【イチエフ過労死事件】公正な判決を。遺族が約3000筆の署名を提出

報道

 福島第一原発における労働災害を根絶するために――。2017年にイチエフで過労死した猪狩忠昭さん(当時57)の遺族が東電らに損害賠償を求める裁判を続けている。高裁判決を1か月後に控えた4月19日、遺族たちは「公正な判決を」と呼びかけた約3000筆の署名を仙台高裁に提出した。署名は短期間に全国から集まったものだった。一審判決後明らかになった東電側主張の疑問点をどう判断するか。高裁判決に注目が集まる。(ウネリウネラ・牧内昇平)


仙台の街角で

「よろしくお願いします。どうぞ、読んでください!」

 JR仙台駅近くのハローワーク前。猪狩忠昭さんの妻が声をはりあげて裁判のチラシを配った。道行く人に深々と頭を下げてチラシを差し出す。その熱心さに心打たれたのか、たくさんの人が受け取っていく。初老の男性が「がんばってください」と声をかけた。若い学生が友達に、「おれも原発反対なんだよ」と話していた。

 裁判を支援する「福島第一原発 過労死責任を追及する会」の牧野悠氏がマイクを握った。

ご通行の皆さん、お騒がせしてすみません。2017年10月26日、福島第一原発構内の車両整備工場で働いていた猪狩忠昭さんが亡くなりました。全面マスク、防護服姿のまま倒れました。死因は「致死性不整脈」でした。「過労死ライン」をはるかに上回る残業時間でした。猪狩さんの死は誰の、どの会社の責任なのか。そのことを問う裁判が続いています。

 支援者たちがかかげる横断幕にはこう書いてあった。

福島第一原発
過労死を許さない!!
いわきオール・東京電力・宇徳は遺族に謝罪しろ!!

福島第一原発 過労死責任を追及する会

 猪狩忠昭さんが勤務していた「いわきオール」の名前は白いテープで部分的に覆われていた。昨年3月の福島地裁いわき支部判決は、いわきオールの安全配慮義務違反を認めた。会社側も判決を受け入れたため、同社への裁判は地裁段階で終わった。

 だから1社だけ社名にテープを貼っているのだが、完全には隠していないのがミソだ。猪狩さんの妻は言う。

「もちろん、いわきオールも許したわけではないぞ、ということです」


東電の責任を問う控訴審

 仙台高裁で遺族が闘っている相手は東電と宇徳だ。東電はイチエフの最終責任者であり、宇徳はイチエフ内での車両整備業務を東電から請け負い、いわきオールなど下請け業者を使ってその仕事をこなしていた。

 猪狩忠昭さんの死について東電と宇徳に責任があるか、が問われている。

 遺族が裁判で主張しているのは「イチエフ内の救急医療態勢を整えなかった責任」だ。イチエフという特殊な環境で働いていた猪狩さんには、急病時に万全の救急体制のもとでの治療を期待する権利があった。しかしその権利を侵害された、という。

 この主張を裁判所がどう受け止めるか。

 猪狩さんら整備士たちは東電や宇徳から携帯電話を貸与されていなかった。さらに車両整備工場には固定電話もなかった。そのためER(救急医療室)への連絡ができず、結果として猪狩さんの治療が遅れた。ここまでは原告・被告双方が認めている事実だ。東電側ですら「2~3分の遅れは生じた」と認めている。

 しかし、東電は「責任なし」と主張している。理由はこうだ。

急病者の発生という希有な事態の発生に備え、2,3分程度診療開始の時間を短縮するために約5000人もの作業員全員に通信機器を持たせる義務は、被告東電に過剰な負担を求めるものであり、被告東電がそのような義務を負っていると認める余地はない。

地裁判決文「被告東電の主張」から引用

 そして東電は「イチエフの作業員には私用の携帯電話の持ち込みを禁じていなかった」とも主張した。

 福島地裁いわき支部は昨年3月、この東電主張をなぞるような判決を言い渡した。


携帯電話持ち込みをめぐる齟齬

 しかし、控訴審がはじまった後の今年7月、看過できない新事実が判明する。「追及する会」の牧野悠氏が加わる全労協(全国労働組合連絡協議会)が、東電と「話し合い」(正式名称は「申し入れ」)を行った時のことだ。

