春の夜に②

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デモ開始間際、主催者からアナウンスがあった。

「今日は報道機関の取材も入っています。撮影されたくない方は、こちら側へご移動ください」

膝ががくがく震えた。向こう側に、腕章をしたカメラマンたちが、見える。

その中に、自分がかつてつけていた腕章をみつけた。

――「うちの社は取材に来てるんだな」

ぼんやりと思った後、ぷつと思考が途切れるような感じがした。

まもなく、悲しみや怒りや惨めさといった、複雑な負の感情が一気に押し寄せてきて、動悸が激しくなった。

自分は腕章をつけて向こうにいて、今日この日のことを書く立場にあったのではなかったか――。

私は新聞記者として取材をしていた時に、取材相手から性被害を受けた。

相手は、警察官だった。

「もしこの被害を、誰か別の人に起こっている事件として見聞きしたら、記者としての自分はどうするか」

何度も繰り返し考えては、そのたびに「書く努力をするだろう」と思った。

だが実際には、職場の上司に被害の事実を申告することにさえ数カ月を要し、何も公にはしてこなかった。

被害後も私はしばらく取材現場の中にいて、性犯罪にかかわる記事も書いた。そのたびに心が痛んだ。

外向きには、「広く知られるべき問題」として取材し記事を書く一方で、私自身に起こった性被害の事件は、いつまでも私の中に閉じ込めたままだ。   

自分の中に抱えている大きな矛盾に、耐えられなくなった。

心身のバランスを崩し、少し休んではまた戻るということを繰り返す中、私はその後、また別の取材先から被害を受けることになる。

日がすっかり暮れ、デモは静かに始まった。石畳のひんやりした感じが、足先から全身に伝っていった。ゲストスピーカーたちによる話が、リレーのように続いた。ひとつひとつの言葉が、丁寧に手渡されていくようだった。

集まった人たちはみな息を潜めるように、聞き入っていた。

どの人の話にも、大きく心を揺さぶられた。だからこそ、なんとかそこに立っていられるように、取り乱したりしないように、必死で平静を保っていた。

つらくてしゃがみこんでしまいそうになるたび、頭を上げて、向こう側に並ぶカメラに目を向けた。

被害に打ちのめされ、今現在は「記者」としては使い物にならなくなってしまっているけれど、堂々と(本当は震えながら)今ここに立って、死なないで生きてきた。

向こう側にはいられなくなったけれど、こちら側でなんとか浅い呼吸をして立っている自分も、じゅうぶんに尊い。

そう思うと、とたんに嗚咽がこみあげてきて、私はハンカチで顔を覆った。

(続く)

2件のコメント

  1. 男の私には想像もできないご自分の辛い体験を書くことに、どれだけの勇気が必要だったかと思います。
    そんなウネラさんがフラワーデモに行くときにお子さんが
    「いやなことって何。お母さん何されたの」
    「おれも行くよ。おれがお母さんにいやなことするなって言ってやる」
    と言った言葉に胸がいっぱいになりました。
    パートナーのウネリさんも辛い思いをした人に寄り添ってくださる人だと思います。
    ご家族を信じて、ご家族と一緒に歩まれることを願っています。

    1. 飯塚さん
      ありがとうございます。昨夜ウネリと一緒にコメントを読み、本当に励まされました。
      何かと戸惑いも多い新生活ですが、福島からもウネリウネラ発信していきたいと思います。

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