原発事故を起こした国と東京電力の法的責任を問う「生業を返せ、地域を返せ! 福島原発訴訟」(生業訴訟)の第2陣の口頭弁論が4月24日、福島地裁で開かれました。法廷では、原発事故が起こるまで大熊町に住んでいた男性が、聞く者の心を打つ意見陳述を行いました。次回の裁判は8月3日に決まりました。(写真・文/ウネリウネラ・牧内昇平)
大熊町に住んでいた男性の意見陳述
原発事故によってすべての人生を奪われた気持ちです。
4月24日法廷での原告意見陳述
大熊町に住んでいた男性は法廷でこう語りはじめました。男性は大熊町で生まれ、仲の良いきょうだいや親戚、友人たちに囲まれて暮らしていました。地元で就職し、パートナーと出会って結婚し、子どもを授かりました。しかし、まだ子どもが幼い頃に、パートナーは亡くなってしまいました。その時に支えてくれたのは、やはり地元に住む家族や親戚、友人たちでした。
地域ぐるみで子どもの面倒を見てくれました。家の近くに住む私のきょうだいは、私の子も、自分たちの子と一緒に育ててくれました。友人たちも子どもにお昼ごはんを食べさせてくれたり、手料理をおすそ分けしてくれたりしました。男手ひとつで働きながらではどうにもなりませんので、本当に助かりました。近所の人たちは、収穫した梨の一番いいものを私の子にくれました。
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東日本大震災が起き、大熊町民には避難指示が出されました。男性は地域のお年寄りらの避難を手助けし、最後のバスに乗りました。田村市内の避難所にたどり着いた時、第1原発1号機が爆発したのを知りました。
爆発を知った時、私は「もう終わりだ」と思いました。会社も、住むところもなくなる。今後どうしよう。そう考え、あ然としました。
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関東へ、いわきへ、仙台へ……。それまで仲が良かった親きょうだいや親戚たちは離れ離れに暮らすようになってしまいました。男性が一番つらかった時期を支えてくれた友人たちとも、会えなくなりました。「原発事故さえなければ」と思うと、男性は悔しくてなりません。
原発事故によって、生まれてから50年培ってきた人間関係や暮らしの底がぬけました。すべてリセットされたような喪失感があります。先妻の遺骨は今も地元のお墓の中にあります。本当にやるせない思いです。
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第2陣の原告は1800人超に
東電福島第一原発の事故をめぐる国・東電の法的責任を問う集団訴訟は各地で行われています。そのうち4訴訟(群馬・千葉・福島<生業>・愛媛)について、最高裁は昨年6月、「国に法的責任なし」という判決を言い渡しました。しかし、この最高裁判決で法廷闘争が終わったわけではありません。今も全国各地で訴訟が続いています。
生業訴訟は800人での「第1陣」の提訴から10年が経過しました。第1陣は最高裁で敗れたものの、この日口頭弁論が行われた第2陣で逆転勝訴を目指しています。第1陣の原告団は3500人以上の大所帯でしたが、第2陣も原告の数は着実に増え、最終的には1846人になりました。口頭弁論がはじまる前、原告団の中島孝団長はこう話しました。
最高裁がああいう不当な判決を出すようならこの社会は一体どうなるのか。生業訴訟の運動力、行動力を総動員して世論を巻き起こし、議論を喚起するのが、今年の生業訴訟の最大の課題になると思います。
中島原告団長
生業訴訟弁護団事務局長の渡邊純弁護士は、今年3月に言い渡された「いわき市民訴訟」の仙台高裁判決に言及しました。この訴訟は約1300人のいわき市民が国と東電を訴えたものです。最大のポイントである国の法的責任について、仙台高裁判決は、東電に津波対策を命じなかった点(国の不作為)を厳しく指摘しながらも、仮に対策を命じたとしても「必ず重大事故を防げたとは断定できない」と判断。「国の法的責任なし」という結論を示しました。渡邊氏はこう話しました。
いわき市民訴訟の高裁判決は、「国の不作為は違法であった」と言っておきながら、最後の最後で「確実に防げたとは断定できないよね」と、国を免罪しました。最高裁判決の呪縛が裁判官を縛っています。最高裁判決に縛られずに、自分の目で事実と原告たちの損害を見ろ、と迫っていく必要があります。
渡邊原告団事務局長
生業訴訟第2陣の次回口頭弁論は8月3日に予定されています。
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