伝承館は何を伝承するのか~みなさんの声⑥

 福島県内に昨年オープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」(伝承館)の「あるべき姿」を考えていきます。企画の狙いについては前の記事「企画のはじめに」をお読みください。

 議論の材料として、館内の展示フロアに掲示されている「文章」をアップしてきました。以下のページにまとめていますので、ご覧ください。

→ 伝承館は何を伝承するのか(展示資料の記録一覧)

 ブログ読者の方からいただいたご意見、ご指摘を紹介しています。六回目は、福島県いわき市在住の「きつねいぬ」さんのコメントを紹介します。

 今回はとても建設的なご意見です。読ませてもらいながら、自分が前向きになってくるのを感じました。ぜひお読みください!


【「きつねいぬ」さんからいただいたコメント】

題名:東日本大震災・原子力災害伝承館を見学しての感想

1,原子力発電所の事故の「怪物性」が希薄だという点

 原発事故は「ラスボス感」に満ちていると、私はこの10年思い込んできました。
 少なくてもあの当時、天地がひっくり返るというかこちらの理性的な理解の範囲を大きく超えてしまったというか、とにかくとんでもない出来事が起こった衝撃を感じました。

 なにせ天変地異の究極としての大震災と、人為の究極としての原子力発電所の崩壊とが一度にやってきたのですから、これは戦争を除けばほぼほぼ「最強のラスボス」と言って差し支えないと思います。

 ところが伝承館の展示は、なんだか清々しいのです。

 決して、迫力ある映像が不足しているというのではありません。言いたいのはそれとは正反対のことです。軽やかに語られすぎていやしないか、という感じがするのです。

 本当はしっかり考えていなければならないのに、私たちが思考を怠っていたために、こんな結果を招いてしまったのではないか、という懼れが、この展示には希薄だったように感じてしまうのです。

 広辞苑第7版には「伝承」について

でん‐しょう【伝承】
①伝え聞くこと。人づてに聞くこと。
②伝え受けつぐこと。古くからあった「しきたり」(制度・信仰・習俗・口碑・伝説などの総体)を受け伝えてゆくこと。また、その伝えられた事柄。「民間―」

とあります。

 私たちがこの場所で「伝承」していくべき内容があるとしたら、②のなかにある「口碑(石に刻みつけるようにして言い伝えていくこと)」がふさわしいでしょう。

 だとするなら、この出来事の「ラスボス感」を、どこかで石に刻むように示しておきたい、個人的にはそう思うのです。それが十分には感じられなかったのが残念でした。

2,自分のテンポで立ち止まり、歴史を振り返って考える時間=空間が欲しい

 確かに、最初の動画のあとのスロープには、エネルギー開発の国家的政策の中で、炭鉱ができ、水力発電ができ、火力発電所ができ、そして原発ができ、他国でその事故が起き、東海村でも臨界事故が起き、そして2011年3月を迎えた、という年表の記録があります。原子力発電所が突然なんの脈絡もなく双葉郡にできあがったわけではないことは多くの人が知っています。

 だとすれば、この暫定レベル7の深刻な事故を目の前にして、この事故が起きるまで、私たちは何を考えてきたのか、何を考えずにきたのか。どんなプロセスを経て東京電力福島第一原子力発電所が作られ、どんな経緯を経てこの事故が起こったのか。そういうことについて急がずに思いを巡らす時間や空間がほしいのです。心に飲み込みきれないほどの大変なことが起こったのだとすれば、それにふさわしいテンポというものがあると思います。

 政治マターだから忖度してそれらの視点を展示から排除したのでしょうか。
科学者に聞いても、行政マンに聞いても、答えは得られないのかもしれません。

 しかし、今伝承に必要なのは、たった一つの正しい答えではないはずです。

 簡単に結論の出せるような種類の出来事ではありません。(人文社会系の研究者ではなくても)大人なら、誰だってそこに気づかないはずはありません。経済的な事情、政治的な事情、世界のエネルギー政策と原子力政策、原子力の「平和利用」の展開、そしてこの事故が起こってからの政策の方向性などなど、どれ一つとっても簡単に答えが出る性質の課題ではない。どう考えても、これから何十年もかけて、粘り強く瞳を凝らし続け、考え続けていくことが必要です。

