先生の残業代裁判、高裁判決は「控訴棄却」

報道

 きのう紹介した学校の先生、「田中まさおさん(仮名)」の裁判の控訴審判決(東京高裁)が、25日に言い渡されました。一審(さいたま地裁)に続き、田中さんの訴えを退ける結果でした。田中さんは最高裁に上告する決意を固めています。

 高裁判決の中身は一審とほぼ同じで、内容をところどころ修正したにすぎません。ですが、それでもやはり見過ごせない部分があると思ったので、ここで紹介します。


給特法

 まずは、公立学校の教員の給与制度について知っておく必要があります。「給特法」という特殊な法律があり、以下のルールを定めています。

①教員には、残業の長さに応じた『残業代』を支払わない。その代わり、給料の4%にあたる『教職調 整額』を固定で支払う。
②『残業代』がない代わりに、教員には、特別な『4項目』以外の残業を命じることはできない。
 (4項目=実習・学校行事・職員会議・非常災害)

 田中まさおさんは裁判で、長時間の残業が当り前になっている現状を指摘し、「『4項目』に該当しない残業をやらされている。このぶんの残業代はきちんと支払われるべきだ」と主張しました。(ほかにも主張はありますが、とりあえずはこれに留めます)

さいたま地裁判決 

 控訴審(東京高裁)の判決文は14ページです。昨年10月のさいたま地裁判決(80ページ超)を踏襲していますので、まずはさいたま地裁判決の中身を紹介します。

「教員の業務は自発的な判断で行うので、一般の労働者と同じような労働時間管理はなじまない。『教職調整額』は『4項目』以外の業務も含めたすべての残業(時間外勤務)に対する手当として支給されている」

 こうして、さいたま地裁は田中さんの訴えを退けたわけですが、一方でこんな指摘を付け加えたことも書いておきます。

「教員の労働時間が長くなっている現状を考えると、給特法はもはや、教育現場の実情に合わなくなっているのではないか」

東京高裁判決

 さて、ここからが本題です。

 先ほども言った通り、高裁判決は地裁とほぼ同じです。ただし、ところどころ修正を加えています。どこをどう変えたかをチェックすると、高裁の裁判官が何を強調したいのかが少し分かるような気がします。

教員の職務は、一般労働者とは異なり、児童・生徒への教育的見地から、教員の自律的な判断による自主的、自発的で、創造性のある業務への取り組みが期待されるという職務の特殊性があるほか、夏休みなどの長期の学校休業期間があり、その間は、主要業務である授業にはほとんど従事することがないという勤務形態の特殊性こと、同じ勤務時間帯の中でも、授業時間は勤務の密度が非常に高いが、これに比べると、それ以外の時間の勤務の密度は高くないことなどの勤務態様の特殊性があることから、これらの職務の特質上、一般労働者と同じような実労働時間を基準とした厳密な労働管理にはなじまないものである。たとえば、授業の準備や教材研究、児童および保護者への対応などについては個々の教員が、教育的見地や学級運営の観点から、これらの業務を行うか否か、行うものとした場合、どのような内容をもって、どの程度の準備をして、どの程度の時間をかけてこれらの業務を行うかをと密度で行うのかを、個々の教員が自らの知識や経験などを踏まえ、教育上の創造性も発揮しながら、自主的かつ自律的に判断して遂行することが求められている。

 どうでしょう。まず気になるのは、地裁判決が「自律的」「自主的」「自発的」と並べ立てたところに、さらに「創造性」という言葉を付け加えている点です。「教員の仕事は自由だ」ということを強調したいのかもしれません。もちろん本来はそうあるべきだと思います。しかし実際には、校長や教育委員会から降ってくる「やらされ仕事」も多いと聞きます。そこのところを、高裁の裁判官はどう考えているのでしょうか。

 つぎに、「授業以外の時間は、仕事の密度が高くない」と言い切ってしまっているところです。そう簡単に言い切れるのでしょうか? 保護者への対応など、授業以上に気をつかうことはないでしょうか? この指摘には疑問が残ります。

 後段の部分も気にかかります。

 あえて「個々の教員が自らの知識や経験を踏まえ、創造性も発揮しながら、(業務を遂行することが求められている)」と書き加えているのはなぜでしょうか? 「働きすぎに陥っているのは、その教員の知識不足、経験不足、創造性の不足が原因だ」と言いたいように思えてしまいます。

 そして、また「密度」という言葉が出てきます。「どの程度の時間と密度で行うのかを」。教員はだらだら働いている、という印象があるのでしょうか。

 地裁判決を修正した箇所はそんなに多くありません。紹介した部分も、判決の大勢には影響を与えない「微修正」なのかもしれません。だからこそ、なぜこういう微修正をしたのか。そこを考えると、裁判官が学校教員の働き方の実態から目を背けているような、教員へのリスペクトが足りないような、そんな気がしてくるのです。


田中まさおWEEK?

 以上、ウネリウネラなりに「田中まさお裁判」の判決を紹介しました。

 25日夜、NPO法人「CALL4」という団体が主催した判決後のオンラインイベントを視聴しました。

CALL4|社会課題の解決を目指す“公共訴訟”プラットフォーム

 そこで教育研究者の鈴木大裕さんが提案していた「田中まさおWEEK」というのが面白かったので、最後に紹介します。

ハワイの教職員組合では、一致団結して労働契約で決められた範囲の仕事しかしない、という取り組みをしました。朝8時半に行って午後3時に帰るとか。日本でも、全国の教員が勤務時間終了と同時に帰ればいいんじゃないかと思います。保護者や子どもたちには事前に話しておいて、まずは1週間、「田中まさおWEEK」として。または、法廷で「自主的にやっている」とされた業務を、全国の教員が一斉に、試験的にやめてみたらどうなるのか。たとえば、生徒のノートチェックや、困っている生徒の相談にのること、授業の準備などもそれに入るのだと思います。試してみたらいいと思います。なんらかのアクションを起こしてみてはどうか。

 本当にこういうことが起ったら映画みたいな話だな。でもこんなことがない限り教員の働き方は変わらないのかな。などと思いながら聞いていました。もし実現したら、保護者の一人として当然協力したいと思いますが……。

 

コメント

  1. 本田 宏 より:

     最近「戦後補償裁判 民間人たちの終わらない戦後」を読みました。本書は本来は三権分立で、立法や行政を監視する立場の司法が、民間人を守ってこなかった実態が暴かれています。
     私はこの問題のルーツを明治初期にフランス型憲法を導入する予定だった江藤新平が佐賀の乱で斬首され、伊藤博文が専制国家のプロシア型の憲法を導入したことにあると見ています。三権分立は名ばかりとなり、その体制が敗戦後の現在まで続いているのでます。
     福島県出身の私は、戊辰戦争の「勝者が書いた歴史」を検証することなしに、日本が抱えた様々な問題の解決は困難ではないかと考えています。

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