【連載】時間を超えて #プロローグ

報道

福島県相馬市の高校生が震災後に発表した演劇の記録映像上映を通じ、震災・原発事故と社会について市民たちと対話する会を開き続ける高校教師がいる。
彼に招かれて数回会に参加した私は、演劇を通じて交わされる対話の内容に深い感銘を受けた。そして、震災から12年経った今も続くこの上映と対話の会の意義を知り、記録に残したいと思い、取材をはじめることにした。
今回は連載のプロローグとして、会の柱となっている高校生たちの演劇について紹介する。
(ウネラ=牧内麻衣)

※隔週土曜に連載します

「上映と対話の会」との出会い

今年1月3日午前8時過ぎ、前述の高校教師から一通のメールが届いた。

来月に「今(仮)」最終公演から十年の総括をしたいと思います。今回は福島公演の初出です。(中略)現在から日本時間の3日23時まで限定公開します。
視聴リンク
2月の詳細は追って連絡します。来週は京都公演を初出する予定です。
ワタノベ

メールを開いた時点で、動画の限定公開終了時刻まであと15時間を切っていた(その理由は後に知ることとなる)。あわてて視聴リンクを開き、私はその高校生たちによる演劇と出会った。

2012年、高校生たちの叫び

「誰かお願いです! 私たちの話を聞いてください!! 子どもの訴えを無視しないでください!今ある現状を忘れないでください!」「死ぬほど苦しんでいる人がいることを忘れないでください!」

この作品をはじめて目にした私は、彼女たちが発する言葉のひとつひとつに胸をえぐられるとともに、この劇が発災から間もない時期に発表されていたということに、息を呑んだ。

タイトルは「今 伝えたいこと(仮)」(以下「今(仮)」)。福島第一原発から約45キロに立地する福島県立相馬高校放送局の生徒たちが手がけた作品だ。東日本大震災と原発事故の発災翌年の2012年3月の東京公演を皮切りに、全国7カ所で計9回上演された。

2012年ごろといえば、日本中に「絆」という言葉があふれかえり前を向くことが強調され、あらゆることが「復興」の名のもと加速度的に束ねられようとしていた頃だ。

そのさなか、被災地の高校生たちが自ら舞台に立ち、「復興」とは程遠い地元の実態や容赦なく向けられる誹謗中傷、地域内での分断といった複雑な問題を、約40分の劇中にめいっぱい詰め込んでいた。
被災地の若者たちが意図せず背負わされた未来への不安と絶望、そうした思いを黙殺しようとする社会へのむき出しの憤りを、彼女たちは全身で叫んでいた。

「今 伝えたいこと(仮)」

放課後の教室。3人の女子高生がマジカルバナナ(連想ゲーム)をしてはしゃいでいる場面から、劇はスタートする。だが他愛もないゲームは2つのワードによってやや不穏さを帯びてくる。

「『海』と言ったら『津波』」「『津波』と言ったら『地震』」……

第一幕で3人が交わす会話には、2012年時点の被災地の様相が克明に刻まれている。列車復旧や道路整備の遅れ、避難や孤立、放射能汚染や風評被害など未解決の問題が、日常会話として次々に立ち上がる。

「いっつも思ってるんだけど、復興復興言ってるけど、相馬とかその周りとかも全然復興なんてしてなくない?」
「正直、今の福島に来ようなんて考えてる人はいないと思うよ。特に原発に近いこの浜の方面にはね」
「放射能の海に浸かれってか?」

交わされる言葉の重みとは裏腹に、3人の雰囲気は全体として明るく、演出もコミカルだ。どこにでもある、誰もが経験したことのあるような「ある日の放課後」として、劇は進んでいく。

だが、第二幕で事態は一転する。ある重大な事件をきっかけに、一幕では何でも話し合えているような仲に見えていた3人が、口に出せない事情や深刻な葛藤を抱えていたこと、お互いのことを何も知り得ていなかったことが浮き彫りになる。震災による家庭環境の変化、放射能をめぐる深刻な差別、将来にわたる影響への不安、被災地内部で起こった物理的、精神的な分断――。それらに3人それぞれが深刻に巻き込まれ、友人にも言えない傷を負っていたことが明らかになるのだ。

「私は今まで原発周辺の地域は原発のおかげで潤ってきたと思うのね。リスクと引き換えにね。でもそれって、私たちの世代が決めたことじゃないよね?」

普段元気そうに振舞っていた彼女たちの内にある、逃れられない苦しみが、一気に言語化され、冒頭の叫びにつながる。

「誰かお願いです! 私たちの話を聞いてください!!」

観客席の緊張感が高まるのが、記録映像からもひしひしと伝わってくる。

否応なしに突き付けられた問いへの答えを見いだせないまま、観客は第三幕に連れ込まれる。

「どうして分かってくれないだろう?(中略)福島は大変です。放射能に汚染されて、福島に住んでいない人たちには白い目で見られて、私が悪いの? なんでここまで傷つかなくちゃならないの? なんでけなすの? 私はただ聞いてほしいだけなのに」

そして劇はもう還らない、ひとりの登場人物の言葉で幕を閉じる。

「『望美(のぞみ)』は欠けたまま。ずっと。ずっと。ずーっと」
「ねぇ、ねぇ。誰か私たちを助けてよ」

終演後も続く「今(仮)」

全国各地で大きな反響を受けた「今(仮)」の終演後も、相馬高校放送局は大人の意図に拠らない作品を制作し続け、被災地の高校生の等身大の声を発信した。

それらの作品の記録映像を現在に至るまで各地で上映しているのが、当時相馬高校放送局の顧問を務めていた高校教師の渡部(ワタノベ)義弘(以下ワタノベさんと表記)さんだ。記事冒頭でも述べた通り、渡部さんは、彼女たちのつくった演劇の記録映像を上映するのみならず、それを見た人々が互いに語り合う会を継続的に開いている。

私が参加した会のなかでワタノベさんは「彼女たちをジャンヌダルクにしてはいけない」と語った。大人たちと社会への憤りを高校生たちが舞台で表現することは、相当な負担だっただろう。本人たちもバッシングも覚悟の上、舞台に上がっていたようだ。実際、上演のさなかには不本意な情報拡散や心ないクレームもあったという。

そうしたことから彼女たちを守るのは大人として最低限の節度であり、彼女たちにこのような表現を強いてしまうような社会を築いてきた大人たちの責任は重い、とワタノベさんは話す。こうした背景があり、以前は作品保護の観点から、対面の上映と対話を原則としていた。コロナの感染拡大により、オンラインによる会に変更した後も、対話の会に先立つ記録映像の上映は、短時間の限定公開としている。

高校生だった彼女たちに声をあげさせたことがいかに酷なことであったか、そんなことを背負わせてしまった大人たちはこれから何をすべきなのか。

会に参加してそう痛感した私は今回、震災当時高校生だった彼女たちに直接取材して記憶の追体験を迫るのではなく、「大人」として彼女たちと歩んだワタノベさんに話を聞きたいと思った。

彼はなぜ上映と対話の会を開こうと考えたのか。そこでは一体どんな対話が交わされているのか。震災後12年経ったいまも続くその会は、どのような意義を持つのか……。

ワタノベさんに、じっくりと話を聞く。

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