 ですから(勘違いしてほしくないのですが)事故の責任の追及をこの伝承館でするべきだということが言いたいのでは決してありません。

「誰に責任があるのか」という問いはむしろ、予測不可能な災害に出会った途端、下手をすると思考停止に陥りかねません。

「結局、あいつが悪いに違いない!」

と帰責性を声高に語るか、そうでなければ逆に

「誰も責任が取れない。じゃあしょうがないな…………」

と虚無的な忘却を自ら選んでしまうという風に。

 これだけの大災害ですから、政治や法律、経済や文化など、広汎な検証や研究によってその原因や責任も明らかにしていくことは求められるでしょう。それはそれで大切だと思います。

 しかし、そう簡単に答えが出る性質の事柄でないことも確か。

 であるとするなら、伝承していくべき内容、石に刻むように語り続けていくべき内容とは、性急に何か結論めいたお話である必要はないはずです。大事なのは何十年かけて、この大災害のことを見つめ続ける瞳と考え続ける思考を支援するきっかけをそこに置いておいてもらうこと、なのではないでしょうか。そんな風に思います。

 展示の量や質にはもちろん限りがありましょう。あれもこれもと望むのはどうかとも思います。ですが、放射能の汚染に心を痛め、この大事故についてみんなで考えたいという思いを持ち続けてきた者のひとりとして、この事故がいかにして(なぜ、だけではなく)起こったのか、伝承館と共に考え続けていきたいのです。

3,「ねじれ」の不在が気になる

 私たちはこの原子力発電所の事故以降、深刻な分断を強いられてきましたし、今もその分断、散乱、その果ての沈黙の中にいる、という感じがあります。今回ウネリウネラさんのこの企画に投稿しようと考えてからも、一週間ほどずっと書きあぐねていました。

 分断なんて大げさな、と言われてしまうでしょうか。

 でも、実際に頼りになる先輩や、親しい友人との関係であっても、なかなか思ったことを思った通りに語ることはできないという体験をしてきました。これだけの大事故です。課題や軋轢、対立や葛藤、強いられた沈黙や慟哭、そういったものが存在しないはずがありません。

 自分自身の中になにか「/(すらっしゅ)」が刻まれた感覚、とでもいえばいいでしょうか。

 原発事故から2,3年の間は「安全か/危険か」「避難したか/とどまったか」「甲状腺検査の話をするか/しないか」といったある意味単純な二分法すら克服できず、立場の違う人と議論するどころか、それを話題にすることすら躊躇われるという状況がありました。

 そのうちに、いつのまにか日常に復帰していき、そんな「/」は時折心の中をよぎる程度になっていきます。しかし、折りに触れて、その「/」は心の表面に浮かんできては、どうするの?どうすればいいの?と問いかけてきます。その思いに簡単な解決などないのかもしれません。ただ、それを忘れたふりをして生活をしていると、いつのまにかきもちに「ねじれ」が起こってきます。

 避難した人も、しないひとも、強制避難した人も自主避難した人も、それぞれがそれぞれに屈折した思いを抱えながら震災後を生きてきたはずです。

 一例を挙げると、自主避難をされた方々と、強制避難をされた方々とは同じ避難の大変さに直面する一方、違った意味の困難さを抱えてきた、というお話も伺いました。そして今度は、帰還を進める自治体や国の政策によって、避難指示をされた方々が今度は「自主的に帰還せず避難を続ける」というカテゴリーにスライドしていくことになりかねないという問題も起きていると聞きます。

 大熊町に住んでいた神職の友人は、帰還の見通しが立っていません。その中で土地に根ざした神社がどのようにしてあり得るのか、という課題を親子で背負ってるんだ、と語ってくれました。

 人の数だけ物語があり、困難がある、という一般的なお話がしたいわけではありません。具体的にその困難を生きていくより他にない人生が、この大災害によってもたらされ続けているということ、土地や自然、信仰や仕事と自分が引き裂かれている中で思考しつつ生の営みを続けている方々がいるということ、そのリアルにアクセスすることはできないものでしょうか。

