名前も知らない誰かと人生が結ばれるということ ~~「でんしゃにのったかみひこうき」を読んで

ある冬の夕方、保育園に通う息子たち(次男と三男)を迎えにいく途中、遊歩道でふと足がとまった。道の脇には大人の腰丈くらいの木が並んでいる。葉をうち枯らし、薄茶色の枝をむきだしにしている姿は、どこかもの寂しい。なんて思っていたら、そのうちの一本だけ幹のあたりが紅く光っていたのだ。

 洋服につけるブローチかと思ったら、本物の椿の花だった。木の枝の付け根にうまいこと乗っかっているので、まん丸の花がコロッと落ちてしまわない。もちろん偶然の産物ではないだろう。この先には椿の木が何本かある。誰かが歩いているときに落椿を拾い、まだ盛りのように見える花姿を不憫に思った。つい拾ったものの使いみちはなく、それでも捨てるに捨てられず、枯れ枝の付け根にちょこんとのせた。そんなところではないだろうか。

 椿を拾ったのは、だれだろう。学校帰りの小学生か、散歩を日課としている老夫婦か。意外と、仕事に疲れた中年サラリーマンあたりかもしれない。そんな想像をしてみる。

 ものを介して、見ず知らずの人のやさしさが伝わる。そんな人生の美しい瞬間を上手に切り取った絵本が、『でんしゃにのったかみひこうき』(長崎源之助・作、村上勉・絵)だ。

 東京に住む少女がひとり、江ノ電に乗って鎌倉のおばさんの家に泊まりに行く。車窓から紙飛行機が突然舞いこんできて、物語ははじまる。

 少女は足元に落ちた紙飛行機を拾い、「誰がつくったのだろう?」と首をかしげる。名前

はない。外へ投げ返すわけにもいかない。電車は走り続けているから、今から投げても遠く離れた場所に落ちてしまうだろう。少女は結局、持ち主の分からない紙の機体をおばさんの家まで持っていく。紙飛行機とひと晩いっしょに過ごした少女は翌日、おばさんとデパートに買い物に行った。江ノ電で街へ向かうとき、前日それが舞いこんできたのと同じ場所で、誰かの紙飛行機を車窓から投げた。

 持ち主は線路沿いに住む少年だった。2階にある子ども部屋で投げて遊んでいるとき、窓から飛び出してしまった。家の外を懸命に探したが、いっこうに見つからない。一番よく飛ぶ自信作だったので、少年はとてもがっかりしていた。その紙飛行機が翌日、線路の脇にひょっこり姿を見せた。傷ひとつなく帰ってきた機体を眺め、少年もまた不思議な気持ちになる。後日、少女と少年は駅のホームですれ違い、少し言葉をかわす。だが、少女は彼が紙飛行機の持ち主とは知らず、少年は彼女が投げ返してくれたことを知らない。そして最後のページの挿絵がいい。お互いに名前も知らない二人を結ぶ江ノ電が、きれいな夕空の下を満足そうに走っている。

 はっきりと意識できないものの、少年と少女、お互いの手のぬくもりは、紙飛行機を通じてじんわりと相手に伝わっている。こんな風にして、見知らぬ誰かと人生が交差していると思うと、殺風景な日々が少し楽しくなる。実はこの本、長男が小学校の図書室で借りてきたものだ。やけに静かに読んでいるので、後で私も読んでみたら、ずいぶん引きこまれた。当然だが、絵本の名作は大人も楽しませる。

(写真はいすみ鉄道)

2件のコメント

  1. ホームページの開設おめでとうございます!
    「ウネリウネラ」?なんじゃいな。と思いましたが、奥様の提案だったんですね。
    面白いなあと思いました。
    これから、少しづつ辛口の記事も載せると思いますので、楽しみにしています。
    ウネラさんの「連絡帳」は、ちょうど同じ子どもたちを育てている二人の息子夫婦にも読ませたいと思います。

    1. 飯塚さん、コメントありがとうございます。
      ウネラです。
      いつも大変お世話になっております。
      何かと試行錯誤中で、どのようなことが書けるか模索しているところですが、飯塚さんからの辛口のご感想も、お待ちしております。

      ウネラ

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