私は【誹謗中傷】をしてはいないか

ウネリ:女子プロレス選手の木村花さんが亡くなるというニュースがありました。まだ22歳でした。とてもショックを受けました。詳しい事情はわかりませんが、インターネット上では木村さんに対して数々の心無い言葉がぶつけられていたと聞きます。こうした悲劇を繰り返してはいけません。一方で、このニュースを知り、Twitter 上で積極的に政治、社会問題について発言している私自身が、日々誰かを傷つけてはいないかと心配になったのも事実です。知らぬ間に私も誰かを「誹謗中傷」していないか。言葉の意味を確認しながら考えていきたいと思います。ウネラさんお願いします。

ウネラ:はい。広辞苑によると【誹謗】とは「そしること。悪口を言うこと」とあります。【中傷】とは「無実のことを言って他人の名誉を傷つけること」とあります。

ウネリ:根拠のあるなしにかかわらず人を悪く言うことが【誹謗】。根拠なく他人を悪く言うことが【中傷】。というニュアンスの違いがあるようですね。最近はその二つの言葉がほとんど四字熟語化して使われているんでしょうか。

ウネラ:そのようですね。厳密に異なる二語として扱っている辞書もありますが、四字熟語として一般化していますよね。

ウネリ:不用意に熟語を組み合わせて使うことはあまり好きではないのですが、この【誹謗中傷】という言葉には理があるように感じます。【中傷】が悪いのは当然ですが、仮に根拠があったとしても、人を悪く言う事に対しては十分慎重にならなければならないと思うからです。【中傷】という言葉に依っていくと、根拠がある悪口は許されるというふうな誤解が生まれる余地があります。根も葉もない言説でも自分が信じこめば、(それを根拠として)誰かを攻撃する権利があると錯覚する人がいるかもしれません。そもそも根拠のあるなしにかかわらず誰かを攻撃してはいけないと、【誹謗】も含めてだめだと頭にいれておきたいと思います。

ウネラ:誹謗中傷を受けた側の「傷」は、そのとき一時の傷では終わらない。そのことの重大さを強く思っています。それは私自身がそういった、不特定多数の方からの誹謗中傷を受けた経験があるからです。10年ほど経った今でも、そのことを克服できずにいますし、誹謗中傷を受ける前と後とで世界が変わってしまったような……その前にいた世界にはもう戻れないような、断絶的な感覚を持っています。

しかもそれを自分の力ではどうしようもないと言うか、自分の力が及ばないと言うんでしょうか。その中傷は自分の力で防ぐことはできなかったし、誹謗中傷に対し反撃すればその傷が癒えるといったものでもありませんでした。防ぎようのない他からの力によって自分自身が変容させられたような感じで、そのあと簡単に軌道修正できない。そこに苦しみの根本があると感じています。

そういった体験を抱えてその後の人生を生きていくということは、とてもつらく困難なことだと思います。決して大げさな言い方ではありません。自分自身の体験からの実感です。

ウネリ:誰かの人生を断絶させる権利は誰にもありません。

先ほども言った通り、私がまず考えたのは「自分自身が誹謗中傷をしていないか」ということです。木村さんが亡くなった時期に私がしていたツイートについて考えたいと思います。

法務大臣の森雅子氏のツイートが私のタイムラインに流れてきました。黒川弘務・東京高検検事長の賭けマージャンの件で、安倍首相に進退伺を出し慰留された、という内容の森氏のツイートに対して、私は以下のようなコメント付きのリツイートをしました。

このツイートは森氏への誹謗中傷に当たるのか。どう思いますか。

ウネラ:まずこのツイートに関しては、森さんっていう方が法務大臣と言う極めて公的な立場にある、っていうふうに語られがちだと思うんですが。その点だけで話を進めると、公人とか有名人とかどういう立場にあっても、一人の人間としての存在がまずあるって言うことがあるので。そこは分けて考えなきゃならない。公人相手だからどんなかたちでも、どんなことでも言っていいのかといったら、そうではないと思います。

その点を抜きにしてこのツイートを考えましたが、ちょっとした「皮肉」ではあると思うんですが。誹謗中傷になるかならないかというのは、相手を傷つける意図でなく、内容にきちんとした批判性があるかどうかが問題になってくると思います。

すると「批判とは何なんだ」という話になりますよね。

改めて広辞苑を引いていくとですね、【批判】とは「物事の審議や善悪を批評し判定すること」と書いてあります。では【批評】とは何かとまた引いてみます。すると「物事の善悪・美醜・是非などについて評価し論ずること」とあります。この「論ずること」というのがポイントなのかなと思っています。

ウネリ:森氏に関して私がツイートしたのには、以下のような理由があります。

まず一連の騒動の責任をとり、閣僚が辞めるべきじゃないかと私は思っています。賭けマージャンだけならまだしも、検察庁法改正案の問題、それ以前の内閣による法律の解釈変更の問題があります。責任をとって誰か閣僚が辞任するならば、やはり法務省トップの森氏でしょう。ということで、このツイートの背景には、「黒川検事長本人なり検事総長なりが辞めるだけでこの問題を終わりにしていいのか」という問題意識がありました。そこで先ほどのようなツイートをしたわけですが、結果として「批判」よりも「皮肉」の色合いが濃くなったと思います。そこは毎回検討しなければならないところだと思いました。

ウネラ:ツイートの表現のニュアンスというのは大切なところだと思います。Twitter は非常に短い形式で、だからこそ多くの人たちが気軽に見たり発信したりできるというメディアなので、あまり四角四面でも伝わりにくい。良い面が発揮できないというところもありますよね。