 そんなことを考えさせられます。

 そこで、一つ提案したいことがあります。

 私たちがこの10年の中で体験してきた無数の事柄と無数の思いを、アーカイブにして多面的に後代へと伝えていく、そういうライブラリー的な役割を担うことはできないでしょうか。

 アレクシエービッチの『チェルノブイリの祈り』のようなことを望んでいるわけではありません。でも、たとえば図書館のように、たとえば劇場のように、たとえばスタジオのように、様々な人の声や記録を、アーカイブしていくこと、発信していくハブになること、そういう可能性は十分にある、と思います。

 またたとえば、原発事故を題材としたドキュメンタリー作品を100年アーカイブに残し、継続的に上映していく、というようなことも考えられるでしょう。

 上映や上演なら、その表現の全てに伝承館が責任を負う必要もないはずです。公序良俗に反しない限り、さまざまな声の複数性を担保していくことができる施設運営というのは、不可能ではないように思うのです。

 勝手な理想をいえば、そういうライブラリー&シアターとして機能していってくれたなら、そんな風に思います。

4,これからの活動に期待しています

 先日、あの「原子力 明るい未来のエネルギー」という看板が、施設内に展示されることになったと聞き、大変うれしく思いました。

 あそこにはかつて私たちが原子力エネルギーに明るい未来を感じた歴史が刻まれています。その「明るい未来」が原発事故によって決定的に失われた。しかし私たちはまたそこから立ち上がって復興を目指して歩いて行かねばならない。そのときに、この看板は、私たちが抱えている「ねじれ」をとてもよく表してくれている、いわば逆説的な意義を持った貴重な展示物になると思います。

 できれば、エントランスのところに、掲げてほしいと思いますが、ちょっと過激な意見でしょうか。そうかもしれません。バルコニーでもいいのかもしれません。

 まだ伝承館は開館したばかりです。どんな施設に育ってほしいのか、さえよく分かってはいません。ないものねだりをしているようでもあり、こんな書きぶりをしてしまうと、中で頑張っているスタッフの方に対して申し訳ないような気持ちにもなります。

 ごめんなさい。でも、とても期待しています。「私たちの伝承館」としてどんどん充実していってほしいと願っています。

5,最後に、ウネリウネラさんのこの試みに感謝します 

 まとまりなく書いてきましたが、言いたいことの基本線は、伝承館だけが何かを背負って完結する場ではない、ということです。

 人がこの大災害と改めて出会って、さまざまな「きっかけ」を得て、改めて政治的なことも経済的なことも文化的なことも自然史的なこともここに住んできた人たちの人生のことも、感情的なねじれのことも、言葉にならない泡(あぶく)のような切なさや悲しみも、改めて考え続けていくことを支援してもらえるような、そんな場所になってほしいのです。

 そういう意味で、このウネリウネラさんのお仕事は、とても貴重だと思います。

 いくつもまだ言いたいことが湧いて出てきそうな気もしますが、今はここまでにして送ります。まとまらなくて済みません。

きつねいぬ(いわき市在住)


【ウネリウネラから一言】

 思いのこもった文章をいただきました。こちらこそ感謝します。ライブラリー&シアター構想、いいですね!  

 <無数の事柄と無数の思いを多面的に伝えていく>

 <その表現の全てに伝承館が責任を負う必要はない>

 <さまざまな声の複数性を担保していくことができる施設運営>

 とても有意義なご指摘だと思いました。

 ともすれば、オープンした既存の「ハコ」の中で「どういう展示にすべきか」と考えてしまいますが、敷地内に図書館や劇場、映画館などを併設することも可能ですよね。広い土地があるのですから、原子力広報塔だけでなく、問題になっている「汚染水」の保管タンクなども本来は展示できるのではないでしょうか。

↑伝承館の隣には広大な敷地が広がっています

 どのようにすれば、「石に刻みつけるようにして言い伝えていく」ことができるのか。今後も考えていかねばならないと思います。

 <伝承館にとても期待しています>という言葉も印象深く受け止めました。悪口ばかりではダメですね。自戒をこめて……。

 きつねいぬさん、ありがとうございました!


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 これまで6人の方のコメントを紹介させていただきました。

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※各エリアの展示文章はこちらの一覧にまとめています。→「伝承館は何を伝承するのか」

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