福島県内に昨年オープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」(伝承館)の「あるべき姿」を考えていきます。企画の狙いについては前の記事「企画のはじめに」をお読みください。

 議論の材料として、館内の展示フロアに掲示されている「文章」をアップしてきました。以下のページにまとめていますので、ご覧ください。

→ 伝承館は何を伝承するのか(展示資料の記録一覧)

 ブログ読者の方からいただいたご意見、ご指摘を紹介しています。五回目は、福島県双葉町出身の元新聞記者、小林茂さんのコメントを紹介します。

 小林さんは主に、第一原発が建った双葉郡が歴史的に見れば地震津波被害のある地域だったこと、その歴史を共有せずに原発建設が進められてしまったこと、などの説明が伝承館の展示から抜け落ちていることを指摘してくれています。

 重厚な内容です。ぜひお読みください!


【小林茂さんからいただいたコメント】

題名: 伝承館は何を伝承すべきか 

 〈ピンチをチャンスに!〉という手垢のついたコピーを平気で用いる展示ストーリーに、多くを期待はしていませんでしたが、批判も批評もみてみないことには始まらない、というわけで、10月16日を手始めに3回足を運びました。

 展示構成が上っ面で、国・県・東電さらにいえば、これら専門家に起因する初動の失敗の数々(人災と言ってもいいと思います)に対する掘り下げが足りず、食い足りない・・・。目下のところの印象はこうです。

「みなさんの声」に寄せられた3人の方の感想を読みました。

 SPEEDI(放射能拡散予測システム)を避難支援に役立てることができなかった福島県の不作為(主務官庁の文科省が臨機応変の運用をできなかった責任もまた大きいと思います)の総括(誰にも傷を負わせないような開き直りは総括ともいえませんが)は済んでいません。

 「本当にそうですか?」と題した、がすこさんのコメントから、原発稼働前に双葉中学校体育館で東電が行ったいいことづくめの説明会に、子供心にいだいた経済優先・利害優先のおとな社会への胡散臭さをあらためて思い出しました。

 地域が諸手を挙げて原発を望んだわけではない、と今でも思っています。原発に依らない貧しいけれども豊かな暮らし、という選択肢があったにもかかわらず、県が音頭を取り地域の声の大きな勢力と糾合して土地買収の便宜を図り、〈何だか知らないが明るい未来が来るらしい〉という住民の無知とお人好しにつけこんだ末の原発立地だった事実は、伝承館のなかでは語られていません。

 原発災害時の司令塔となるオフサイト・センター(大熊町)のお膝元であったのに、状況把握や避難支援の手が届かず長距離搬送の途中に多くの人が亡くなった双葉病院への言及もまた、伝承館ではありません。日常的に地域の要援護者を把握し、救護・支援策を立案して災害時に備えるという当たり前のことが行われなかった。だれがどのようにその役割を担うべきなのか、大きな教訓を残したにも関わらず、です。

 原発の過酷事故につながる電源喪失を招いた、とされる津波のことが気になっていて、あれこれ調べています。高校卒業まで双葉町で過ごした私自身、この土地が津波に襲われるという認識はなく、原発が大津波に襲われる映像に接して、ありうべき災害への想像力が働いていなかったことを恥じました。

 双葉町と津波・・・。身内や双葉町の人たちに尋ねても私と同じように津波のことは念頭になかったようです。

 では、なぜそのような思い込みに至ったのでしょうか?調べてみると、いつの時代なのかは判然としないが、津波被害を受けて集落が移転を強いられた双葉町〈細谷千軒〉(原発敷地及び近接地に「細谷」の地名あり)という言い伝えがあり、大熊町にも似たような伝承があることがわかりました。

 また、伝承館を含む復興祈念公園予定地については「古来より、平安時代の貞観地震他複数の地震や津波に見舞われてきた」(国交省「福島県における復興祈念公園基本構想参考資料」)と題し、細谷千軒伝説や、2008年に浪江町請戸地区の調査で見つかった貞観地震津波堆積物を紹介しています。

 〈(予定地周辺は)複数の地震や津波に見舞われてきた〉にもかかわらず、後世のわれわれは、なぜ“津波てんでんこ”のような形で継承・共有できなかったのだろうか?

