで? かわいそうじゃん!」という話になる。子どもにシンプルに説明できないことは間違っている、と思ったほうがいい。

ウネリ:なんでこうなっちゃうんだろうな……。「置き換え」という意味では、福島だって、原発事故の時に避難指示区域外から避難した「区域外避難者」の人たちがいます。その人たちに対して、福島県は今、避難先である国家公務員宿舎からの立ち退きを求めて提訴したり、家賃の2倍の損害金の支払いを求めたりしている。この問題とも似たところがあるように思います。困っている人たちを助けないのか、という意味で。ちなみに話はずれますが、福島原発事故で避難している人たちは、国際法上の「国内避難民」に該当すると思います。

ウネラ:作品に戻ると、私はオザンの表情がとにかく印象的でした。ちょっと翳を帯び、光を求めてもがいている。けれど、打ちひしがれてもいる。その様子が彼の横顔に表れている。彼の姿は、多くの人に共感してもらえると思う。

ウネリ:日本で苦しんでいるオザンが、それでも故郷は危ないし、そこで戦闘には加わりたくないと思っている。あの姿はよかった。

ウネラ:映画を見た私が言えることは、オザンやラマザンたちは正しい、何も間違っていない、ということです。少なくともそれだけは、映画を見た者として伝えたい。私たちがいる日本社会があなたたちを失望させているんだけど、それでも、私はそう伝えたい。でも、私に何ができるかと言ったら、とりあえずネットで署名したりすることなんだけど……。

ウネリ:そういう風に思わせる映画だよね。入管の問題というのは、最近の社会問題では珍しく「経済」があまりからんでこない。「経済」よりも「政治」。ということは「世論」が動かせる余地が大きいということだと思います。たとえば難民認定者数を40人から400人に増やしたって、経済に負担はかからない。むしろ在留資格を取って働いてもらったほうが経済にはいい効果があるわけでしょう。最近どんな物事でも最終的には「お金が……」という話になる。たとえば原発の汚染水を東京や大阪湾から流さず福島県沖から流そうとしているのは、「安全だから東京から流してもいいけど。そこまでもっていくのはお金がかかる」というのが理屈です。なんでもお金の問題にするのはおかしいけど、入管制度に関してはお金の問題でもない。だから、もっとみんなが怒って「許さん!」と言えば変わるんじゃないかと思っています。

※10月10日追記
雑談中、私(ウネリ)はこのように発言しました。


ウネリ:同感です。入管の人たちが本質的に「悪」という訳ではないと思う。法律に忠実な官僚なのではないでしょうか。ただ、制度自体が「悪」であり、「非人間的」である。そんな制度を押しつけなきゃいけない職員たちは、精神が荒廃してくると思います。今の入管、難民認定の制度は、人間の精神を荒廃させるシステムです。

この点、言い足りなかったと思うので書き足します。

入管の制度が「非人間的」であるのは確かだと思います。そこが最大のポイントでしょう。一方、だからと言って、そこで働く職員たちが100%免罪されるかと言うと、私はそう思いません。自ら属する組織のルールが非人間的である場合、それに対して真っ向から抗い、ルール自体を変えていくのは大変だとしても、ある程度ルールを知らんぷりしたり、ちょっと踏み越えてみたりすることは可能ではないでしょうか。そうやって、一人ひとりが少しずつルールから逸脱することで、強固に見えたルールが瓦解する可能性が出てくるのだと思います。軍規違反をすれば処刑されるような世の中ではありません。時にはそういう「ふまじめさ」も必要だと思います。

2 thoughts on “【中身のある/ない雑談】映画『東京クルド』について

  1. 入管のウィシュマさん問題もそうですが、心から残念に思います。

    ただ振り返れば、医療や生活保護をはじめとする社会保障、教育の低予算等々含めて、我が国の人権意識の低さが、この問題にも現れているのだと思います。

    そしてそれを許してきたのは、有権者。

    恥ずかしくない政治に一刻も早く変えるため、諦めずに努力を続けたいと思います。

  2. 日本人てなんなのだろう、と考えさせられる映画でした。外からやってくる人は制度上排除される。
    仮放免中には仕事もできず、どうやって生きていけばいいのか?と問えば、それは自分で考えろ、というとんでもない答え。挙句の果ては、日本で暮らしたい、という話をすると、だまって国に帰れ、と言う言葉が返ってくる。
    入管職員の人間性を疑うわけではないが、そう答えざるを得ない彼らの心情を思うとき、外国人排除のために入管という仕事についたわけではあるまい。
    日本がこれからの国際社会で生き残るために、不幸な外国人を作らない入管制度改革が第一歩かもしれない、と感じた映画でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。