先日のマガ9コラムをめぐるあれこれ

報道

 7月14日、憲法と社会問題を考えるウェブマガジン「マガジン9」にコラムを寄せました。

福島五輪会場、一転『無観客』のドタバタについて考える

 福島市内で行うオリンピックの野球とソフトボールの試合について、福島県の内堀雅雄知事はいったん「7150人まで観客を入れる」と発表しましたが、その2日後には一転して「無観客」を宣言しました。どうしても開催するとしたら「無観客」のほうがいいとは思いますが、それでもやはり納得がいかない気持ちが残ったので、コラムを書きました。ここでは、掲載までの経緯を少し紹介します。


 きっかけは、7月9日付の新聞紙面でした。
 全国紙の1面トップには「五輪4都県 無観客」とあり、地元紙には「五輪 あづま有観客」とありました。
 あまりのコントラストに、私(ウネリ)は愕然としてしまい、怒りがふつふつとこみ上げてきたのです。

 その時点で考えていたのは、以下のようなことです。

福島のスタジアム(県営あづま球場)に観客を入れる。「コロナの感染を広げる」という現実的な心配もあるが、同じくらい深刻なのは、「倫理」の問題である。”アンダーコントロール”に”復興五輪”。「東京」に五輪を招致するため、「福島」はダシに使われてきた。実際の福島では、帰還困難区域は相変わらず残り、避難指示が解除された地域も元のコミュニティに戻すことはできず、原発の廃炉の見通しはつかないまま。そんな中で、原発から出る汚染水は福島県沖から放出することが政府決定された。ダシに使うだけ使い、肝心の「被害」の部分は見ようとせず、汚い部分は地元に押しつける政府の姿勢に憤りを感じる。

そうして招致された五輪。いざ開催が近づくと、首都圏では観客を入れるのが困難になり、福島などの地方だけ観客を入れるという。福島県では「学校連携観戦」事業を中止していない。すでにキャンセルを決めた学校もあるが、観戦の予定を変えていない学校もかなりの数ある。21日に大会が始まり、こどもたちが集団でスタジアムを訪れれば、報道陣はこぞって「こどもたちで盛り上がっているスタンドの写真」を掲載するだろう。

恐らくこの写真は、「東京五輪という現代史の1ページを飾る写真」になってしまう。東京の競技会場で仮にアスリートが躍動したとしても、「無観客」ではあまりにも盛り上がりに欠ける。絵にならない。その埋め合わせとして、福島のこどもたちの写真が使われる。「東京五輪の成功」を象徴する写真として、少なくとも「公的な歴史」には残されていくだろう。

東京五輪のはりぼての「成功」を演出するために、感染リスクまで背負わされつつ、「福島」が利用される。これは結局、過酷事故のリスクを背負いながら首都圏に電力を供給してきた原発の問題と構図は同じではないか。思えば、福島だけでなく、首都圏以外で五輪会場が設定されている北海道、宮城、茨城、静岡にも、原発がある。

感染拡大が危ぶまれるなら、きっぱりと中止がベスト。仮に中止できなくても全国で無観客とし、政府は自らの失敗を認めるべきだ。東京一極集中の「負」の部分の帳尻を合わせるために福島原発はできた。その原発が過酷事故を起こしたのに、この期に及んで、コロナ感染防止やオリンピックをめぐる政府の失敗を糊塗するために「福島」を使うのは許されない。

 そんなことを考えて、マガジン9の編集者さんに相談していた矢先、10日土曜日に「無観客」への方針転換が報じられたのです。私(ウネリ)はずっこけてしまいました。なんだかやる気を失って、半日ほどぼーっと過ごしました。

※写真説明:五輪の試合会場となる福島県営あづま球場。周囲には高さ3メートル超の巨大なフェンスが立っている。

 するとその日の夜、ウネラから「マガジン9の件はどうなったのか」と聞かれました。私は、「なんだかよくわからんけど無観客になっちまったしなあ」と答えると、ウネラに叱られます。

「たとえ結果的に無観客になったとしても、いったん観客を入れようとした事実に変わりはない。『まあいいか』で済ませていいのか。そうやって一つひとつ、なあなあで終わらせていった結果がいまの日本の政治であり、福島県政ではないのか。『福島にいったん観客を入れようとした』という事実を、愚痴るだけでなくきちんと書き、残していくべきではないのか」

ウネラ

 こう言われた私は襟を正してキーボードをカタカタと打ち始めたのです。よくよく考えてみれば、「北海道が無観客を決めたことで首都圏以外の道県が一致した対応ではなくなったから福島も無観客にする」という内堀知事の言い分はよく理解できません。そのことはきちんと指摘しておくべきだと思いました。

 マガジン9の編集者さんからは、学校連携観戦をめぐる東京の現状も教えていただきました。

 東京では「無観客」が正式決定される前から、学校連携観戦事業を中止する自治体が続出していました。そのことはニュースになっていましたが、逆に言えば、正式決定されるまで事業を実施しようと粘っていた自治体もかなりあったわけです。自分の住む区が自主的に中止を決断しなかったことに、編集者さんは憤っていました。

 こういうことは地域レベルで今後追及すべきだと思います。全体が無観客になったから「よし」とするのではなく、自ら中止を決断しなかった自治体や教育委員会には、「あの時なぜこどもを守ろうとしなかったんだ」と厳しく問う必要があると思います。

※写真説明:ウネリウネラの家の近くにできた看板

 そんなことを考えてコラムを書きましたので、よろしければぜひお読みください。

福島五輪会場、一転『無観客』のドタバタについて考える




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