とても重い決断

先日、私と家族にとって、とても重い決断をしました。

前の会社(朝日新聞)を辞めたとき、ほかの大手新聞社への転職が内定していました。このブログでも「10月から別の新聞社で働く予定です」と書きました。

しかし、私はその会社で働くことを断念し、いま住んでいる福島に残ることにしました。

ブログにも書き、お世話になった方々にも「秋から別の新聞で」と伝えていたので、ここに少し理由を書きます。

結論から言えば、「現状では、家族を連れて首都圏に戻ることができなかった」というのが理由です。

皆さん同じだと思いますが、この春以来、コロナ問題をめぐり、わが家のメンバーも参ってしまっていました。

特に心の病を患うパートナーのウネラは、感染への恐れに加え、感染をめぐる人々の対立や視線に神経をすり減らしました。首都圏では電車に乗れず、自宅にこもっていました。

3月下旬に福島へ引っ越しましたが、こちらも徐々に警戒ムードになりました。スーパーのレジ前の床に「ここに立ってください」とテープが貼られるとウネラはその距離に戸惑い、カートを握りしめたまま立ち尽くし、会計まで進めなくなることもありました。「気軽に医療機関へ行っていいのだろうか」と受診をためらい、持病の主治医を探し始めることも、なかなかできませんでした。タフだと思っていた子どもたちも、引っ越した直後に学校や保育園が休みになり、調子を崩してしまいました。

夏になってようやく、私たちは福島での生活になじんでいきました。

子どもたちには新しい友達ができ、言葉のイントネーションも少しずつ福島っぽくなってきました。

なにより、長年苦しんできたウネラが、少しずつ心の傷と向き合い、自分の道を歩もうとしている姿には、胸を打たれます。

6月になって信頼できる主治医が見つかり、ようやく回復へのアプローチが始まりました。その一環として、自分なりの表現活動にも取り組もうとしています。

福島で出会った人びとがあたたかく接してくれることも、大きいです。大勢知人がいるわけではありませんが、私たちの行く末を案じ、見守ってくれる人々に毎日支えられています。食べきれないくらいの野菜をいただいたり、バーベキューパーティーを開いてもらったり。一つ一つがウネラの心身にいい影響を与えています。

福島でせっかくできてきた「いい流れ」を、壊していいのか。

自分の仕事のためだけに首都圏に戻っていいのかと、私は悩みました。

大手紙に再就職すれば東京で働くことになります。当初は「それでいい」と思っていたのです。もう一度記者としての実力を試したいという気持ちがあり、家族とも話し合って前向きに決めました。

しかし、状況が変わってきました。

単身赴任も考えましたが、コロナ拡大期には新幹線でたびたび福島に戻るのが難しい。家族が一緒に過ごすことをなにより重視しているわが家にとっては、できない相談でした。

もしもこの秋に首都圏へ戻れば、家族の歩みは一旦すべてストップするでしょう。まずは子どもたちの身の回りを優先する必要もあります。恐らくウネラは、家族の生活を安定させるために自分を犠牲にすると思います。心の傷口には絆創膏を貼るだけになるでしょう。そうした生活が続けば、傷口の中は確実にうんでいきます。

先日、知人のすすめでヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン天使の詩』を見直しました。

天使たちは、空の上から人間たちの営みを見守っています。とりわけ思い悩む人たちに寄り添い、心の声を聴いてあげています。

天使は永遠の存在ですが、そのかわり自分の人生を生きることはありません。そのことを物足りなく思った一人の天使が、「自分の人生を持ちたい、自分の歴史を歩みたい」と決心し、人間になります。

人間界に降りてきたときのシーンがすばらしい。それまでモノクロだった映像がカラーに切り替わり、「元」天使は自分の体を流れる血の赤さに喜び、通りすがりの人におごってもらったコーヒーの熱さに驚く。自分の人生を持ったことを実感する。

私はウネラにも、自分の人生を生きてもらいたいと思います。

そのために最善を尽くしたい。東京で私が働けば、当面は生活に困らないかもしれない。私も記者という仕事を続けられて、その点では満足かもしれない。

しかし、家族は、ウネラはどうなるのか。

今、長いトンネルの先にようやく灯りが見え始めたのに、ここで引き返すわけにはいかない。

ということで、私は福島に残ることにしました。

コロナの感染拡大が続くことは、ある程度予想できたはずです。たった数か月のうちに自分の考えがぶれてしまったことは、よくないことだとも思います。

しかし、これ以外の選択は、私にはあり得ませんでした。

この先は五里霧中です。家族を食べさせていけるのか、正直言って不安です。責任をひしひしと感じながらも、自分自身が崩れてしまわないように、少しでも色鮮やかな日々を送りたいと思っています。

7月のブログには「これまでと変わらない問題意識で記事を書きたい」とも書きましたが、この気持ちは変わっていません。

入社予定だった会社には、義理を欠く結果となってしまいました。人事部の担当の方々は私の事情をよく理解してくれて、むしろこんな事情を抱える私をなんとか迎え入れようと、最後まで尽力してくださいました。とても感謝しております。

2020年夏 ウネリ撮影

2件のコメント

  1. はじめてコメントさせていただきます、渡辺祐子と申します。
    ウネラさんの性被害にかんする投稿をツイッターでシェアしておられる方がいて、それをきっかけにメルマガを購読し始めました。
    私は福島生まれ福島育ちです。川俣で生まれて、渡利で小学校時代を送り、父の転勤で2年ほど郡山に住み、また福島に戻って大学に進学するまで過ごしました。今でも母がひとりで庭坂に住んでいます。
    ご家族とともに福島にとどまる大きな決断をなさったとの由、どうかご一家が福島の空気にさらになじまれて、お子さんたちの福島弁にも磨きがかかりますように。ウネリさん、ウネラさんの今後の発信も楽しみにしています。

    1. 渡辺さま
      コメントありがとうございます。やさしい言葉に、励まされました。いつもご購読いただいていることも大変うれしく思っています。
      むずかしい時期に、さまざま事情を抱えながら越してきましたが、この土地の人々にあたたかく迎えてもらえたことは、私たち家族にとって本当に幸せなことでした。焦らずゆっくり、私たちの問題意識を私たちの言葉で、大切に綴っていきたいと思います。
      私たちも、お母さまのお住まいとそう遠くないところに暮らしています。素敵なご縁をいただけてうれしいです。これからもどうぞよろしくお願いします。

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