【1号機圧力容器ぐらぐら問題】みなさんの声:安全神話の呪縛から解放されていない

報道

 昨日、東京電力福島第一原発1号機で、原子炉圧力容器に転倒・落下の心配があることを書きました。

 この「圧力容器ぐらぐら問題」について、福島市に住むペンネーム「ゴッサム市民」さんが感想を寄せてくださったので紹介します。※トップ写真は、原子力規制委員会に提出された東電資料からの引用。

【ゴッサム市民さんからのメッセージ】

イチエフ1号機問題

 1号機のペデスタル損傷問題は、1年ほど前からその危険性が指摘されていた。圧力容器が格納容器もろとも倒壊する恐れだってある。
 それに対して、規制委員会の議論を見ると全く緊張感がない。格納容器がずり落ちて穴が開いても建屋があって一気に放射性物質が拡散することはない。が、対策を立てておくべきだ。などという議論では済まない状況ではないか。
 それにしても日本の色々な規制機関はなぜこうも行政や企業寄りなのだろう。今朝の新聞によると女川原発差し止め訴訟は原告の敗訴だったが、地裁は原告側が事故の危険性を具体的に立証していないので差し止め請求の前提を欠いているとして、請求を棄却したという。この判決だって、原発の危険性や住民の安全に避難する権利といった問題を議論することを避けて裁判所が企業寄りの判決を出したと思わざるを得ない。
 こと原発関連の問題に限って言えば、多くの日本人は未だに原発の安全神話の呪縛から解放されていないようだ。

【ウネリウネラから一言】

 きのう言い渡された女川原発再稼働差し止め訴訟の判決は衝撃的でした。

 宮城県石巻市の住民17人が東北電力に女川原発2号機(宮城県女川町、石巻市)の再稼働差し止めを求めた訴訟で、仙台地裁は24日、「重大事故が発生する具体的危険の立証がない」として住民側の請求を棄却した。東北電が2024年2月に予定する再稼働に向け一歩前進する。住民側は控訴する方針。政府が了承した原発の避難計画に焦点を絞った全国初の訴訟で、司法が計画の実効性をどこまで踏み込んで判断するか注目されていた。斉藤充洋裁判長は「原発の差し止め請求でも、住民側に(重大事故が起きる)具体的危険を立証する責任がある」と指摘。その上で「立証がなく、危険を認める証拠はない。事故発生の危険は抽象的」として差し止めの必要性を否定した。

5月24日付河北新報

 判決は「重大事故が起きない」と言っているようなものではないでしょうか。これではまさしく「原発安全神話」に裏打ちされた判決、ということになってしまいます。

 昨夏には福島原発事故について「国の法的責任はない」とする最高裁判決が言い渡されました。司法を含めた世の中のチェック機能が正常に動いているかが心配です。

みなさんの意見を募集します

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