福島県が原発事故の避難者を訴える事態が続いている。
首都圏の国会公務員宿舎に避難した人びとに対して、県は「避難先として提供する期間が過ぎた」ことを理由に、宿舎からの立ち退きを求める裁判を起こしている。20年3月以来、これまでに5世帯が提訴されている。この夏もさらに11世帯を提訴する見通しである。
県は「ルールにのっとったやむを得ない措置である」かのように説明する。だが、そのルールを決めたのは避難者ではなく、福島県である。シンプルに考えれば、行政が裁判を使って避難者を住まいから追い出すべきではないと思うが、いかがだろうか? (ウネリウネラ・牧内昇平)
福島県、11世帯への提訴を準備
この話には前段が2つある。
①原発事故後、避難者の住まいとして首都圏の国家公務員宿舎などが無償で提供された。福島県は2017年3月末にその無償提供を打ち切った。その後2年間、公務員と同じ家賃を支払うことを条件に提供期間をのばした。2年間の猶予期間も終わると、福島県は宿舎に残っている人に対して立ち退き圧力を強めた。賃料の2倍の損害金を請求したり、入居者の親族宅に連絡して「説得して退去させてください」と頼んだりしている。
②上記のような措置への対抗策として、宿舎に残っている人びとの一部、合計11世帯が福島県に対して裁判を起こした。提訴は今年3月11日付。福島県から受けた不当な立ち退き圧力で精神的苦痛を受けたとして、損害賠償を求めている。
この夏、県が提訴の準備を進めているのは、②で県を提訴した11世帯だ。県が裁判を起こすには議会の理解を得る必要がある。県は議会に対して「今年3月に損害賠償を求める裁判を起こされ、話し合いによる解決が困難であると判断した」と説明し、「訴えの提起」議案を通過させようとしている。
県の対応をどう考えるか?
前段に書いた通り、損害金請求などで圧力をかけてきたのは県のほうであり、11世帯はそれに対抗したにすぎない。11世帯が起こした裁判については、県に言い分があるならば、「県の行為に違法性はなく、賠償義務はない」と法廷で返答すればいい。それをあたかも倍返しのように「立ち退きを求めて提訴する」というのは、いかがなものだろうか。
「組織」と「個人」は対等な関係ではない。
福島県は地方自治体という大きな「組織」だ。たとえ訴えられたとしても、そこで働く人が個人的に痛みを抱えるわけではない。一方、避難している人は「個人」である。生身の人間であり、もし裁判で立ち退きを命じられれば、次の日には住むところを失い、路頭に迷う。
追いつめられた個人が県という組織を訴えるのは「抵抗」であり、「権利の行使」だ。しかし、組織が個人を訴えるのは「抑圧」であり、「権利の濫用」である。
と筆者は思うが、いかがだろうか?
もちろん、行政などの組織が個人に対して毅然とした態度をとるべき状況はあるだろう。たとえば、ある人物、団体が少数者に対する差別、迫害であるヘイトスピーチを公然とくり返すような場合、行政は早急に対応すべきだと筆者は思う。それは、その迫害行為に直面して深刻に苦しむ人がいるのが明らかだからだ。たとえどんな思想信条からであっても、誰かを不条理に、深刻に傷つけるような行為はとりあえず中止させなければならない。
今回のことはそういう話ではないのだ。避難者が首都圏の国家公務員宿舎に住み続けても、ほかの誰かが傷つくわけではない。「本来住むべき公務員が住めなくて困る」という指摘は、住宅政策の問題だ。避難者を強引に立ち退かせることよりも、首都圏の住環境整備に力を注ぐべきではないだろうか。
ルールを決めたのは誰か?
福島県の担当者は「我々も避難者を攻撃したいわけではない。ただ、そういうルールである以上やむを得ない」と説明する。
しかし、さかのぼって①の点を考えてみたい。たしかに県の対応はルールにのっとっている。しかし、そのルールを決めたのは誰だろうか?
2017年3月末に無償提供を打ち切ったのは、福島県である。猶予期間を2年と設定したのも県だ。避難者たちとの契約書に「猶予期間終了後は賃料の2倍の損害金を請求する」という文言をすべりこませたのも、県である。
県が一方的にルールを決め、避難者に押しつけたのだ。避難者はたとえ不服があっても、当面の住む場所を失わないためには、そのルールをのまざるを得なかった。
原発事故被害者団体連絡会(ひだんれん)の説明によると、県が提訴しようとしている避難者11世帯のうち10世帯は、賃料の2倍にあたる損害金を請求された時、少なくとも規定の賃料(2倍ではなく、公務員と同額)を支払うことは県に申し出ていた。
ルールを決めたのが県ならば、実態に合わせてそれを変えることができるのも、県である。避難者の側は県に対して、くり返しルールの見直しや柔軟な対応を求めてきた。たとえば、ひだんれん、「避難の権利」を求める全国避難者の会、避難の協同センターの3団体は、この間何度も県にうったえかけている。
しかし、福島県は聞く耳を持たない。こんな対応でいいのだろうか?
こんな事態が生じたのは誰の責任なのか?
国家公務員宿舎は、国の持ち物である。福島県は”国の代わりに”避難者を宿舎から立ち退かせようとしている。ここで考えたいのは「そもそも誰の責任なのか」だ。
原発事故が起きなければ、避難者はいなかった。事故を起こした法的責任がどこにあるのか、今まさに最高裁が判断を下そうとしているが、少なくとも「原発を推進してきた社会的責任が国にある」ことは、これまでの法律にも明記されている。
事故に責任のある国が、避難者に当面の住む場所を提供する。筋が通った話のように思うが、なぜ、福島県がそれを問題視するのか?
6月17日の最高裁判決で「国の法的責任」が認められたならば、事態はさらにおかしくなる。法的にも「加害者」と認められた国が、避難者(=「被害者」)に補償を行う。当たり前の話ではないのか?
なぜ福島県は方針を変えないのか?
福島県の担当者は「避難者の方のご事情も分かりますが、公務員宿舎の賃料は県が肩代わりして国に支払っています。これにも大事な税金が使われていますので、公平性の面で…」などと話す。
しかし、これは「目くらまし」である。
原発事故後、あらゆる人びとが苦しみながら、それぞれの事情で「福島に残るか、避難するか」を決めてきた。どちらの道を選んでも、苦しかったはずである。残った人も、避難した人も、どちらも被害者だ。福島に残った人だって、事故前と同じ暮らしができているわけではない。比べることに意味はないが、あえて言うならば、残った人も避難した人も、失ったものの総量は同じ。そう考えるべきではないかと筆者は思う。
国や福島県はすべての原発事故被害者に対して、十分な謝罪・補償を行っていない。たとえば、福島県に残った人びとの中には、経済的な事情で避難できず、被曝の不安も感じながら暮らさざるを得ない人がいる。こうした人たちについても、国や福島県は放置している。
もしも福島県に残った人びとの中に「なぜ避難者だけ特別扱いするのか?」という不満があるとすれば、それは自分たちが十分な謝罪・補償を受けていないことの裏返しではないだろうか。もし自分たちが十分に支えられていれば、「避難した人たちも助けてあげて」と感じるようになるのではないだろうか?
以上のように考えた結果、福島県は避難者への提訴をとりやめるべきだというのが筆者の意見だ。そんなことはやめて、福島に残った人にも避難した人にも、あらゆる人に対して真摯な謝罪・補償を行う道を福島県は追究するべきだ、と筆者は考える。
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