 猪狩さんの裁判に関連して、牧野氏がイチエフでの携帯電話の扱いについて聞いた。回答したのは東電原子力・立地本部の担当者だ。

牧野氏 基本的に(救急医療室への)一報は電話ですよね。
東電側 まああの通常、人が走ってくるというのはまああんまり……(聞き取れず)、電話が多いです。
牧野氏 電話で。多分ご存じだとは思うんですけど、裁判にも今なっていて、猪狩さんが亡くなった時は携帯電話の持ち込みが禁止されていなかった。ただ、構内のほぼ全域が放射線管理区域になっていると思うんですけども、そういう中でも、やっぱり個人の携帯で電話するというような指導というか…
東電側 あの、グループに1個ずつ電話が付与されておりますので、そこでですね…
牧野氏 グループっていうのは、作業するグループ
東電側 作業主管のグループごとに携帯を持っていって、そこで必要に応じて連絡をいただくようにしております。従前はいわゆる携帯電話を我々持ってなかったので、個人さんが持ち込まないように、写真を撮られちゃうと(聞き取れず)…。今はもう個人の携帯電話の持ち込みは禁止しています。
牧野氏 猪狩さんが亡くなった時、2017年なんですけども携帯の持ち込みは禁止されてなかったが、グループに1台は携帯電話が…。
東電側 基本は、えーと、写真が撮れる携帯電話は持ち込みが禁止です
※遺族側が仙台高裁に提出した証拠(「全労協申し入れの記録」)から引用

 作業班の責任者に1個、携帯電話を持たせていた。しかし個人携帯の持ち込みは禁じていた――。東電担当者の説明は、地裁での主張と完全に食い違っていた。牧野氏が重ねて尋ねた。

牧野氏 あ、それは今ですよね。
東電側 えーと、震災の前からそうですし、震災後も基本はそうです。ただ、あの作業上でこういったものが必要ですという申請があったのかどうか、ちょっと私も知らないです…。携帯はあの写真機能がついた携帯電話は持ち込み禁止。いわゆるガラケーの写真のないやつというのはまた別かもしれません。
牧野氏 そうすると実際ほとんどの携帯は持ち込み禁止になっちゃいますよね……写真機能……昔からガラケーだって……。
東電側 ほかの発電所も…作業の中のいわゆる放射線管理区域は持ち込み禁止です。
※同上

 地裁判決は「携帯電話の持ち込みは禁じていなかった」という東電の主張を前提としていた。しかし、原子力・立地本部の責任者の回答が正しければ、この前提は崩れることになる。


東電に責任はあるのか?

 そもそも法廷の内外で見解が食い違うのは言語道断だ。企業の信頼性が問われる事態である。イチエフへの携帯電話持ち込みは禁じていたのか、いなかったのか。筆者は東電広報室に問い合わせている。回答を待ちたい。

 もちろん、当時携帯電話の持ち込みが禁じられていたとしても、すぐに「遺族勝訴」となる訳ではない。法律的には難しい問題がたくさん控えていることだろう。

 しかし、少なくとも言えることは”判決に「謎」が残るのはよくない”ということだ。遺族が求めているのは「勝訴」だけではないはずだ。裁判を通じて「真相」に至ること、なぜ猪狩忠昭さんが亡くなってしまったのかを明らかにすることが重要ではないだろうか。

 本来ならば、仙台高裁はもっと審理を尽くし、この点を解明すべきだった。せめて5月19日に言い渡す判決文は、この点を十分に考慮したものにしてほしい。

 遺族たちは4月1日から公正な判決を求める署名活動をはじめた。短い募集期間にもかかわらず、4月15日までに個人2769筆、団体254筆が集まった。控えめな活動にこれだけの署名が集まることは、原発内過労死への関心の高さを示している。

 猪狩忠昭さんの妻はこう話している。

「原発事故の収束のためには、そこで働く労働者の存在が不可欠です。国や東電には、福島第一原発で働く人の命と健康を守る義務があります。救急体制の不備など絶対にあってはなりません。原発労働者の命を守る判決を、仙台高裁にはお願いしたいと思います」

 


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