午後2時20分、判決言い渡しの10分前。
新潟地方裁判所の1号法廷に遺族側弁護団が入廷した。岩城穣弁護士、白神優理子弁護士、清水亮宏弁護士。三人とも硬い表情をしている。経験豊かな弁護士たちも緊張ぎみなのか。岩城氏と白神氏が顔を近づけて小声で話す。清水氏がスーツケースから書類のファイルを取り出す。
2時25分、判決言い渡し5分前。
書記官が白い受話器を手に取った。ほどなくして3人の裁判官が法廷の奥から姿を見せる。報道陣による開廷前の撮影が始まる。
「撮影時間は2分間です。はじめてください。30秒経過・・・1分経過・・・」
裁判所の職員が事務的にカウントダウンを続ける。法服を着た3人の裁判官は正面を向いて身じろぎしない。周囲の緊張感が高まる。亡くなった男性の妻、Mさんはまだ来ない。顔が映るのは困るため、外の廊下で待機している。
「10秒前・・・5秒前・・・撮影を終了してください」
報道陣が退出し、Mさんが法廷のドアを開く。黒いスーツ。カーキ色のトレンチコートを手にさげている。軽くお辞儀をして、弁護団のうしろの席に座る。書記官が事件番号を読み上げる。壇上の3人のうち、中央に座る裁判長が口を開く。やわらかな声。
「それでは、判決を言い渡します。主文。被告は、原告に対し、●●●万円および・・・」
Mさんは天井を見上げて顔をしかめた。事前に弁護団からアドバイスされていた。「主文が『被告は』ではじまったら、勝訴だからね」。しかし実際の場になってみると、すぐに状況をのみ込めない。法廷用語はいつも難しい。
白神氏が後ろをふりかえり、Mさんにささやいた。
「勝ちましたよ」
「ありがとうございます」Mさんは小声で、そう返事をした。そして両手で顔をおおい、机のうえに突っ伏した。
傍聴席の最前列にいた筆者には、Mさんが小さくすすり泣くのが聞こえた。
裁判での遺族側の主張はこうだ。
上司にあたる「係長」は、亡くなった男性に対して、「馬鹿にした態度で接する、厳しく叱る、無視する」などのいじめ・パワハラ行為をした(①)。さらに、男性の業務経験では単独でこなすのが難しい仕事を命じ、困っている男性に対して適切な指導やアドバイス、業務の引き継ぎなどを行わなかった(②)。こうして男性は精神的に追いつめられ、命を絶ってしまった。
判決は①のいじめ・パワハラについて、「証拠がない」として事実認定しなかった。
しかし同時に、遺族側が裁判を通じてあぶり出した「係長の人格的問題」を見逃したわけではなかった。
係長には、同僚や(亡くなった男性を含めた)部下に対し、仕事上、厳しい対応や頑なな対応を行う傾向や、時折、強い口調で発言する傾向があり、係長自身も、自分が亡くなった男性に対し「強く当たっている」ことを自覚していた。これらの影響もあって、当時の職場内における会話は少なく、挨拶もあまりなく、職員の誰かが他の職員に対して業務に関する質問をするような雰囲気もなかった。
地裁判決
そんな雰囲気の中、難しい仕事を抱えさせられた男性は、同僚にアドバイスを求めることもできず、立ち往生してしまった。この部分、判決の認定は、遺族側の主張と軌道を一つにする。
主担当者である●●(亡くなった男性)が2007年の4月中に業務を終わらせることができない場合、その後のスケジュールに悪影響がおよぶ可能性があった・・・4月末時点においても、業務に対する理解が十分ではないために、●●は業務を終了させることができず、5月の連休明けに係長から叱責されることなどを恐れて精神的に追い詰められ、そのことが主たる要因で自殺を決意した。
地裁判決
判決は、係長について、部下の安全に配慮する義務を果たさなかった、と指摘した。たとえば「●●の業務の進捗状況を確認し、必要な指導を行う機会を設ける」。または「部下への接し方を改善し、積極的に質問しやすい環境を構築する」。そういう義務を係長が果たさなかったと結論づけた。
裁判官がこうした結論を導き出した背景には、弁護団の、そして何よりもご遺族の、粘り強い闘いがあった。このことは強調しておきたい。
証拠が少ない中で、遺族側は係長の直接的ないじめ・パワハラを証明しようと、手を尽くした。今年2月には係長本人の証人尋問が実現した。この法廷で、「係長の人格的問題」が露わになった。遺族側の岩城弁護士が、男性の遺書を示して追及した場面だ。
弁護士 〈どんなにがんばろうと思っていても、いじめが続く以上生きていけない。分からないのは少なくとも分かっているはずなのに、いじめ続ける。人を育てる気持ちがあるわけでもないし、自分がおもしろくないと部下に当たるような気がする〉。●●さんはこう書いているんですが?
