福島県内に昨年オープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」(伝承館)の「あるべき姿」を考えていきます。企画の狙いについては前の記事「企画のはじめに」をお読みください。
議論の材料として、館内の展示フロアに掲示されている「文章」をアップしてきました。以下のページにまとめていますので、ご覧ください。
昨日アップした「ウネリウネラの意見①」について、福島県内の高校教諭(国語科)、深瀬幸一さんから感想コメントをいただきましたので、紹介します。
<伝承館に名前がないということは、責任を負うべき当事者の不在であり、有り体に言えば隠蔽です。>という厳しいお言葉をいただきました。ぜひお読みください!
【深瀬幸一さんからいただいたコメント】
意図的に名前を入れてないんでしょうね。原発があるのは誰かが原発を作る決定を下しそれを実際に作ったからあるのであって、その辺の草のように自然に生えてきたのではない。原発が事故を起こしたことに関してはどうでしょう。あの時、原発をその時まで動かしてきた当事者たちは想定外だと言いましたが、原発の危険性を警告した人々は少なくなかった。しかし、その警告に聞く耳を持たなかった。それだけではなく、20年以上前にチェルノブイリでとんでもない事故が実際に起こっていたのに、福島の原発の事故を想定することが出来なかった。当事者はいかに想定外と言い募ろうがその責任を免れないでしょう。
原発事故の後の政府の対応はどうだったか。当時野党だった自民党が中心になり民主党政権を批判しました。もし自民党だったらどうだったか。民主党政権はこの未曾有の出来事に対して、失敗した政策判断もあったでしょう。成功したものもあったと思います。その政策について責任をとるのが政治家だと思う。
知事も政治家です。佐藤雄平知事も当時の福島県の知事として、自らの政治的決断について責任を取らなければならないと思います。少なくとも総括の必要がある。内堀副知事は、現在は政治家です。原発事故は今も進行中で、今もそれに関する政治決断に関して内堀知事は責任を負わなければならない。自分の言葉で語る必要がある。しかし彼は語りません。
伝承館に名前がないということは、責任を負うべき当事者の不在であり、有り体に言えば隠蔽です。
かつて小林秀雄は、歴史とは子を亡くした母親の悲しみだと言いました。母親にも子にも唯一の身体と名前があり、歴史とは本来そのようにかけがえのないものだということだと思います。
『プロメテウスの罠』というノンフィクションは現在どう評価されているのかわかりませんが、僕は最初の2冊を読んで、すごい仕事だと思いました。菅元首相の回想も読みました。評価は様々あるんでしょうが、当事者の回想として貴重だと思います。何を伝承するか。当事者がどう判断しどう行動して、その責任をどうとらえて、責任をとったか、あるいはとらなかったか。そのことも重要かなとウネリウネラさんの「意見①」を読んで思いました。
皆さまからのコメント、大募集中です!
深瀬さん、ありがとうございました。深瀬さんにはすでに、この企画の「みなさんの声①」にも登場してもらっています。再登場、感謝です。
引き続き、ご意見募集中です。短い投稿、ひと言コメントも歓迎です。もちろん、匿名・ペンネームでもOKです。以下のフォームよりご意見をお寄せください。必要事項を明記し、紺色の「送信」ボタンで投稿完了です。
※フォームでの送信がうまくいかない場合や長い論考などはuneriunera@gmail.comへお願いします。コメント欄などもお気軽にご活用ください。
ご意見、ご感想はこちらから↓
コメント