ウネリ:その辺を整理するために言葉の意味を確認していきたいと思います。

【批判】についてですが、例えば私のツイートに対してもしくはその私の記事に対して「批判ばかりするな」とか「文句ばかり言うな」とかそういうご指摘をいただくことは多々ありますが、そういうこと、【批判】や【文句】といった言葉の使い分けにも敏感にならなければならないと考えていますので、その辺から行きましょう。

先ほど【批判】については説明してもらいました。【非難】という言葉もあると思いますが、これはどういう意味になりますか。

ウネラ:【非難】は「欠点過失などを責めとがめること」とあります。【文句】というのは「相手に対する言い分や苦情」とあります(いずれも「広辞苑」より)。

ウネリ:今、意味の違いを確かめて思い当たるところがあります。先日、小学生の息子から「体育の授業でマスクをしながら運動した」と聞きました。その点について私は以下のようなツイートをしました。

このツイートは、先ほどの【文句】【批判】【非難】のどれにあたるか。例えば「学校ふざけんな」とツイートすれば、それは【非難】に当たるでしょう。マスクをつけながら運動することによる熱中症の懸念などを、きちんと指摘しているならば、それは正当な【批判】と言えると思います。

実際私がしたツイートを振り返ると、その【批判】にまで入っていない【文句】という状態だったのかなという感じがします。一保護者という立場から抜けだしていない。批判に必要な客観性があったとまでは言えないと思うのです。

ウネラ:確かに、先ほど確認した定義と照らし合わせると【文句】に当たりそうな感じの言い方、内容だとは思います。だけどそれがある種の共感を集めるというところはあるわけですよね。

先ほど「四角四面」というようなことを言いましたが、Twitter上では、理路整然とした言説よりも、こう言った手短でわかりやすい【文句】に近い表現のほうが、多くの人の共感共鳴を得ることがよくありますよね。

私は【文句】によって、その問題に多くの人が目を向けること、多くの人がその問題に関心を寄せるための入り口が【文句】的なものであるっていうことはいいと思う。ただ、一人の【文句】に他の多くの人がどんどん同じような【文句】を重ねていくだけだと、誰かを傷つける方向にわっと流れていってしまって、あまり良くないような気がしています。

一つの【文句】から、その【文句】の問題点は何なのかを考えて、【論じる】方向に持っていければ、【文句】を【批判】に昇華していければ、SNSの良い意味での可能性があると思うのですが。

ウネリ:そうですね。【文句】が入り口であってもいいんだけれども、その【文句】が【批判】という形に回収されていくか、【誹謗中傷】というあってはならないものに流されていくか。

一つ一つのツイートやリツイートをするとき、それぞれが一瞬だけ立ち止まって考えるべき問題かなと思います。当然、メディアに関わる人や政治家などは、それをさらに厳密なものとして捉えなければならないと思います。

検察庁法改正案に関しては、そもそもどこが問題なのかという点がTwitter上でも議論として展開されていったところがあると思います。共産党の山添拓議員などによる法案の解説が何度もリツイートされ、タイムラインに流れてきました。これは人々の気持ちが【文句】で終わらず【批判】の形に回収されて実際に世の中の変化につながったという好例だったのかと思います。

一方この件に関しては小泉今日子さんやきゃりーぱみゅぱみゅさんなども「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグをつけてツイートするなどしました。それに対して「芸能人が政治的発言をするな」などといった批判があったんですが……。この場合は【批判】と言っていいのかな? 【非難】か。彼らなりの考え、ということで【批判】と言えるでしょうか?

ウネラ:「芸能人であるから政治的発言をすべきでない」という論は展開できるのか疑問です。【政治】という言葉をまた広辞苑で引いてみます。すると「人間集団における秩序の形成と解体をめぐって人が他者に対してまた他者とともに行う営み」とあります。

ウネリ:つまり、人間は生きているかぎり誰かと関わり合うわけで、おのずと誰もが政治を行っているというふうに取れるわけですよね。存在していればその瞬間に人間というのは政治をしていると言えると。

ウネラ:そう思います。

ウネリ:「政治的発言をするな」なんていうのは、ある意味、「他人とかかわるな」「生きるな」と言っているのと同じではないかと思います。

ウネラ:全くそう思いますね。

ウネリ:なので、小泉さんやきゃりーさんに異議を唱えるのであれば、「政治的発言をするな」という形ではなくて、その人が言ったことのどこがどう間違っているのかということを明確にして、【批判】として返す必要があったと思います。

話をまとめますが、そういったことに対処するためにも、「言葉の意味」をはっきりと確認しておく必要があると思ったので、今日このような話をしました。

【誹謗中傷】がいけないということは明らかです。その上で正当な批判、改善への期待を込めた批判は、積極的に行われるべきです。しかしそれが客観性を失った【文句】にとどまっていないか、もしくは相手を責め咎める【非難】に陥っていないか。言葉の意味をもう一度自問した上で、今後もインターネット上でも他の場所でも積極的に政治問題社会問題について発言していきたいと考えています。

ウネラ:【批判】が圧倒的に足りないのかもしれないですね。正当な【批判】というものが社会全体に足りていないような。【誹謗中傷】と【批判】が混同されて、一緒くたに扱われてることからくる弊害のような気がしています。【批判】は社会の健全のために不可欠な、重要な要素だと思います。なので、誹謗中傷の問題を扱う時には、それとセットで、【誹謗中傷】と似て非なるもの、全く逆方向の性質である【批判】というものを意識しなければならないように思います。

ウネリ:木村さんが受けた誹謗中傷を、同じような誹謗中傷や非難の言葉で返すのではなく、きちんとした批判を巻き起こして、被害者を誹謗中傷から守る。心無い誹謗中傷が目立たなくなるくらい、それに対する正当な批判で埋め尽くす。そういう取り組みが求められているんだと思います。

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