 私が、津波にこだわる理由は、災害現場に立つことが多く、思い込みの危うさをよく知っていたはずにもかかわらず、双葉町と津波を結びつけることをしてこなかったことがあります。仮に、地震津波の常襲地帯という理解・認識が広く一般にあれば、いち早く津波から避難するという自らの安全確保だけでなく、この地に進出した原発の耐震・水密性に注意が向かったかもしれない、と思うからです。

 一方、原発を進めたい側は、たとえば次のような希望的観測で、安全をことさらに強調してきました。

 「福島県周辺においては烈震以上のものは約400年に一度くらいの割合でしか起こっておらず (中略)とりわけ当敷地付近においては、特に顕著な被害を受けたという記録は見当たらない」と「原子力発電所と地域社会・地域調査専門委員会報告書(各論)」(原子力産業協会1970年)は原発建設の適地であったことを強調しています。

 しかし、〈400年に一度の割合でしか起きない〉は裏を返せば、400年周期で起こりうると訳すことができ、いつを起点に400年なのか、という問題とともに、原発関連業界は周期的に自然災害に見舞われる事実を認識していた、ということができるように思います。

回りくどくなりましたが、そのような場所に原発が造られたのだ、ということを、原発を強力に誘致した当事者でもある福島県にとって不都合であろうと、伝承館のなかで明らかにし、二度と同じ轍を踏まないために掘り起こし伝えていく必要があると思います。

追記)

 双葉町の中心地にあった「原子力明るい未来のエネルギー」PR看板が伝承館に現物展示されることになった――と1月5日の福島民報が伝えました。資料選定委員会のなかでも、原発に地域振興の期待をかけ、原発とともに歩んできた地域の歴史を象徴する、〈なくてはならない〉と設置を強く求める声が出ていたことを思えば、ようやく一歩踏み出したように思いますが、まだまだ不十分です。


【ウネリウネラから一言】

 小林さんは読売新聞の記者でした。記者時代に各地の自然災害を取材していたそうです。それなのに、(実は地元には言い伝えがあったにもかかわらず)出身地である双葉郡が津波に襲われるという認識がなかった。ありうべき災害への想像力を働かせていなかったことを恥じた、と書いてくれています。

 とても実感のこもった文章で、印象深く受け止めさせていただきました。

 双葉病院についても指摘してくれています。少なくとも40人以上の方が避難途中などで命を落とした現場です。一人でも多くの命を救うために何をすべきだったのか、この件に関してきちんとした言及がないこと自体が衝撃です。

 小林さん、ありがとうございました!


皆さまからのコメント、大募集中です!

 これまで5人の方のコメントを紹介させていただきました。厳しいご意見が多かったように思いますし、ウネリウネラもそれに同調するコメントをつけてしまいましたが、なにもご批判だけを募集しているわけではありません。

 「こういうところがよかった」とか、「ここが勉強になった」というコメントも大歓迎です!

 多くの方からご意見をいただき、議論を深めたいと思います。短い投稿、ひと言コメントも歓迎です。もちろん、匿名・ペンネームでもOKです。掲載中の投稿を読んでの感想なども、ぜひお寄せください。投稿、お待ちしています。

 以下のフォームよりご意見をお寄せください。必要事項を明記し、紺色の「送信」ボタンで投稿完了です。

※各エリアの展示文章はこちらの一覧にまとめています。→「伝承館は何を伝承するのか」

※フォームでの送信がうまくいかない場合や長い論考などはuneriunera@gmail.comへお願いします。コメント欄などもお気軽にご活用ください。

↓投稿はこちらから

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