毎年、畑の作業が出遅れる。
そのせいで、秋か冬のはじめまで夏野菜を食べ続けている。
それも悪くはないけれど、いつも秋には「来年こそは早くスタートするぞ」と意気込む。
今年は特に春が早くて、知り合いの農家さんも焦っているほどだったのに、なんと今年が一番遅い畑始めとなってしまった。ウネリの骨折やら、仕事のことやら、理由はたくさんあるけれど、先月末からなんとかかんとか、畑に入り始めた。
昨日、ウネリがたくさん種を買ってきたので、今朝から早速苗づくりをはじめた。
小6になる上の子はミニバスケの遠征。まんなかの子は気がのらないのか、不参加。
よって、今年小学校に入ったばかりの下の子と、ウネリ、ウネラで小さな種をポットにいっぱい蒔いた。
小さい子の小さな指は、細かい種をつまむのが上手で、種蒔きはあっという間に進んだ。
これからは毎日、芽が出るのが待ち遠しい。
昼前からは真ん中の子と下の子とウネリで、畑に出かけていった。直播きする野菜を植えてくるのだろう。畑の先輩たちから野菜をいただいて来られればラッキー、とひそかに期待しながらこれを書いている。
「種は蒔いた」仕事でウネリが良く使う言葉だ。
本当にそうだと思う。ウネリウネラの物書き活動は、種を蒔くことがすべてだ。蒔く種の数も限られているから、収量はほとんど目に見えている。ただ、私たちの手がまわらない作業を誰かが手伝ってくれたら、たとえばもっとこまめに肥料を施したり、風や日差しが強い日は覆いをかぶせてくれたりしたら、少しは収穫が増えるかもしれない。増えた分の収穫は、手伝ってくれた人や、全然関係のない誰か困っている人に分けることができたらいい。
そうなったら、夢みたいだ。
本棚から、小さくて薄い本を3つ引っ張り出してきた。
手にした順番通りに並べると、こうだ。
1つめの水野スウ「わたしとあなたのけんぽうBOOK」は、上の子がこども園に通っているときに手にした。子育てさえじゅうぶんにできず記憶もあいまいだが、何かとてつもない危機感のなかで読み進めた感覚をおぼえている。スウさんが「紅茶の時間」をはじめたのは1983年、私の生まれた年だ。私もいつかそんな場をもてたら良いとひそかに考えては、ぐちゃぐちゃな部屋を見渡して途方に暮れていたように思う。
2つめの童話屋から出ている「日本国憲法」は、ウネリの父母から、孫である私たちの子どもたちへプレゼントされたものだ。漢字にはすべてルビがふってある。上の子は時々気まぐれに読んでいるみたいだ。憲法について何か調べものがある時は私もこれを参照している。
そして3つめの文部省「あたらしい憲法のはなし」は、ウネリがつい先日、楢葉町の宝鏡寺「伝言館」を訪れた際、買ってきたものだ。私たちはこの薄い冊子を目にし、驚きを隠せなかった。
日本国憲法の施行から3カ月後の1947年8月に当時の文部省が発行し、全国の中学生が1年生の教科書として学んだ内容だという。だが教科書が使われたのはわずか2、3年。1950年の朝鮮戦争を発端とする時代の流れのなかで、教室から姿を消した。
その後この冊子は1972年11月、日本平和委員会の手によって発刊された。2017年4月時点で46版を重ねている。
私にはきょうこれ以上のことを語れる力もないし、これから昼食の準備にとりかかる。
ここに小さな小さな種を蒔いていくことしかできないことを、許してほしい。
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