哲学者の森岡正博さんへのインタビュー記事が、ネットメディア「BUSINESS INSIDER」に掲載されました。反出生主義について、とても分かりやすく話してくれています。ぜひお読みください。

私たちは「生まれてこないほうが良かったのか?」哲学者・森岡正博氏が「反出生主義」を新著で扱う理由

 記事の分量などの関係でカットしたところがあります。カットしましたが、ここも大事だと思うので、本ブログで紹介します。反出生主義の「歴史」についてです。

 森岡さんは、「反出生主義という言葉が日本で広く使われ始めたのは21世紀に入ってからだ」と答えました。それに対して私は、「言葉が生まれたのは最近のことだとして、考え方としてはどのくらい古いものなのか」を聞きました。


ウネリ 反出生主義の考え方自体はどのくらい過去にさかのぼれるのでしょうか。

森岡  オリジナルは二つあって、一つは古代ギリシア、もう一つは古代インドです。古代ギリシアの反出生主義は、「生まれてこないのが一番よかった」ということと、「二番目によいのはなるべく早くあの世に戻ることだ」という形で表現されています。テオグニスなどいろいろな詩人がうたっていて、「死産の子どもはよかった」というような話もあります。一方、古代インドで一番これがはっきりと表れているのは原始仏教です。彼らは、自分が死んだ後にどの世界にも生まれないことを願って修行しました。生まれないことを願うのですから、反出生主義だと考えられます。出家するときは家族を捨て、性的なかかわりを持たないので子どもを作りません。出家は「子どもを産まない」という意味での反出生主義でもあります。古代ギリシアやブッダの時代からあったのですから、反出生主義の思想そのものは最近のものでは全然なくて、人類がずっと持ち続けてきた思想だと言えます。


 

 「反出生」という考え方は珍奇なものでは全くなく、むしろ人類が古くから温めてきたものだということが確認できます。この確認は大切だと思います。誰もが多かれ少なかれ、「反出生」の芽を心の中に宿し、生きているのではないでしょうか。「反出生か、非・反出生か」ではないと思います

 だから、「反出生主義に陥る」などの表現も間違っているでしょう。

 「誕生を否定して死ぬ人生と、誕生を肯定して死ぬ人生との間に価値の上下はない」

 インタビュー記事でも紹介した森岡さんの言葉をかみしめたいと思います。

 では森岡さんは何を目指しているのかというと、インタビューでは「反出生主義を抱えながらもそこから脱出するにはどうしたらいいかを考える」と話していました。

 「人生に価値の上下はない」こと。「反出生主義の考え方を持ち続けて死ぬのも首尾一貫した生き方である」こと。それらを前提とした上で、森岡さん自身は「人生を絶望で終わりたくないという願望が強くある」そうです。

 「そう考えなければならない」という話ではありませんが、同じように考える人も多くいると思います。森岡さんがこれからどういった思索を展開していくのか。注目したいと思います。


 

 一方、私(ウネリ)自身が何をしたいのかと言うと、

 「反出生主義が広がる現代的側面について考え、取材したい」と思っています。

 反出生主義の「芯」の部分にあるのは、先ほど書いたように「人類が古くから温めてきたもの」です。極論を言えば死を宿命づけられている以上、この「反出生の芽」はなくならないし、なくす必要もないと思います。

 ただ、この「芯」のまわりには、貧困などの「外的要因」があります。家庭や生い立ちの問題もここに含まれるでしょう。これらの外的要因によって「生まれてこなければよかった」という思いに至っている人も、けっこう多いのではないでしょうか。

 外的要因は「生きづらさ」と言い換えてもいいと思います。いまの日本社会で反出生主義に共感する人が増えているとしたら、それは「生きづらさのうねり」の一現象ではないかと私は考えます。そして、この生きづらさを減らすために、社会は全力を尽くさなければいけないと思っています。

 しかし、さらに考えるべきことがあります。

 それは、前述の外的要因(=生きづらさ)以外にも、反出生主義が広がる要因はあるかもしれないということです。うまく言えないのですが、先ほどの「芯」の部分を実際よりも大きく見せるなんらかの「装置」が現代社会にあるような気がしています。森岡さんとはインタビュー時にこんな会話をしました。

ウネリ 反出生主義に共鳴する人に直接話を聞いて思うのは、子ども時代の家庭環境、生育環境が苦しかったと言う人が多いことです。

森岡  そうですね。ただ、考えなければならないのは、貧困でもなく、差別も受けず、家庭環境も円満なのに、反出生主義の考え方をもつ人はいるということです。もし魔法のようなものでその人が抱える外的要因が全部解決したとする。そうしたら「生まれてこなければよかった」とか、「子どもを産まない」とか思わなくなるのかといえば、そうではない。この点は多くの人の直観に反することかもしれません。

ウネリ 確かに、さしあたり自分の人生に不満はなくても、「反出生主義」に共感する人がいますね。取材時の驚きの一つでした。条件付きの「こんな人生なら生まれてこなければよかった」ではなくて、本質的に「生きる価値」について疑いの目を向ける人がいる、ということですか。

森岡  そういうことです。実はこの問いに、多くの人がなんとなく気づいているんじゃないのか、という気がしています。これは実は多くの人が抱えている、「真正の哲学的問題」である可能性があります。

 森岡さんは「真正の哲学的問題」と話してくれましたが、私はなんらかの現代的な要素もあるのではと考えています。その現代的側面に焦点を絞り、取材を通じて考えていきたいと思っています。

 何やら大それたことを書いてしまいました。まったくの尻切れトンボで終わるかもしれませんが、そんなことを考えているという報告でした。

 森岡さんへのインタビューは今回で2回目です。昨年書いた『「れいわ現象」の正体』でも話を聞かせてもらいました。私より先に森岡さんの哲学に注目していたのはウネラです。多くのつらい出来事を経験してきたウネラが、なんとか生きようとするなかで拠りどころとしていたのが、森岡さんの著作や論文でした(なんと、それらの一部はHPからも見ることができます!)。

 そうやってウネラの着眼が取材の出発点となることが、よくあります。ウネリウネラは今後もそうして補い合いながら、さまざまなことを書いていきたいと思います。ご意見やご感想など、ぜひ問い合わせフォームよりお気軽にお寄せください。

 

関連記事

伝承館は何を伝承するのか~展示資料の記録①

伝承館は何を伝承するのか/企画のはじめに

ウネリウネラ本をつくる②転機

『映像歳時記 鳥居をくぐり抜けて風』について

「映画から考える3・11」第2回:福島原発事故は「エンターテインメント」になるのか?『Fukushima 50』

映画『Fukushima 50』②あの映画の”事実”部分について

コメント

コメントを返信する

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です