A係長 「いじめが続く」とは、私がいじめ? そうは思いません。
弁護士 彼はこういう遺書をのこし、命を絶っています。でも、いじめたという認識はないのですね。
A係長 ありません。弁護士 あなたは、男性や、原告である男性の奥さんに、一度も謝罪していない。なぜですか?
係長への証人尋問
A係長 至らないところがあったとは思っていないので、謝罪する気はありません。
法廷での係長の言動が、裁判官の心証を左右したことは想像に難くない。
本件訴訟の証人尋問において、●●が遺書で言及した人物について自分のことだと思わない、至らないことがあったとは思っていないなどと証言しているところであって、このような係長が、上記のような(部下の安全に配慮する)措置を適切な形で採っていたものと認めることはできない。
地裁判決
判決後、弁護団は〈勝訴〉の旗をかかげた。報道陣が一斉にカメラを向ける。Mさんが弁護団の隣に立つ。その手には、亡くなった男性の写真を持っていた。卓球のユニフォーム姿だ。男性は卓球が趣味だった。仕事の日も、昼休みなどに時間があると、彼は卓球をしに行ったそうだ。心に余裕のある頃までは……。
報告集会は裁判所から少し離れた場所で開かれることになっていた。道すがら、筆者はMさんに聞いた。「両手で顔をおおって判決を聞いていた時、何を考えていましたか?」
悔しさですね。係長とのことがなければ、夫は今も元気だったはずです。それを思うと、悔しくて。もちろん、裁判所には「ありがとう」というのもあるんですけど、それよりも、とにかく悔しい、悔しい。そういう気持ちでした。
妻Mさんの話
勝訴は勝訴である。職場、係長の責任が認められたことは評価できるだろう。しかし、直接的ないじめ・パワハラ行為が事実として認められなかったのは、悔しいはずだ。
判決は、いじめ・パワハラについて「事実と認めるに足りる証拠がない」とした。しかし、これは「真っ白だ」という評価では、けっしてない。むしろ「黒に近い灰色」だからこそ、結論としては遺族を勝たせたのだ。筆者はそう考えている。
もしそうだとすれば、新潟市水道局がすべきことははっきりしている。
Mさんは報告集会でこのように話した。
まずは謝罪してほしいです。そして、二度とこのようなことが起らないように、再発防止策を講じてほしいです。最低限、この二つをお願いしたいです。
妻Mさんの話
(ウネリウネラ・牧内昇平)
※判決内容の分析は、当日開かれた報告集会・記者会見での弁護団のコメントを参考にして書きました。
また、この裁判については以下の記事も書いていますので、お読みください。
「水道局員自死」で上司の責任認める、新潟市に3500万円の賠償命令 新潟地裁(弁護士ドットコムニュース)
新潟市水道局「いじめ自死」、公務災害が認定されたのに職場は否定のまま 遺族の裁判の行方(弁護士ドットコムニュース)
もっと詳しい経緯は本サイト「ウネリウネラ」の過去記事で読めます。→過去の記事一覧
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